前回ちらりと予告した通り、
ブライアン・アダムスである。
もちろんアルバムはこちら。
レックレス/ブライアン・アダムス
¥2,307
Amazon.co.jp
ここでも何度かいっているけど、
本当にこの80年代の開幕から
中盤にかけての時期には
容易には忘れることのできない
力のこもったアルバムが
目白押しだったものである。
まあ僕の青春時代って
やつだったことも
あるにはあると思うのだが、
でも、この前ちょっっと
某社の方と話をしたら、
なんだか彼の11歳の息子さんも
80年代とか90年代前半の音楽を
聴かせてあげると、
すごく喜んでくれるそうなので、
たぶんやっぱり、そういう
時代の勢いみたいなものが
確実にあったのだと思う。
過ぎてみないとわからないことは
結構いっぱいあるもんだよなあ。
なんて、多少どころでなく
年寄り臭いいい回しではありますが、
実際もう半世紀も生きてるんで、
たぶん十分年寄りなので、
そこはどうぞご勘弁ください。
さてブライアン・アダムスの
大出世作である本作もまた、
名盤の呼称に十分相応しい
完成度を誇っていたと
そこはもう頭から断言してしまう。
本作からはやはり
実に計六曲ものシングルが
カットされているのだけれど、
今回のチィイスである
One Night Love Affairは
その五枚目だった。
だからまあ、
チャート的な位置としては、
先行したHeavenやRun to You、
Somebody辺りには
少なからず及ばないのだけれど、
僕はでも、この曲とそれから
Summer of 69とが
このアルバムの白眉だと
そう思っているのである。
そこは当時からまったく
揺らいでないかなあ。
この二曲がそれぞれAB面の
オープニング・トラックで
あったことも
多分に影響しているだろうとは
思わないでもないのだけれど。
さて、最初にとりあえずこの
RECKLESSをレンタルしてきて
LP盤に針を落とし、
このOne Night~のイントロの、
シンプルなギターが
飛び出してきた時には、
結構な高揚を感じたことを
それなりに鮮明に記憶している。
そっか、これが
この人のやりたいことなんだ、
みたいな感じの手応えを、
ようやく見つけて
いたのかもしれないなとも思う。
そもそも僕がこの
ブライアン・アダムスの名前を
最初に知ったのは、
本作のリード・オフ・シングルだった
Run to Youのヒットに
よってだったことは間違いがない。
遺憾ながらこの前作
CUTS LIKE A KNIFEの段階では
アンテナには引っかかってくる
ところにすらきてはいなかった。
ただ正直にいって、
このRun to Youも実は、
今一ピンとこないままだった。
なんというか、
斬新さみたいなものを
ちっとも感じなかったのである。
それが続いたSomebodyで
多少印象が変わってきて、
そこでようやくアルバムに
手を出してみたのでは
なかったかと記憶している。
そのうち、三枚目のシングルである
Heavenというバラードが
それこそあれよあれよという間に
チャートのトップを
獲得するのを横目で見ながら、
いや、このOne Night ~も
それからSummer of 69も
十分シングルになり得るだろう、
むしろこっちの方が
いい曲なんじゃないか
みたいなことを
まあだから、多少斜に構えながら
考えていたようにも覚えている。
もちろんHeavenも
本当にとてもいい曲である。
後年幾つもの名バラードを
世に生み落としていくことになる
このブライアン・アダムスの、
やはり代表曲だといっていい。
思い返せばこの人はずっと
自分の思うロックのスタイル、
それもとりわけギター・サウンドに
徹底的にこだわっているのだと思う。
本作収録の全曲が見事なほど、
明確なギターのパターンを軸にして
組み立てられている。
ノリがよく、しかも同時に
少しずつどこかが新しい。
この二点を両立させるのは
たぶん相当難しいはずである。
どこかで聴いたような
気もしないでもないのに、
でも考えてみると、
この曲にしか見つからない。
そういった要素が本作の場合、
収録の10曲のすべてに
見つかってくるのである。
――すごい。
ほかの形容が見当たらない。
やっぱりそれはこの人が最初から
意識して目指していた
音楽の形だったのだろうし、
そういう模索の結果が、
一つの到達を見たのが
このRECKLESSという
揺るがない一枚だったのだと思う。
もっとも、そのアプローチが
ある意味では当時、
鍵盤なりシンセなりを重ねて、
音の厚みとか洒脱さを
演出してくる、
そういった手触りを
音楽に主に追い求めていた、
僕自身の個人的な嗜好に
最初は今一ハマらなかったことも
たぶん否定できないだろうし、
それがだから僕が
Run to Youにはさほど
惹かれなかった理由なのだと思う。
まあ繰り返しになるけれど、
アルバムを通して聴いて、
その印象は全くもって覆された。
すごく奇抜なことをやろうと
している訳ではないのだけれど、
自分を育ててくれた音楽に
何かを付け加えようとしている。
そんなスタンスを
まざまざと感じたのである。
しかもそのアプローチは
一貫しているのに、
収録10曲の手触りは、
まったくもって重なってはいない。
いや、今更ながら
本当に才気にあふれた
ものすごいアルバムである。
僕自身はさすがにそこまで
やってみたことはないのだが、
ギターをプレイする方は、
このアルバムの全曲コピーに
挑んでみるといいのでは
なかろうかとさえ思ってしまう。
たぶん本当に勉強になると思う。
いろんなものが詰まっているのに、
同時になんというのか
オーソドックスさを失わない。
そういう希有な作品であり、
粒ぞろいの楽曲群なのである。
さて本作RECKLESSに続いた
INTO TO THE FIREなる一枚は
残念ながら強力なトラックに
恵まれていたとはなかなかいえず、
聴きこそしたけれど
あまり気に入らなくて、
なんか、RECKLESSで
力尽きちゃったのかなあ、なんて
外野なのでまた僕自身は
そんな勝手なことを思いながら、
その後の彼にはさほど
注目をせずにいてしまった。
ところがどうしてどうして、
91年には映画『ロビン・フット』の
主題歌に起用された
(EVERYTHING I DO IS)
Do It for Youなる一曲が
実に16週もの長きにわたって、
全英ヒット・チャートの
トップに君臨するという事態まで
実は起きていたのだそうで。
この出来事については
ウェット・ウェット・ウェット(♯50)を
取り上げた時に
少しだけ触れているかと思うのだが、
これは今でもイギリスにおける
ギネス・レコードであるらしい。
もしかすると世界記録かもしれないが、
そこまでウラがとれていないので、
断言は差し控えさせていただく。
そしてさらに93年には
前回ちらりと言及した
スティングと
ロッド・ステュアートとの
三人でのレコーディングによる
All for Loveがこれまたヒットする。
ちなみにこの曲も
ソングライティングは
ブライアンの手によるものだった。
そういう訳でなんか、
バラードの名手みたいな印象の方が
巷では今も
根強いのかもしれない。
でもたぶんこの人の本質こそ
ボスこと
スプリングスティーン(♯146)とも
十分肩を並べられるような
ロッカーなのではないかと思う。
さて、ところが
90年代後半に入ってからは
何故かといおうか、まあたぶん
上のDo It for Youの影響もあって、
このブライアン・アダムス、
人気の中心がイギリスに
移ってしまったのだそうである。
99年には欧州向けの
ベスト・アルバムを
新たに編んだりもしていたらしい。
なんとなくだけれど、
世紀が変わってからの
アメリカのマーケットに
この人みたいな音楽の
居場所がないことは
わからないでもない気もする。
古典的なのに同時に
斬新だというスタイルは
はっきりいってわかりづらい。
それをたぶん、こと音楽に関しては
常に先端に居続けている
イギリスという国のオーディエンスが
敏感に感じ取っているのでは
なかろうかとも思ったりもする。
いやまあ、これも本当
外野のたわごとでしかないし、
今現在の英国チャートなど、
全然追いかけてもいないのだけどね。
まあそういう訳で
僕自身に関していえば、
90年代に関しては本当に
半ばどころではなく
経済的に肩をすくめていた時期なので、
それこそ上のDo It for Youや
All for Loveなんかが
よくどころではなく頻繁に
流れていることこそ、
把握してはいたものの、
その90年代もさらに
半ばを過ぎてしまうと
ほとんど音楽をリアルタイムで
追いかけるということなど
現実的にできなくなってしまい、
この方がどうしているのかも
さほど気にかけずに
ここまできていた。
それでまあ、今回
本記事を起こすに当たって、
ベスト盤でその後のキャリアを
確認させていただいたのだが、
本当、ソングライティングが
実に安定している人だなあと思った。
あの当時は、特に歌詞が
まだ稚拙だなんて評価も
ちらほら聞えていたはずなのだが、
改めて久し振りに聴いてみて、
言葉がシンプルだからこそ、
トラックに古典に近いパワーを
持たせることに
成功しているのではないかと、
むしろ感心してしまったくらいである。
中でも気に入ったのは99年発表の
Cloud No 9という曲である。
これ、個人的には極めてツボだった。
どこがどうというのが
上手く説明できないのだけれど、
すごく新しく感じたのである。
いや、この人って、
こんなこともできるんだと、
遅ればせながら
感じ入ったりもした次第。
ちなみにこの曲はだから、
上で触れた
欧州ターゲットの
ベスト盤の方で聴いている。
なんか幾つか
ヴァージョン違いがある
トラックらしいので、
この点は念のため付記しておく。
ちなみにこの
「九番目の雲」なるタイトル。
ハリスンも自身の
アルバムに採用していたので、
そういういい回しが
あることだけは
なんとなく知ってこそいたのだが、
今回初めて、なんというか
ウラを取ってみた。
この言葉、定義的には
ユーフォリアの一つの
状態ということなので、
だからこう、
訳もなく幸せを感じる高揚感というか
そういう意味であるらしい。
意気揚々、みたいな感じなのだそう。
でもそれがなんで
9番目の雲なのかなあと、
まあこういう時は
ひとしきり頭を
捻ってしまう訳なのだが、
聖書出典のような気も
あまりしないので
今のところ皆目
検討がついておりません。
なんか神話とかにありそうだけれど。
でもこういうのは本当
小説に使ってみたくなりますねえ。
いつかどこかに出てきたら、
是非ニヤっとしてください。
――九番目の雲。
字面だけでも結構いいよなあ。
さて、ではそろそろ締めの小ネタ。
今回は基本上でも紹介した
Heavenにまつわる
エピソードなのだけれど、
実をいうとほんのちょっとだけ
手前味噌だったりもする。
さて、御承知の方も
少なくはないかと思うのだが、
僕のデビュー作は
『四日間の奇蹟』という
もう14年も前の長編である。
――。
いや、自分で書いてから
もうそんなにも経ったのかと
眉を寄せたりしてしまったのだが、
まあとにかく、
この作品の最後の方に、
植物状態だったある作中人物が
おそらくは音楽の力によって
意識を取り戻すという
そんな挿話が登場してくる。
この場面で流れている曲は
主人公の演奏による、
ベートーヴェンのソナタ
『月光』なのだけれど、
実はこの箇所の元ネタになったのは、
何を隠そう
このHeavenだったりするのである。
書いていたのは発表よりさらに前の
2000年前後の時期だったはずなので、
もう本当にうろ覚えなのだが、
確かフランスでの事件というか
出来事だったはずである。
交通事故か何かで半年近くも
意識不明になっていた女子学生が
以前から大好きだった
このHeavenを耳にして、
目を開けたというエピソードを
どこかで目にしたことがあって、
それを援用させていただいて、
ああいう形になったという次第。
だから、本当にこれが
ものすごい曲であることは
絶対に間違いないんですよ。
今回はあまり触れませんでしたが。
その後さらに調べて知ったのだが、
やはりベートーヴェンの
別のピアノ・ソナタである
『ワルトシュタイン』なる曲も
こういった同じような現象を
引き起こした事例があったりもする。
こちらは国内の出来事で、
とある有名な事件の
関係者の身の上に起きていたはずである。
まあこの話は拙著
『ライティングデスクの向こう側』でも
すでにほぼ披露している内容なので、
使い回しっちゃあそうなんだけれど、
さすがにそろそろ
小ネタが毎回きついです。
なもので、今回はこれで。
まあでもそういうところ
僕は結構意地っ張りだから
止めるつもりもないんですけど。
でもちょっときついなあ。
いや、頑張るけれど。
ちょっといいこともあったしね。