今日から、12年前に書いたパリブログから、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑の僕の個人的な見解の話をリメイクしたいと思います。

 

 岐阜に帰省した時、岐阜駅前に建てられた織田信長像を見て、信長に思いをはせてみたり、岐阜から東京に帰る時には、高速バスの中から小牧山城を見つけて、小牧・長久手の合戦の風景を思い浮かべながら、秀吉や家康に思いをはせたりしました。

(2024/5/8ブログ「岐阜から東京へ」参照)

 

 僕のこの三人に関する見解は、未だ12年前にブログを書いた頃とほとんど変わっていないですね。

 

 これから書く織田信長には、少しだけ申し訳ないのですけど……

 

 まあ、信長は僕と全く違うタイプの人だから、僕がただ単に、信長のことを理解できていないだけの話かも知れません。

 

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の戦国武将の事を、天下の三英傑と呼んだりします。

    もう、パリブログとは全く関係ない話ですね……

 

 三者三様それぞれに個性的で、よく比較されます。

 人によって、信長ファンだったり、秀吉ファンだったり…… とそれぞれに分かれます。

 

 僕がこの内の誰のファンかは、僕のことをよく知っている人は、おわかりのことと思います(笑)

 それでも、僕は三人ともそれぞれに好きです。

 

  鳴かぬなら、殺してしまえ ホトトギス (信長)

  鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ホトトギス (秀吉)

  鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス (家康)

 

 おそらく一度は聞いた事がある、三人の性格を言い当てた川柳ですが、これは江戸時代の平戸藩主・松浦静山が読んだものです。

 

 この三人に対する評価は、人によって本当に違います。

 

 きっと、その人の生き方のスタイルなんかが反映されているのだと思います。

 

 これから三日間に分けて書くブログは、僕の勝手な見解です。

 

 特に信長ファンの方、これは本当に勝手な見解なので、気に障ったらお許しください(笑)

 

 僕は、この三人は三人ともすごい人だとは思うのですが、天下を治める器ということでいえば、織田信長はちょっと他の二人には及ばないと思うんですよ。

 

 というより、そもそも織田信長は、天下を治めるような器ではないと思うんですね。

 

 時代の先見力とか、斬新な発想力、それに何より行動力というものに関してはピカ一です。確かに他の二人は、信長の足元にも及ばないです。

 だいたい秀吉も家康も、織田信長がいなかったら、天下を取れてない訳ですし……

 

 ただ、逆にいえば結局、織田信長というのは、秀吉と家康のつゆ払いだけの役割だったんじゃないかという気がしなくもないんですね。

 

 僕は、仮に明智光秀が謀反を起こさなくても、信長は結局あんな最期になるんじゃないかと思うのです。

 

 だいたい、殺生の数が半端ではなかったですから……

 

 しかも、本来殺さなくてもいい人間までも、自分の欲求不満で殺していた気がするんです。

 

 比叡山延暦寺の焼き打ちは有名な虐殺事件ですが、それは氷山の一角で、信長という人は、敵と見れば相手の事情など一切情状酌量することなく、皆殺しにします。

 

 身辺でも、信長の部屋にあった果物の皮を捨てなかったというだけで、信長に仕えていた少女は殺されたくらいです。

 

 信長は、基本的に冷徹で徹底的な能力主義です。

 

 時には時代において、こういう非情で冷徹な強いリーダーが必要になる時がありますが、信長の場合は、冷徹さの上に残忍さが加わっているのが問題です。

 

 信長という人は、あの時代には絶対的に必要な存在だったと思いますし、悲劇のヒーローゆえによく同情されますけど、やっぱり人間の器では他の二人にかなわないです。

 

 秀吉には黒田官兵衛、家康には本多正信といったような、有名な軍師がいますが、信長にはこういった人物がいません。

 

 人からゴチャゴチャと口を出されるのが嫌いだったんだと思うのですけど、こういう所も、リーダーの素質としては問題点です。

 

 毛利家の外交僧である安国寺恵瓊は、京都で信長に謁見し、信長の部下だった木下藤吉郎(のちの秀吉)と懇談した時の感想を主家(毛利家)に、次のようにもらしています。

 

「信長の代は、あと三年から五年くらいは持つでしょう。来年あたりは公家などになることと思われます。ですがその後、高転びになって、あおむけに転げ落ちるような未来がすでに見てとれます。

 それにひきかえ藤吉郎なる者は、さりとての者でございます」

 

 やっぱり、ある程度人を見抜く目がある人には分かってしまうんですよ。

 

 つまり、信長に対して、恐怖におののきながら従っている人間はいたとしても、心底慕ってついてくるような人間は誰もいない……

 

 その点、豊臣秀吉と徳川家康というのは、ちゃんと天下をおさめる器を持った人物だと思います。

 

 秀吉、家康どちらがトップであっても、優秀な部下さえいれば、天下はおさまったはずです。

 

 僕は、この二人が戦国時代を終結させる為に台頭するのは、すでに天のシナリオで決められていたんじゃないか、というような気がするんです。

 

 この二人は、歴史的な時間背景において言えば、信長に巡り合ったことにより天下を取っていますが、例えそうじゃなくても、何らかの形で結局はそういう流れになっていくと思うんです。

 

 だって、この二人は普通の人と比べたら、明らかに才能が突出してますし、目の前のことにいつでも120%の力で頑張っていこうとする人達ですから……

 

 本当に才能があって努力する人は、今も昔も変わらず、必ずいつかは本来の能力を花開かせることになる……

 

 僕はそんな気がしますね。

 

 (2012/7/28パリブログ「三英傑の話」をリメイク)