気がつけば、5月も残り一週間になってしまいました。
本当に月日が経つのは、あっという間ですね。
つまらないことにこだわって、そこに時間を掛けていると、大切なことが後回しになってしまって、いろんなことが間に合わなくなってしまうなあ…… と最近しみじみと感じるようになりました。
少し前まで、人生というものは、悩みに事欠かないと言いますか、人間とは生きづらいものだなあ…… などと考えていたのですが、今はその思考自体が、何だか幻のように思えてくるようになったんです。
今では、人生というのは、自由に満たされていて縛られているものなんて何もないし、可能性というものは無限にある…… と確信するぐらいに至っています。
こう感じることができるようになったのは、あの苦しかった一年半の間に培ったものの影響が大きいです。
だから今は、あの日々に感謝の気持ちしかないですね。
それで今、とても不思議な感覚なんですけど、自分というものに二つの体の存在を感じているんですよ。
こんな話をしたら、頭がおかしいのではないかと、思われそうですけど(笑)
一つ目の体というのは、いつもの自分の体です。
生まれてからずっと変わらない、この小さな自分の体のことです。
赤ちゃんの頃から比べると、もうかなり大きく成長して、今では少しずつ老化の一途をたどりつつありますけど……
この体を意識すると、だいたい頭のあたりに自分の大元があるような気がして、何だか重苦しいし生きづらい……
昔からずっと変わらない頑固な性格に支配されていて、この体がたどる運命というのは、おそらくはほとんど、決まってしまっているような気がしますね。
占星術師アラン・レオは「性格が運命を決める」と言いましたけど、家系の因縁のせいなのか、前世のカルマのせいなのかもよく分からないですけど、この体にこびりついた自分の性格は、そう簡単に変わりそうにありません。
だから、ちゃんとした運命学はしっかりと当たるし、未来が分かるサイキック能力を持っている人なら、ピタリと僕の未来を当てられるんですよ。
今までそういった能力を持つ人にも、何人かお会いしたことはありますが、やはり僕の根本的な性格やある程度の未来をちゃんと当ててくれます。
それで今までは、自分という存在はこの一つ目の存在だけなんだ…… と思い込んでいました。
グノーシス思想なんかでは、「我々は、デミウルゴスという神に肉体という容れ物に押し込められてしまった存在なんだ」と考えるのですけど、まさにそんな感じで息苦しくて、生きにくいと言いますか……
とっても 生きにくい…… by トガヒミコ(笑)
でも、最近になって、もう一つの自分の体の存在を感じられるようになったんです。
もう一つの体と言ってしまうと、少し違うかもしれません。
それは、間違いなく自分なんですけど、大きな全体につながっていて、自分はその一部なんです。
いや、「その一部」という表現も違っていて、境界線はない感じですね。
元々、同じ空間に重なって存在していたと思うのですが、あまりにも、いつもの体の方にばかり意識が行っていたので、こっちの自分の存在に気がつきませんでした。
今でも、今までのいつもの自分の方に意識を向けすぎると、こっちの存在を忘れてしまいます。
それぐらい微細で、あるかないか分からないような存在です。
当然、目に見える存在ではないのですが、「これは、エネルギー体です」とか言ってしまうと、また違ってしまうように感じます。
活動している肉体だって、エネルギー体ということになってしまいますし、それよりももっと微細な存在ですね。
そして、自分という存在は、これまでのいつもの体と、もう一つの存在の重なり合った所にいるんです。
すみません…… 完全に頭のおかしな人ですね(笑)
いつもの方の自分は、宿命というものにほとんどがんじがらめになっていますし、ほぼほぼ運命の通りの人生を歩んでいくのだろうな…… と思います。
もちろん、必死にあがいて頑張っている時には、意識できなくてももう一つの自分が、無意識の部分で何とかして運命を動かそうとし続けるとは思うのですが……
でも、もう一つの自分の存在は、一切運命の筋書きには縛られていないですね。
完全に自由ですし、可能性のかたまりのような存在です。
だから、こっちの自分を強く意識できたら、もう一つのいつもの自分の性格や行動も少しずつ変化するし、決められてしまった宿命だって覆せるんじゃないかな…… って、最近そんな風に感じるんですよ。