『ボクのクソリプ奮闘記』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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今週末からいよいよ

浅倉11冊目の訳書となります。

 

ディラン・マロン著

『ボクのクソリプ奮闘記』が

店頭に並んでまいります。

 

こちらになります。

さて、こいつはいったいどんな本か。

 

著者のディラン・マロンというのは

大学卒業後も、

飲食店や雑貨店のレジ打ちなどの

バイトをしながら、

 

NYのアングラ劇団に所属し

舞台に立ち続けていた、

といった感じの経歴の持ち主です。

 

本人は“コントではない”と

本文中で言ってもおりますが、

 

基本は観客を笑わせることを

目的とした舞台だった模様。

 

やがて彼は、『夜の谷へようこそ』という

人気ポッドキャストへの出演を機に

 

自身の活動の舞台を、

大きくネット上へと

スイッチしていくわけですが、

 

知名度がアップするにつれ、

自ずとアラシ的なコメント=クソリプも

否応なく自身の目にまで

入ってくるようになっていきます。

 

一旦はそういうものも、

有名になってきているがゆえの

代償なのだろうとして

昇華しようともするのですが、

 

内心ではやっぱり

じくじくとしたものを

抱え込んだままでいる。

 

前後しましたが、このマロンという方、

ゲイをカミングアウトしていますし、

 

基本はバリバリのリベラリスト、

つまりは民主党支持者で、

 

2016年の大統領選挙では、

当然ヒラリー・クリントンを

支持していました。

 

むしろドナルド・トランプが

勝とうなどとは

夢にも思っていなかったくらい。

 

少なくとも、当時の彼の目に

見えてくる範囲の中においては

ヒラリーが優勢だと信じられていた。

 

この段階でなんとなく、

本人もネットという装置が

切り取っているものが

 

決して世界ではないのだな、と

少しだけ気づき始める訳ですが、

 

この段階では本書の物語はまだまだ序盤です。

 

やがて舞台の上で、

自分の受け取ったクソリプの中身や

誤字脱字などをいじるというネタを

始めたりもするわけですが、

 

この映像を自身のユーチューブチャンネルに

アップしたところ、

 

そのコメントの発信者当人の目にも触れ

フェイスブックにメッセージが届きます。

 

ジョシュという名前のこの高校生と

まずFBのメッセージ欄で

 

それから今度は直接

電話回線を繋いでといった具合に

 

コミュニケーションを

深めていくのですが

 

この彼の、ひいては本書の

極めてユニークなところは

 

このやりとりそのものをまた

自分のポッドキャストとして

公開してしまうという

なんとも大胆な発想にあります。

 

いわばある種の

リアリティーショウですね。

 

本人も半ば自覚的ではあったらしく、

後半のある箇所ではこの一連を自分で

 

“社会的実験とある種の舞台芸術とを

融合させようという試み”

 

なのだというふうに形容してもいます。

 

やがて彼は、この番組を軸として、

さらに今度はネット上で互いに

憎悪をぶつけ合っていた者同士の会話を

 

自分が取り持つことはできないか

といったことを思いつき、

その方法を模索し始めるのですが――。

 

 

訳していて今回すごく新鮮だったのは、

この著者が自分よりも

20歳以上も年下であることを

逐一考えざるを得なかった点ですかね。

 

いやまあ、原著者が

自分よりも年上なのは

トレイシーとデボラくらいで、

 

『レコードは死なず』の

エリック・スピッツナイゲルも

 

『父と僕の終わらない歌』の

サイモン・マクダーモットも

 

年齢的には多少下です。

 

小説作品でも

『ミットナイト・ライブラリー』の

マット・ヘイグも

 

『デイジー・ジョーンズ~』の

テイラー・ジェンキンス・リードも

僕よりやや若いわけですが、

 

とにかく強烈だったのは、

書き文字のみによる

コミュニケーションが

 

まずは個人同士の人間関係の

端緒となっていくということが

 

これほど普通に起きるように

なったんだなあ、という点でした。

 

声も顔も知らないまま

文字のやりとりだけで

 

仇敵になれることもあれば

反対に友人やそれ以上の

関係さえもが生まれうる。

 

本書からだけの影響ではありませんが

訳している間は

そんなことを思っている時間が

少なくなかったように思います。

 

実際マロン自身もやがては

このジョシュのことを

友だち以上の存在だと言っていますし。

 

 

「オカマだってのはそれだけで罪だ」

「マロンって野郎は、リベラリズムの

 一番よろしくない側面を

 体現しちゃってる感じだよね」

「お前はクソのそのまた欠片だ」

「こいつマジで癌」

 

こんな内容を

自分のFBのコメント欄なりに

書き送ってきた相手に

 

“ボクのポッドキャストに出ませんか”と

打診してみるというのは

 

やっぱりかなり果敢な行動だとは

確かにそれはそう思うのですけれど、

 

正直それぞれの会話においては、

無意識なのかそうでないのかはともかく、

 

これ、むしろマロンの方から

マウントの取り合いを

仕掛けているんじゃないの、といった感じで

受け取れてしまう場面も実はありました。

 

ただしまあ、それぞれのやりとりの中で

一つ一つの本人の気づきというか、

いわゆる“アハ体験”的な瞬間も

きちんと切り取られていることは本当です。

 

声を聞くことの新鮮さとでも

呼ぶのがいいのか、

 

それはやはり、僕では十分には

理解できない感覚なのかなあ、と

正直そう思わないでもなかったです。

 

ですので、最初の企画の段階では

担当編集者さんには、

レジュメの提出と一緒に

 

ひょっとして僕では想定し切れない

読み方をされる読者さんも

 

少なからずいらっしゃる

本なのかもしれないですね、と

これは率直に申上げました。

 

ただ著者自身の悪銭苦闘と

それに伴うある種の

成長物語(ビルドゥングスロマン)として

読めたことは確かなので、

 

それでまあ、邦題に

『奮闘記』という言葉が採用された次第。

 

 

ちなみに本件については、

ツイッターでは以前ちらりと

触れてもおるのですけれど、

 

小澤様というこの担当者さんが

『くたばれインターネット』の

訳文を至極気に入ってくださって、

 

本書の内容を鑑み、

僕の文章でやってみたいということで、

 

ご相談をいただいたところから

まずは始まっております。

大変ありがたいお話です。

 

 

さて後半になり、本書にはもう一人

重要な人物が実名で登場してきます。

 

クソリプを送られた側と

送った当人との会話を

なんとか番組として

成立させようとする中マロンは、

 

エマ・サルコウィッツという

一人の女性にたどり着きます。

 

この方は学内レイプの告発者で

その現場にあったマットレスを

運びながら学内を歩くという抗議行動で

 

一時期マスコミの注視を

一身に集めてしまうといった

経験の持ち主でした。

 

“マットレスガール”などという

呼ばれ方もしていた模様。

 

本名を出しての告発だったがゆえ、

SNSの自身のアカウントには

強烈なヘイトコメントが

送られるようにもなりました。

 

いよいよディランはこのエマと

コメ欄で彼女を“嘘つき”呼ばわりした

ジョナサンという人物とを

電話で会話させることになります。

 

おそらくは見本誌で

早速お読みくださったのであろう

山崎まどかさんから、

すでに言及いただいている通り

 

この彼女の章は、本書の一つの

クライマックスを為してもいます。

 

読んでいると

切歯扼腕とはこういうことか

みたいな思いに

苛まれないでもないんですが、

 

この電話でのやりとりと、

さらにはその次に続く章での

 

ジョナサンともう一人の女性

Kを交えての展開については、

 

おそらく皆様いろいろと、

思うところがあるのではないかと

そんなふうに思っております。

 

 

僕らの誰しも、決して選んだわけではない

自分自身の生きている時代というものと

無縁であることはできないわけで、

 

そこには環境や思潮といった

言葉では容易には

定義できない種類のものが

山と含まれていて、

 

本書もまた

たぶんそうしたなにかの一つを

切り取ることに成功しているのでは

ないかなとも思っています。

 

著者の属するY世代の方とか

その前後の年齢の皆様が

本書をどのように読まれるのか。

 

個人的にはそんな部分に

今一番興味を持っております。

 

 

原文のテンポやトーンを

極力損なうことなく

 

かつ日本語としての

リズムをきっちり作ろうという

基本的な訳し方については

本書でも十分注意を払ったつもりです。

 

まあちょっと、遊び的な訳し方を

けっこうやっていることも

今回は本当ではありますが。

 

たとえばKill Youeselfを

“セルフあぼーん”とやってみたり、

 

あるいは“パターン青”なんてのも

ほかでは絶対書かない。

というか、到底使える場所がない。

 

そんな感じでもあるのですが、

お読みいただいている時間が

さほど悪くはなく、

 

むしろ多少なりとも

楽しいものになるようでしたら

大変光栄に存じます。

 

ついでなので、今回は

『くたばれインターネット』の書影など。