足助城 ~と愛知・名古屋の中小企業・相続・離婚専門弁護士~ | 名古屋市の相続・シニア問題に強い弁護士のブログ|愛知県

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私は6月初旬、森の緑を見ようと思い、香嵐渓から足を延ばし、足助城へと散策をしました。
足助城といっても、城跡公園となっており、当時の基礎柱をもとに、お城が復元されて建っています。
私は、初めて足助城を訪れました。

足助城は、足助町の中心にあります標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城です。
(足助町は、豊田市と合併して、豊田市足助町となりました。)
 


鎌倉時代は足助氏の居城の一つとして、15世紀以降は、鈴木氏により築城され、足助城により西三河山間部が統治されました。
16世紀に入ると、岡崎の松平氏に攻め寄せられ、鈴木氏は松平の傘下に屈し、1554年には、今川家に攻められ、鈴木氏は今川側に降ります。
1564年には、松平元康(家康)に攻められ、松平の傘下に、1571年には甲州・武田信玄に攻められ、武田側に落ち鈴木氏は追放され、武田の家臣が城主となります。
1573年には、松平家康が攻め、武田勢を追い払い、旧主鈴木氏を城主とします。
1575年に、武田勝頼は、1万5000名の兵を率いて三河に攻め入りますが、5月の長篠の合戦で敗北して、三河山間部は松平氏が支配するようになりました。
足助城は、1590年、城主鈴木氏が松平家康の命に従って関東に入国し、廃城となりました。


西三河山間部の入口にあたる比較的低地な足助町でさえ、松平・今川・武田の3氏による激しい支配争いが繰り広げられていたことを知りました。
いわゆる「高地民族」の代表である武田氏が、当時いかに強大で強力であったかを知りました。
そして、その盛衰は、やがて「低地民族」である織田・豊臣・徳川の勝利、支配となっていきます。経済力の中心が平地の農業と商工業に移っていったことの反映だと思いました。 


山城である足助城から、眼下を望む街並みを眺め、この地で松平・今川・武田の3氏による争いが行われていた当時に思いをはせました。


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■ 不動産・相続 
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名古屋の当事務所から、東へ直線距離で約50kmの所に、足助城があります。

私が不動産・相続に取り組むようになってから、濃尾平野とその周囲の山間部の歴史・風土と交易・支配の攻防の繰り返しに興味を持つようになりました。
足助城で松平・今川・武田の3氏による激しい支配権争いが繰り広げられていた16世紀ごろ、濃尾平野には「中島」という大きな島があり、港町の島の「津島」から「枇杷島」、「飛島」などの島々と熱田神宮にかけて、海と島々と低地帯が広がっていたのでした。

今、相続で争われている不動産・土地の価値は、当時はないか、あっても大変低いものだったのです。
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