今年の2月のこと……
これは、僕がこうして仕事に復帰する前、まだ家に引きこもっていた頃のお話です。
その頃の僕は人間不信のまま、何もかもにやる気を失っていた状態でしたが、それでも占い師の性(さが)か、毎日、巡っている干支だけは気に掛けていました。
忙しくなった今では、今日の日干支が何だったかを忘れてしまうことも多いのですが、あの頃は一日中暇でしたから、いつもその日の干支を頭の中に思い描いたりしていましたね。
今年(2023年)の年干支は「癸卯」……
そういえば、徳川家康が生まれた年の干支も、本当は癸卯になるんだっけ…… などと思いを巡らせてみました。
家康が生まれたのは、天文十一年十二月二十六日の寅の刻…… 寅の年・寅の日・寅の刻に生まれたことから、家康は「虎童子の化身」などと言われ「三寅(みとら)の福」を持っているなどとも言われたそうです。
とはいえ、これは旧暦(太陰太陽暦)の話であって、二十四節気に対応させるためにグレゴリオ暦に変換すると、家康が生まれた日は二月半ばとなって立春をまたいでしまい、翌年の卯年となってしまいます。
つまり、家康の生まれた八字は、グレゴリオ暦(この当時はまだユリウス暦でしたが、より厳密な太陽暦であるグレゴリオ暦で逆算すると)では、1543年2月10日となって……
時 日 月 年
壬 壬 甲 癸
寅 寅 寅 卯
となります。
寅の年ではなくなってしまうものの、その代わりに生まれた月が寅になって「三寅の福」を持っていることには変わりないというのが、何とも面白い所です。
今年の2月、部屋に引きこもって布団にくるまりながら、暇つぶしに、もしかして今月家康と同じ八字が巡る瞬間なんてあったりするのかな…… などと万年暦をめくってみると、どうやら2月13日の午前3時からの2時間は、本当にその干支が巡るらしい……
昔からの家康ファンの僕としては、いてもたってもいられなくなりました。
当時、暇をもてあまして考えることといえば、この干支が巡る瞬間をどうやって過ごそうかというものです。
最初は、愛知県の岡崎に出かけて、家康が生まれた場所である岡崎城の周辺でその瞬間を過ごそうかと思ったのですが、いやいやいやいや……
寒いし暗いし、明け方の4時にそんな場所をウロウロしていたら、不審者だと思われるだけです(笑)
そうこうしている内に、伊勢の占いとアロマのお店の月美結貴さんから「奈良県の信貴山朝護孫子寺(しぎさん ちょうごそんしじ)の玉蔵院で、寅の月、寅の日、寅の刻の三寅参りをしてきました」という連絡が入りました。
月美さんから教えていただいて、早速、玉蔵院のことを調べてみると、なんと2月13日の午前3時からも、この三寅参りがあるではありませんか。
深夜の岡崎城を徘徊(はいかい)して不審者だと思われるよりも、家康が生まれた瞬間に、朝護孫子寺玉蔵院で家康と同じ福である三寅参りをして過ごす方が100倍有意義だと思った僕は、さほど修法に興味がある訳でもないのに、早速その申し込みをしました。
こんな不純な理由で、三寅参りの御受戒会(おじゅかいえ)を申し込んだ人間は僕一人だと思いますね。
玉蔵院には、その日全国からたくさんの人が集まっていて、宿坊は男女別の大部屋でたくさんの人と一緒に泊まりました。
中には占いに関してプロ以上に詳しい方もいらっしゃるし、たくさんの著名人をクライアントに抱えるスピリチュアル・カウンセラーの方もいらっしゃるし、お話をしてみると、すごい方ばかりなんですね。
当時の僕は、まだ人間不信の引きこもり状態でしたし、御受戒会のことにも修法のことにも全くの無知で、そこでは完全に場違いな浮いた存在でしたが、今、特別な場所に来ているのだということは肌で感じました。
月美さんとは、玉蔵院の夕食の時に一緒になって、言葉をかわすことができました。
宿坊の就寝時間は早いのですが、いよいよ当日の寅の刻が近づいてくると思うと、そわそわして午前2時の丑三つ時には、すっかり目が覚めてしまいました。
そして、寅月寅日寅刻、つまり徳川家康の命式と同一干支のその時、玉蔵院にて御受戒会を授かり、その後、浴油堂(よくゆどう)での護摩(ごま)祈祷や、本堂での毘沙門天の大般若(だいはんにゃ)祈祷にも参加させていただきました。
翌日の朝、こちらは朝護孫子寺の大寅……
小雨が降る中、宿坊で知り合った親切な方が信貴山のことをいろいろ案内してくださって、Nさんがお勧めしてくれた剱鎧護法堂(けんがいごほうどう)や、かやの木稲荷、塔頭の千手院などにも巡らせていただきました。
家康の命式と同じ干支の日、思わぬ形で、とても充実した一日を過ごすことができました。