昨日の夜、長距離バスに乗って、岐阜の家から東京に戻ってきました。
家の玄関先の草むしりとか、他にもやり残したことが一杯あったのですが、これ以上のんびりしていると仕事が間に合わなくなってしまいます。
名残惜しい、岐阜の街並み……
街の向こう側にある山のてっぺんのお城(ものすごく小さくて見づらいですけど……)が、織田信長が居城にした岐阜城です。
夜行バスはこのすぐ近くから発車するのですが、昼行バスに乗るには名古屋まで行かなくてはなりません。
とはいえ、岐阜から名古屋まではJR線の新快速で19分で行けますから、目と鼻の先です。
ということで、あっという間につきました。
ここが名鉄バスセンターです。
バスセンターの中に入ると、ジプリパークの案内がありました。
ジプリパークは、名古屋市から近い長久手市にあって、ここからバスで直通で行けます。
行ってみたくなりましたが、そんな時間の余裕はありませんね(^^;;
長久手といえば、徳川家康と羽柴(豊臣)秀吉が戦った「小牧・長久手の戦い」の古戦場があることでも有名です。
戦さの名人である徳川家康が自ら本陣を率いて、当時、秀吉の下についていた池田恒興を撃破して討ち取ったのが、この長久手の地です。
このバスに乗って、これから東京へ向けて出発……
東京に着くのは夜ですね。
でも、運賃はたった4,400円なので、新幹線の3分の1の経費で行けます。
高速バスで帰ることにしたのは、乗車賃を節約したいのもあるのですが、バスの中の長い時間の間に、上級編講座の内容をイメージして頭の中で構築しておきたかったというのもあります。
意外とこういう乗り物の中の方が、良い発想がわいてくるんですよ。
バスの車窓から、お城が見えました。
このあたりは愛知県小牧市……
ということは、このお城は小牧山城ですね。
織田信長が清須城(清洲城)から岐阜城に移る前に、この小牧山の上に築城し、一時的に本拠地にしていました。
そして、信長が本能寺の変で亡くなった後、天下統一の跡目を争って、この小牧山あたりで徳川家康と羽柴秀吉の二大英雄が激突しました。
織田信長の次男・織田信雄が徳川家康に助けを求めてきたことが、ことの発端です。
ですので、「小牧・長久手の戦い」は正確には、羽柴秀吉 vs 織田信雄・徳川家康連合軍ということになります。
まあ、実質的には秀吉と家康の戦いに変わりないのですが……
そして、最初にこの小牧山城を占領したのが、織田・徳川連合軍です。
秀吉は大軍を率いて出陣してきますが、細かい小競り合いの緒戦は、全てが家康の勝利で終わっています。
その内に、秀吉も家康もお互いに相手に攻め込まれないようにと、砦とか土塁とかを周囲にたくさん作り始めました。
その結果、戦争は膠着化して、どっちも動けなくなってしまったんです。
結局、この戦いはどうなったかというと、秀吉が織田信雄をうまく懐柔して自分の味方に引き入れることで終結……
こうなってしまっては、徳川家康も秀吉と戦う理由がないので、軍を引き上げました。
バスは、さらに東へと進みます。
高速バスの最初の休憩場所が、この恵那峡サービスエリアでした。
いつしかバスは、愛知県からまた岐阜県に入っています。
この恵那峡は、岐阜県の中でも風光明媚な所なんですよ。
バスはさらに先に進みます。
いつの間にか、夜が更けて参りました。
ここが2回目の休憩場所である長野県の諏訪湖(すわこ)サービスエリア……
諏訪姫(武田信玄の側室)のゆるキャラが、大きく宣伝されていました。
ゆるキャラの名前も、そのまんま「諏訪姫(すわひめ)」です。
諏訪姫の好物は、塩ようかんと、たくあんとカレーだそうです。
何で、好物がカレーなのかよく分かりません(笑)
休憩時間というのはそれぞれ10分ぐらいですので、サービスエリアの中でそんなにゆっくりしている時間はありません。
すっかりと、夜が更けてしまいました。
最後の休憩場所が、山梨県にあるこの談合坂サービスエリアです。
戦国大名の武田家と北条家がここでいろいろ取り決めをしたので「談合坂」と呼ばれているのだとか言われますが、実際の所は良くわかっていません。
そして、ようやく東京の「新宿バスタ」へ到着です(^^)
これから、いつもの忙しい生活が始まります。
四柱推命講座の開始まで、もう残された時間もわずか……
今日から間髪入れず、仕事頑張ります!!