実朝と公暁--「黄蝶舞う」と「悲鬼の娘」② | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

今夜の義時の「斬り捨てよ」は、

個人的に“蝉の抜け殻”

“比企の尼”に並びます。

 

政子のリアクションには納得。

 

それにしても、あと三回で、この姉弟が

いったいどういう結末へとたどりつくのか。

 

主役に“神がかっている”とまで

言わしめた三谷脚本。興味津々です。

 

 

さて、ここからは

前回の続きと

いうことになるわけですが、

 

とにかく、ああいった次第で僕は、

いずれ「黄蝶舞う」となる

原稿をこの手でものすべく、

 

まずはいろんな資料に

当たるところから

着手していったわけです。

 

あ、この辺りで一応書影だけ。

 

ですので今回は主に

本書の表題作の話です。

 

基本はですから実朝メイン。

 

いやしかし、勉強している間

ずっとびっくり

しっぱなしだった気がします。

 

本当に源実朝というお方は

なんとも異質な人物でした。

 

ある意味超人的というのが

いいのかもしれないくらい。

 

大河『鎌倉殿の13人』では

こと実朝の夢想に関しては

 

唐船の陳和卿にまつわる

例の前世の夢の逸話が、

扱われただけだったのですが、

 

とにかくあんな挿話ばかりが、

次から次へと出てくる出てくる。

 

あまりにも面白かったもので、

極力「黄蝶舞う」でも

拾うようにしましたので、

 

以下はある意味、同作のネタばれに

なってしまうといえば

いえなくもないのかもしれないのですが、

 

そもそも基本は吾妻鏡に

しっかり書いてある内容なので、

もう書いてしまうことに致します。

 

 

まずは和田合戦の前夜の

酒宴の際のエピソードですね。

 

宿直(とのい)として

御所に詰めていた雑兵二人に

将軍がじきじきに声をかけ

 

いずれ互いが敵味方に分かれ

刃を交え合うだろうことを予言し、

 

実際その通りになったというやつです。

 

それから、合戦後の普請中の御所で

女性の幽霊に出会ったという挿話。

 

史料では、青女、と表現されています。

 

さらには和田義盛の一族郎党が

将軍の夢枕に現れたという一件。

 

こういうのが、史書である、

つまりは事実をとどめる目的で

編纂されたはずの

『吾妻鏡』に平気で書いてある。

 

いやもちろん、中世であれば

夢というものの持つ意味も

 

僕らの考えるそれとは

かなり違っていたのだろうし、

 

そもそも合理性という概念が

あるのかどうかもわからない。

 

でも、こうなってくると、

その直後に出てくる

 

江ノ島が一夜にして

陸と繋がったという話も

 

ひょっとして

本当だったんじゃなかろうかとさえ、

どこかで思えてきてしまう。

 

そういえばこの近辺

地震の記載もずいぶん見つかるし、

とか、つい思ってしまいました。

 

 

そして極めつけだったのが、

鶴岡での拝賀式に出発する直前に

実朝が詠んだとされる一首です。

 

今夜の「八幡宮の階段」でも

かなりクローズアップされていましたが

 

こういう歌です

 

 出でていなば主なき宿と

 なりぬとも

 軒端の梅よ春を忘るな

 

野暮を承知で大意を書き下しますが

つまりはこういうことです。

 

私が出かけてしまえば

この建物はあるじを失うことになるが

庭の梅よ どうか春が来たらまた

忘れずに咲いておくれ

 

――正直、唖然としました。

 

自分がこれから死地に赴くと

わかっていたとしか思えない。

 

この人はいったい何者だったんだ?

 

そう思いながら今度は

彼の遺した和歌を

改めてチェックしていって

ぶち当たったのが、

 

先にツイッターでも紹介した

あの一首であります。

 

 神といい仏といふも

 世中(よのなか)の

 人の心のほかのものかは

 

ツイッターでも書きましたが

これが中世の人間の発想だとは

僕にはとても思えなかった。

 

ちょっと小難しい言い方をすると

唯物論を通過しないと

できない見方だと感じたわけです。

 

そんな具合に、

取材を進めれば進めるほど

 

この実朝という人物は

僕の中である意味

謎だらけとなっていったわけです。

 

 

一方でやはり吾妻鏡の

“黄蝶大小群集す”といった

記載に出会ったあたりで、

 

ああ、タイトルはどうしたって

これしかないよなあとでもいった手応えは

そこはかとなくすでに感じておりました。

 

童女の幽霊を出そう、

正体はあの人にしよう、といった

 

いわば本作の核となる発想は

割りと早い段階から持っていて、

 

そこにこの蝶のイメージが結びつき

山吹の下の童女という

ある意味ではキーとなるヴィジュアルが

 

できあがってきた感じです。

 

この辺りで、とにかくこの

「黄蝶舞う」では

 

実朝という人の生涯を

きっちり追いかけることを

心がけようと決めました。

 

それでまあ、本作だけ

頼朝の「されこうべ」や

公暁の「悲鬼の娘」と比べても

 

倍近い長さになって

しまったわけですね。

 

かくしてこんなぐあいに

材料もどうやら大体頭の中に

突っ込まれたかなといったところで

 

いわゆる“ポリッジを煮詰める”

作業へと入っていったわけですが、

 

ここから先はまた次回。

 

 

なお、実は先ほどの日テレさんの

『行列ができる相談所』で

 

『ミッドナイト・ライブラリー』が

古市憲寿さんに、ありがたくも

今年一番の本として紹介されました。

 

こちらもよろしくお願いします。

 

 

装丁がすごくいいので

クリスマスプレゼントにも

向いているのではないかとか

思わないでもないでいるのですが、

 

書店さん等で

お手にとっていただければ幸甚です。

 

しかしすごいな。

 

某ネット書店二箇所ともで

もう品切れになってるや。