今日の東京は、朝から晴れていて、ベランダから入ってくる日差しが眩しいです。

 

 お昼からは、Online自然派四柱推命中級講座の2日目……

 気合い入れて、やらせていただきます!!

 

 今回、中級講座テキストのレターパックライトを投函したのが、本当に講座開始直前で、中には到着しない所も出てくるかも知れない…… と覚悟を決めていたのですが、奇跡的に全員の受講生の方に1日目の講座開始前までに届いていました。

 

 郵便局のポストに投函した時、受付をする方に、不安そうにいつ先方に到着するのかを聞いていたのですが、もしかしたら特別に取り計らってもらえたのかも知れません。

 本当に、感謝しかないですね!!

 

 最近、毎日が幸せに満たされていて、楽しくて仕方ないんです。

 

 昔の僕の人生は、不幸の毎日の連続でしかなかったし、毎朝、学校やアルバイトに出掛けようと玄関のドアを開けるときには、今日は嫌なことが何も起こらなければいいなあ…… と、毎日おびえるような気持ちで生きていました。

 

 そんな風に恐れながら生きていると、嫌なことが起こるモノなんですよ。

 恐れの気持ちが、現実を引き寄せてしまうのだと思います。

 

 あの頃は、自分のことが大嫌いでしたね。

 だからきっと、自分で自分のことを不幸にしたかったのではないかと思います。

 

 いつも、自分に腹が立って仕方なかったんです。

 そうやって生きていると、ツイていないことが次から次へとやってきて、ますます腹が立って死にたくなる……

 

 そうやって不幸の蟻地獄に入っていくような悪い癖は、12年前にパリに行った頃になおったと思っていたのですけど……

 (2012/4/22パリブログ 「パリに行って変わったこと」 参照)

 

 ところが、この一年半の長い休暇中、あの昔の自己嫌悪の感覚がまた戻っていたんです。

 おそらく、大切なことを思い出すために、忘れていたあの頃の感覚を、もう一度体験する必要があったのだと思います。

 

 昨日のブログに書いたように、やっぱり自分の体は二つの存在があるように思うんですよ。

 

 それまでは、一方の自分の存在しか認識できていなかったので、自分のことをどんなに自分で虐げようが、別に人に迷惑を掛けている訳ではないし、自分の勝手だ…… と考えていました。

 

 ところが、そうでもないんですね。

 

 斎藤一人さんの本には、よく「まずは、自分を幸せにすることが大事」ということを書かれていますけど、やっぱりそれは正しかったのだなあ、と痛感しました。

 

 もう一方の自分の存在は、自分と全体との境界線が曖昧なので「他人を苦しめることは良くないことだが、自分を苦しめることは自分の自由だ……」とは、ならないんですね。

 スピリチュアルの世界では、主体の境界線がなくなって、言葉でいう所の「主語」がなくなってしまうなどと聞いたことがありますが、まさにそんな感じです。

 

 いつも自分のことを責めて、自分を犠牲にしながら生きている人には、良い人が多いです。

 それはある意味、向上心の裏返しでもあると思いますし、僕は割と好きですね。

 

 他人を苦しめているのに、言い訳をして自分を全く省みようとしない人よりも、個人的には、はるかに好感が持てます。

 

 でも、少しだけ厳しいことを言うと、自分が苦しめているその相手が、他人であっても、自分自身であっても、自分と他人の境界線がない世界においては、大して変わらなかったりします。

 

 いつも自分を責めてしまう真面目な人が、最初にやるべきことは「自分のことを受け入れる」ということかも知れません。

 

 自分のことを受け入れられるようになると、目の前に広がっている世界からも、自分が受け入れられるようになります。

 

 今、自分が見ている世界と自分自身の意識というのは、実は、見えないところでつながっていますから……

 

 そして運命からも受け入れられて、幸せで満ちあふれている未来へと導かれていくはずです。