「本川、新聞販売店やめるってよ」 | ほんさんブログ

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㈱Snailtrack(朝日新聞販売店 ASA淡路・豊里)社長のほんさんが、「新聞販売店と学びの日々、ときどき子育て」を綴ります。

 

 

長らくブログの存在を失念しておりました(3ヶ月ぶり!)

 

 

10年続けてきたブログですが気付けば大物アーティストのアルバムリリースぐらい気まぐれな間隔になってしまい、これで書く内容まで大物女優が晩年出すエッセイのように、たゆたうように、徒然なるままに着地点も決めずに書いてしまったらそれこそ「こじらせ過ぎ」なので、今日は1つの報告についてちゃんと書きたいと思います。

 

 

 

今日のテーマはズバリ、

 

「本川、新聞販売店やめるってよ」

 

 

です。

 

 

 

 

そうです。

 

23歳で業界に入って丸20年。

創業して12年。

東淀川に移動してきて9年。

 

僕なりに走り抜けた、愛してやまなかった新聞販売店を10/31で卒業しました。

 

 

※10月某日。後任の神崎所長と。

 

 

 

 

近しい人やお世話になった人には可能な限り連絡したつもりですが、この記事で「聞いてないぞ!」となった方は申し訳ありません。

 

ここ数ヶ月何百回と説明してきたので僕自身は説明に吐くほど飽きてしまってますゲラゲラ、少なくとも僕は多くの業界の人たちを良くも悪くも焚きつけてきた責任があると思うので、改めて書きますね。

※長くなりますがお付き合いください

 

 

 

まず大前提として、

 

・経営が悪化した

・本社とモメた

・大病を患った

 

などのネガティブな卒業ではありません。

超前向きな卒業、言わばCreative graduation(創造的卒業)です!

 

 

 

卒業する大きい理由は3つ。

 

 

①飽きた

 

新聞販売店のビジネスモデルに惚れていました。

特に安定しているストックビジネスだというところと、多角化しやすい軸足としての機能(人をたくさん雇用できる、地域に根差してる、集客機能がある、安心される看板があるなど)。

朝日新聞社も大好きでした。

販売局の皆さんは順境では応援してくれ、逆境では助け支えてくれました。

こんな自由奔放でわがままな僕の手綱を上手に握って下さり、20年間最高のパートナーであり続けてくれました。

部数を追いまくった前半も楽しかったし、多角化に乗り出した後半もエキサイティングでワクワクでした!

だけどいつからか「新聞販売店を存続させること」が目的になり、

「楽しいから」「ワクワクするから」よりも「本社に恩があるから」「大好きな業界を自分の手で変えたいから」といった使命感で続けている状態になっていました。

もともと超飽き性で、モチベーションは常に「楽しいから」「やりたいから」しかない僕にとって、使命感で自身を動かし続けることに飽きてしまったというのが本音です。

 

 

 

②野生の経営者になりたい

 

業界外の人にはちょっとイメージしにくいかもですが、新聞販売店ってすごく守られた業界なんですね。

法律的にも仕組み的にも、社会からの見られ方的にも・・です。

それってすごく恵まれた環境なんですが、卵から孵って幼魚時代まで別のケースで隔離されて守られて、成魚になってからも養殖網の中で安全を担保されてる・・みたいな感覚がありました。

もちろん新聞販売店の現状は厳しいです。

余裕の経営をしている販売店は少ないと思います。

問題は「厳しくなったのに養殖魚の思考から抜け出せないこと」です。

今回、「本川が見切りをつけたのならこの業界も終わりだな」みたいなメッセージをたくさんいただきました。

もちろん過大評価だしあいさつみたいな深い意味のない言葉だとは思いますが、多分それは深層心理から出ている言葉で、言い換えると「本川が見切りをつけていないからまだこの業界大丈夫だろう」と今まで思っていたということ。

集団浅慮。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」です。

それを言った人を「イケてないよね」と言ってるのではなく、自分も含めてこの集団浅慮に陥っているし、これは「自分は違う」と思っていてもその集団にいる限りは影響を受け続けてしまうもの。

特に僕は、案外周りの思考の影響を受けやすい性質なのです笑い泣き

 

43歳。

これからまだ20年以上経営者を続けるとしたら、そろそろ野生の経営者になっておかないと(自分の場合は)ヤバイなと考えたのでした。

※くれぐれも誤解なきようですが、販売店みんなが「養殖だ」なんて言ってるわけではないですよ。あくまで全体としてそういう思考に陥っていて、僕はそこから抜け出せなかった・・という話です

 

 

 

③シンプルにもっとやりたいことがある

 

①ともつながりますが、結局はまぁこれが一番です。

コロナ禍でやっぱり「これからの人生で何に時間を使っていきたいか」を真剣に考えました。

本当にやりたい仕事だけをしたい。

本当に「一緒にやりたい」と思える人とだけ働きたい。

本当に食べたいと思うものだけを食べたい。

本当に観たいAVだけを観たい。

少し前までは

「新聞販売店をしながらでもできるじゃん。相乗効果出るようにやればいいじゃん」

と思っていたのですが、なんだかそれも「本気で新聞販売店をど真ん中でやっている人たちに失礼なんじゃないか」と思うようになってきました。

 

今考えている「本当にやりたい仕事」は、

・自分の好きなこと得意なことで新聞業界に恩返ししたい

・ゼロイチでビジネスを創ってみたい

・人生の後半は社会課題解決につながる仕事がしたい

・それぞれでインパクト(規模)を出したい

です。

具体的な話はいずれまたどこかで発信していくと思いますが、どうかこれからの本川の動向に(監視の意味で)注目いただければと思います。

 

 

 

 

 

今日は20年間の感謝を込めて、僕と同時に新聞販売店を卒業する弊社ガッキー・ユウタと淡路豊里店と車両の掃除をしてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜか娘たちも手伝ってくれましたウシシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後任の神崎所長は同じ大阪市内からの移動で、付き合いも長く僕の仕事も理解してくれている僕的には最高の後任所長でした!

 

 

今日から僕の愛したお店を、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

ここで以前ある大会用に作ったムービーを自分の卒業用に再編集したものを添付したいなと思います(編集したから怒られないハズ)

 

https://www.youtube.com/watch?v=YxcRKB-6N5c&feature=youtu.be

 

 

 

 

 

 

ステレオタイプな40代ってたぶん、

 

経済を安定させて自分の生活と家族を守るため、経営者ならスタッフやその家族を守るため。

 

自分の思いなんて二の次で、「やらなきゃいけない」ってみんな矛盾も清濁も併せ呑んで頑張ってんだって、

 

呪文のようにそう言い聞かせて、様々な自由を追いかけたい欲望に蓋をしているようなイメージ。

 

そんな姿がきっと「自由」が優先順位1位の若者の目には「死んだ魚の目をした大人」に映るのだろうかと。

 

そしてそれをどこかで自覚しているから、多くの中年に半沢直樹が刺さるし、大人も子どもも鬼滅にハマるのかなと。

 

 

 

自由と責任はセットで、

 

自由を手に入れるには手放さなきゃいけないものがたくさんあって。

 

43歳はなんと43年も生きてきてるので背中にも両手にもたくさんの荷物を抱えてるから、なかなかその「手放す」が難しかったりするんですよね。

 

 

何より、自由って「能力」が必要です。

 

才能じゃなくて能力(努力で手に入るものという定義で)

 

本当はどんな人でも自由に生きる権利があって、生きていける社会が理想。

 

それは大前提だけど、現実はまだそうじゃなくて、大人が本気で自由を貫くには能力がいる。

 

 

昔からよく言う、

 

・経済的な自由

・時間の自由

・人間関係の自由

 

ですね。

 

 

 

 

能力のある人が自由な世界(範囲)を広げていって、まだ能力がない人たちも自由に生きていける社会を作っていく。

 

 

漠然とだけど、それが自由に生きる人の責任なのかなと。

 

 

 

自分に能力があるのかはわからないけど、求めなければ手に入らないわけで。

 

努力で手に入るなら手に入れてやろうって。

 

そう考えると、43歳で「本気で自由に生きていく」と決めることは世の中を一歩前進させる可能性があって、もしかするとちょっとだけ世の中を良い方向に変える決断なんじゃないかと思えてきますw

 

 

 

とりあえず「何かを手に入れるには何かを犠牲にしなければならない」って生贄の心理を手放すところから。

 

 

仕事の成功も、家族や仲間の幸せも、心の平穏も、社会に貢献する生き方も、全てを追いかけていいんだと気付くこと。

 

だからたまにはオールでゲームやったっていいし、思い付きで旅行に行ったっていいんだぜ。

 

 

 

 

ってことで、新生Snailtrack。

 

11/5~11/7の3日間、いきなり石垣島に社員旅行行ってきます!ゲラゲラ

 

 

 

 

 

思い切り遊んでから、死ぬ気で仕事するぞ~!!