九州への旅を終えて、今日と明日は自然派四柱推命講座の日……

 メールをくださった皆さま、返信がすっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。

 

 開聞岳とあちこちの神社で、思いっきりパワーを充電したので、めちゃくちゃ元気です。

 

 そして、今日2月10日は旧正月……

 

 これにて、文句なしで正真正銘の「甲辰」の年の始まりです(^^)

 

 現代の日本で一年の始まりといえば、1月1日の元旦をさすので、この日に辰年(現代人のほとんどは、十干の「甲」は意識しない)が始まるという認識になるのですが、日本がそうなったのは、明治5年11月9日の太政官布告からです、

 

 ちなみにそれまでの日本人の生活は、およそ二種類の暦によって成り立っていました。

 

 一つ目は旧暦と呼ばれる「太陰太陽暦」です。

 これは、月の満ち欠けに季節を連動させた暦で、この暦は中国大陸から朝鮮半島を経由して、日本に伝わってきました。

 

 明治時代まで日本で使われていた暦は、およそ中国の暦を元にして、大和朝廷の中務省(なかつかさしょう)内の陰陽寮や賀茂氏、時代が下ると江戸幕府の天文方や幸徳井(こうとくい)家、土御門(つちみかど)家などによって作られていました。

 

 ただし、この暦は月の満ち欠けが元になっているので、一年の始まりが毎年微妙に異なってしまったりして、農作業をするのに使うには、全く適しません。

 

 それを補う為の二つ目の暦というのが「二十四節気」であり、この暦も6世紀ごろ、太陰太陽暦とほぼ同時期に中国から伝わってきました。

 

 これは、太陽の動きに合わせて一年を24等分した暦で、四柱推命で使う月干支の替わり目は、この二十四節気が2つずつ組み合わさったものです。

 ちなみに、この二十四節気をさらに3等分したものを「七十二候」と言います。

 

 そんな訳で、昔の日本では、いつも旧暦(太陰太陽暦)と二十四節気という二つの暦の尺度が存在していたんです。

 

 例えば、徳川家康が生まれたのは、天文十一年(寅年)十二月なので「寅年生まれ」なのですが、これを二十四節気に換算すると「卯年生まれ」になってしまうという訳です。

(2023/12/21ブログ「家康公と三寅参り」参照)

 

 今日の旧正月とは、一つ目の旧暦(太陰太陽暦)のお正月のこと……

 

 この太陰太陽暦の正月のことを「春節」と言って、今日は台湾や中国、韓国では、盛大にお祝いします。

 

 そして、今日でもって、全ての暦において完全に「甲辰」の始まりです!!

   今日の村野先生のブログは、春節がテーマのはず(^^)

 

 皆さまにとって、この甲辰の一年が素晴しい年になりますように……