ブログラジオ ♯165 Heart of Glass | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ブロンディである。

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いわゆる
アメリカン・ニュー・ウェイヴに
先鞭をつけたのが、

デボラ・ハリーを擁した
このブロンディという
バンドだったのだなあと、

まあ今になってみれば
そんなふうにも把握できる気がする。

ちなみにデボラ・ハリーとはこんな方。

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――すいません。

見つけた時からこれはやろうと
ついつい思ってしまってました。

ジョーン・ジェット(♯163)の
回の記事を読まれた方には、

あるいはお察しだったかとも
思わないでもないですけれど。

ちなみにこのブロンディの名前は
ニュー・ヨークで通りすがりの


トラック・ドライヴァーが、
歩いているデボラを見かけて、

ヘイ、ブロンディと
声をかけていったことに
由来しているというのは
たぶん有名な話である。

そんなある種テンプレートな挿話や
トラディショナルといおうか
些か捻りのないバンド名とは裏腹に

このブロンディーは、
いってしまえば、

70年代から80年代へと遷りゆく
ミュージック・シーンの趨勢を


ことアメリカにおいては、
一人で牽引していったのだとさえ
いえるのかもしれないとも思う。

いやもちろんこの一人は
比喩的な表現であり、
実際は五人か、時に六人の
バンドの全員であるのだけれど、

まあ細かいことは
いいっこなしってぇことで。


もっとも遺憾ながら僕自身は
当時から十分にこのバンドを

ちゃんと評価できていたとは
さすがにややいいがたい。

むしろ近頃改めて、その先鋭性に
半ば唖然としているとでも
いった感じだというのが、
正直なところではあろうかと思う。

残念ながら僕がどっぷりと
洋楽にハマっていく直前の82年に

バンドが一旦解散して
しまっていたせいである。

最後のアルバムの発売辺りは
たぶんリアル・タイムで
見ていたはずではあるのだが、

あまり印象に残っていない。


結局デボラ・ハリーという、
フロント・シンガーの
強烈なキャラクターに

引っ張られて人気を博した
バンドなのだろうくらいに
なんとなくどこかで考えていた。

いや、まあそれも
まるで見当違いだったとも
決していえない訳なのだけれど、

でもやっぱり、それだけでは
あそこまでは売れないわなあと

このテキストを起こしながら
そんな感慨を、今更ながら
新たにしている次第である。


実際彼女たちの実績はものすごい。

79年から82年初頭にかけての
わずか二年間あまりの間で

全米で4曲、全英で5曲を
それぞれトップ・ワンにまで
易々と押し上げているのである。

これだけでも十分に
このバンドがどれほど

あの当時世界を席巻していたかが、
察せられようというものである。


さて、ブロンディのサウンドだが
バンドの形を採っているとはいえ
ロックかといえば
決して単純にはそうともいえず、

当時のNYのそのシーンから
登場してきたとはされているものの

パンクとは明らかに
一線を画しているといっていい。

かといって、当時流行りの
ディスコ・ミュージックに
括ることなど到底できない。

形容するとすれば、
変幻自在とでもいった言葉が
一番相応しいかとも思う。


80年代なる時代が今まさに
幕を開けようかというあの時期に

いきなりこんなものが
登場してきてしまったら、

そりゃあ誰もが
相当驚いたことだろう。

アメリカとイギリスの
両マーケットがほぼ同時に
このバンドに飛びつき、

のみならずこの本邦でも
あれほどのオン・エアと
セールスとを獲得できたのも、


順当な結果だったといって、
たぶん間違いはないと思う。


あの頃まず僕の耳に
最初に入ってきたのは
間違いなくCall Meだった。

特徴的なドラムのローリングの
オープニングに続いて始まる、

ワイルドなギターと
ベースとのリフが
一発で印象に残ったものである。

裏側では高音のシンセが
キンキンに鳴ってもいて、
それがまた耳新しく響いた。

シンプルだけれど斬新な
Aメロのラインも、
すぐに頭に入ってきたし、

タイトルのシャウトから
導かれていく
強烈なサビもまた然り。

全編が極めてキャッチーで
同時に十分クールだった。

中坊次代に深夜のラジオを
聴き始めた頃の記憶は、
この曲と密接に結びついている。

そしてその後続けざまに
Tide Is HighとRaptureとが


どちらもやはり頻繁に
オン・エアされていたように
記憶している。

しかもこの両曲ともが、
先のCall Meをやっていた

同じバンドの作品であるとは
とてもすぐには
信じられなかったものだった。

当時『夢見るNo.1』の邦題で
紹介されていたTide Is Highは

そもそもは66年のパラゴンズなる
ジャマイカのレゲエ・バンドの
ヒット曲であったらしい。


78年に一度、こちらもやはり
ジャマイカのシンガー

グレゴリー・アイザックによって
カヴァーされてもいたようなのだが、

後年マキシ・プリースト(♯64)や
あるいは英国の

アトミック・キトゥンなる
女性グループによる
新たなカヴァーが生まれてきて、

同曲がレゲエのスタンダードの
一つにまでなっていくのも、

このブロンディのヴァージョンが
あればこそのことではあろう。

そしてもう一方のRaptureは
ラップの先駆だったと
断言してしまっていいはずである。

とにかくこれもまた
実に不思議なトラックなのである。

ハンドベルかカウベルかとでも
いったような音色の、

イントロからいきなり
登場してくる不穏なラインと
巧妙なブラスの導入が、


ほかには似ているものの
簡単には見つからない

この曲の異様な雰囲気を、
過不足なく演出してくれている。

曲の終盤に登場する
デボラのラップは

なるほどまだ少なからず
ぎこちないかもしれないけれど、

でもたぶん、
NYのストリート・シーンで、


まさに芽を吹いたばかりだったに
違いないこの歌唱のスタイルを

いち早く商業レコードに
取り入れていたという
その一点だけでも、

このバンドの音楽的な先見性が、
十分窺われようというものである。

蛇足という気もするけれど
もちろんこのRaptureは

ラップをフィーチャーして
史上初めてトップ・ワンを
獲得したシングルという
栄誉に輝いてもいるのである。


さて、以上の三曲がもちろん
全米でのトップ・ワン獲得曲の
四曲のうちの三つなのだが、

彼女たちに最初にその栄光を
もたらしたトラックが

今回のピック・アップである
Heart of Glassなのである。

ちなみに英国では
実はRaptureがトップを逃し、

代わりにSandy Girlと
それからAtomicとが
一位獲得を果たしている。


この辺りもなんだか
英米のリスナーの違いが

如実に出てきているようで、
非常に興味深くはあるのだが、

まあでも今回は
Heart of Glassの話に
そそくさと戻ることにする。

まさにこれ、
ダンス・フロア向きの
トラックであるといっていい。

実際ギタリストの
クリス・シュタインか誰かが
この曲については、


クラフトワーク(♯112)と
ビージーズ(♯129)の
Stain’ Aliveを意識しながら

音を完成したといったようなことも
どこかでコメントしているらしい。

まるほどまさにそんな感じ。

そもそもこの頃のブロンディは
まだNYパンク・バンドの

一つとして
紹介されていたはずである。

ディスコ・ミュージック全盛の
シーンというかマーケットへの

ある種のアンチ・テーゼとしての
位置づけを

このパンクというムーヴメントが
担っていたことは容易に察せられる。

その彼らが、あえて
ディスコ・サウンドに
接近していく。

このそもそもの発想だけで
それをできることがすごいと思う。


しかもそこに、
まだ隆盛したばかりであった
テクノを持ち込もうというのが、

一筋縄では行かないよなあとでも
いえばいいのかなんというのか、

まあいってしまえば天才的である。

ポップ・ミュージックというのは、
いわばハイブリッドの可能性を
模索し続けることで、

結果として新たな局面を
切り拓くという
進化の仕方をするものだと


自分では勝手に
そんなふうに考えている。

ビートルズ(♯2)やボウイ(♯7)が
採り続けた方法論が
まさにそういうやり方だった。

だからこのブロンディという
バンドの存在も、

ある意味でその脈絡で捉えて
然るべきなのかもしれないと、

改めてそう思っているこの頃である。

つけ加えれば、ボウイがあの
Let’s Danceで

ディスコ・サウンドへと
急激に接近し、

結果としてそれまで以上の
いわば超メジャーな存在へと
一気に駆け上がっていったのも、

このHeart of Glassの
採ったアプローチと
実は比定できるのかも知れないと

まあそんなことまで思わず
つい考えたりしてしまっている。


ほか、いつだったか、
Lionheartvegaさんが
ここでのコメントで
触れて下さったDreamingは

やはりわかりやすいメロディーを
異常なほどの派手なドラミングと
組み合わせることで、

極めて個性的な
トラックに仕上げた佳曲だし、

それからほぼ解散直前の
シングルIsland of Lost Soulsで

彼らが取り込もうとしたのは
今度はこちらは
カリプソだったりする。


これもたぶん
ユーリズミックス(♯26)の
Right by Your Side辺りにも

少なからずどころでなく
先行しているはずである。

だからこのバンドの存在が、
後年のシーンに与えた影響は
たぶん測り知れないのだろう。

ちなみにB-52s(♯140)の
98年のヒット曲Debbieとは
このデボラ・ハリーのことである。

この影響というか敬意の向き方は
十分に頷けるものだと思う。


さて、上述のようにブロンディは
82年に一旦解散しているのだけれど、

この時はギターのシュタインの
先天的な健康問題が
どうやら背景にはあったらしい。

その間、デボラは、
ソロでのキャリアを模索しながら、
このシュタインを支えていたそうで。

もっともこの二人、
バンド結成以前からずっと
恋人同士の関係に
あったらしいのだけれど、

ついに正式に入籍することはせず、
後年シュタインは
別の女性と結婚したのだそうである。


それでも90年代に入り、
どうにか彼が病気を克服すると、

バンドは少しずつ
再結成へと向けて動き出し、

満を持して99年に
発表されたシングルMariaは

またしても見事
全英ナンバー・ワンに輝いている。

これにより、ブロンディは
過去自身を含めて二組しかいない

70年代、80年代、90年代の
三つのディケイドのすべてで


全英で一位を記録した
アメリカ出身の
アーティスト/グループとなった。

ちなみにでは
もう一組は誰かというと

これは70年代にはジャクソン5で
一位を記録していた
MJ(♯143)なのだそうで。

これもまた納得である。

その後もブロンディはなお現役で、
プリテンダーズ(♯27)や
それこそ上のB-52sを引き連れて
全米ほかのツアーを回ったり、

それからこの五月には
通算11作目のアルバムが
予定されてもいるらしい。

ちょっとどころでなく楽しみである。


では締めの小ネタ。

ブロンディの最初の解散後、
デボラ・ハリーは

ちらほらと映画に出たりも
しているのだけれど、


そのうちの極初期の一本に
「ビデオドローム」という
タイトルの作品がある。

これたぶん、知る人ぞ知るという
カルト・ムービーで、

デヴィッド・クローネンバーグを
一躍有名にした作品だったりする。

ほかにも彼女はどうやら最近では
『死ぬまでにしたい10のこと』にも
出演されていたようで、

そういえば見覚えのある顔が
出てきていたような
気もしないでもない。


いや、でもこれももう
全然最近ではないかもしれないね。

いやあ本当、この歳になると
時間が過ぎるのが早い早い。

きっとすぐ五月になる。