第10回 2019年11月23日 『一葉』 | 加賀乙彦オフィシャルブログ
 一葉(ひとは)落ちて衰亡の予兆とするのは桐に決まっている。が、なぜ桐だけなのだろうか。私はどうしても納得できない。第一、私の信濃追分の別荘の庭には桐の樹などはない。でも毎年、どの樹が真っ先に一葉を落とすかを、競争でもさせているように待ち構えてはいる。

今年の夏は暑かった。いつまで経っても秋は来そうにない。そんな或る日の午後、筆を休めて庭をぼんやり見ていた。一枚の葉がひらりと落ちてきた。黄色い葉だ。私は庭に駆け出て、その葉を探した。虫のように動いている黄色い、しかし、萎んだ葉を見付けて、拾いあげた。見上げると梢のあたりに黄葉(こうよう)が一叢(ひとむら)、輝くように光っている。コブシだ。赤い実が金色と美を競っている。今年の一葉優勝者は君だったのか。私は蒼黒い幹を撫でてやる。ざらざらとした木肌が雨風と戦った時間を沁み出して来る。

40年前、この樹は小さな実生(みしょう)であった。女房は幼い樹木のまわりの草を抜き、割り箸で支えを造り、堆肥を一つまみ与えて、そっと水を掛け「大きく育ったらどんな樹になるかしら」と目を細めた。その後、この樹を寵愛するようになり、別荘に来るたんび、真っ先に近寄り、雑草を払い、日光を遮る樹を伐り、という具合であった。そのせいかこの樹は育ちがよく、すくすくと丈を伸ばした。樹の身の丈が自分を超えたときは大喜びでビフテキで祝賀の宴を張り、その汁をちょっぴり樹にかけてやったりした。

 が、それからどうしたっけ? そう、管弦楽団のヴァイオリン弾きになってから、子どもが受験勉強のため塾がよいを始めてから、自分の母親が老いて病気になってから、なにかと東京に足止めされて、高原に来られなくなったのだ。そのうちに、このコブシは忘れられた。そして私も忘れていた。そして女房は脳出血で倒れて亡くなった。

 私は幹を撫でた。その時、不意に風が立った。梢が沸き、黄金色(こがねいろ)の葉の群れがきらびやかに舞った。乱舞であった。耳たぶに風音ではない声がささやいたようだった。