『真田丸』雑感そのほか | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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なんかこういう話題も
ずいぶんと久し振りである。

もう誰にもさほどの迷惑は
かからないかと思われるので、
思い切って書いてしまうが、


昨年の『花燃ゆ』に関しては、
申し訳ないが、四月くらいで
視聴を打ち切ってしまった。


振り返ってみれば昨年は
個人的にも非常にしんどい
一年となってしまっていたので、

たぶんそういう影響も
なくはなかったとも思うのだけれど、


同時に同作に関していえばやはり、
一年かけて何がやりたいのか、


きちんとこちらに
伝わってこなかった部分も
少なからずあったと思う。


加えて、少し前のあの
『八重の桜』に対する
ある種のアンチ・テーゼとして


急いで成立させようと
いうような部分が、
なんとなく作品外のあちこちに
透けて見えている気もして、


まあ、今年はもう、
つき合わなくてもいいか、と
そう思ってしまった次第。

キャスト・スタッフの皆様には
多少申し訳ないと
思わないでもないのだが、


僕はまあ、所詮は、
勝手な視聴者の
一人に過ぎない訳だから、


もし本テキストが、
関係者の方のお目に留まり、

少なからず不快感を
与えるような結果と
万が一なってしまったとしても
そこはご寛容戴きたい。



その反動という訳でもないのだが、
今年の『真田丸』は
毎週面白がって観ている。


以下勝手ながらほぼ敬称を
省略させていただいて
しまうことにするけれど、

草刈雅雄演じる昌幸の父親ぶりに、
『清盛』である意味


似たようなポジションだった
中井貴一を重ねたり、


あるいは少し前の内容になるが
西村雅彦と大泉洋の

お約束めいた掛け合いに
失笑を呼び起こされたりしながら、


毎週次回を
楽しみにさせていただいている。


もっとも、もう
小田原攻めも終わり、
利休も秀次も死んでしまった訳で、

西村雅彦はもちろん、
高島政伸も桂文枝も、
のみならず草笛光子さんさえ、
退場されてしまっているのだが。


いや、草笛さん演じる母親の、
あのナレーションとのやりとりは、
相当笑わせていただいた。


僕はけっこう
ああいうメタっぽい演出が
ツボにハマるタイプである。


さて、そんな中でも、
僕が個人的に一番注目というか


ちょっと喜んでさえいるのは、
三谷さんの選んだ
石田三成の描写の仕方だったりする。


ここ数年の大河で僕自身が
実は出色の出来だったよなあと
思っているのは、

上でもちらりと出したように
12年の『清盛』だったりする。


得意な時代だという理由も
もちろん当然あるとは思う。


あるいはすでにどこかで
書いているかもしれないけれど、

とにかく同作、まずは
保元・平治の両乱とその背景を


あそこまできっちりと
映像化しようと
挑んでくれたことに喝采したし、


西行の前半生なんかは
非常に勉強させてもらった。

そして何より、
当時の朝廷のあり方に、


あそこまで切り込んだことには、
感心とも違う気持ちを抱かされた。


スタッフの覚悟のようなものに
いわば圧倒されたのである。


その朝廷の内部にすくった
魑魅魍魎とでも呼ぶべきような、


皇室や公家たちのキャストも
本当に個性派揃いだった。


怪演といっていい演技で
後白河法皇を演じきった
松田翔太を筆頭に、

國村隼、阿部サダヲ、堀部圭亮、
塚地武雅、佐藤次朗といった、


とにかくそれぞれに
強烈としか形容しようのない面々が、


決して長くはなかった
個々の出演シーンで
異様な存在感を放っていた。

中でも一際
強烈なインパクトを残したと
個人的に受け取ったのが、


藤原頼長を演じた
山本耕史である。


詳細は割愛するが、これ本当、
相当難しい役どころだったと思う。


その山本耕史氏が今回、
石田三成を演じている。


僕は実は、この三成という人が
昔から結構好きである。


ある種の判官びいきなのだろうとは
もちろん自分でもわかっている。

一昨年の『軍師官兵衛』での、
この三成の描き方は、


主役官兵衛にとっての最終的な
敵役となるというポジション上、


どうしても仕方のない
ことではあったと
重々わかってはいるのだが、

小賢しいというほかはない、
秀吉の威を借る部分ばかりが
目一杯強調して描かれていた。


翻って今回は、ある意味で、
主人公の師として存在しているし、


水行のエピソードとか
随所随所で、

二律背反的なものを
内側に抱え込まざるを
得なくなっている様子が


非常に巧みに、しかもわかりやすく
描かれていると感じている。


本作のまず最初の
クライマックスとなるであろう

関ケ原へと至る一連の駆け引きを
はたして三谷さんが
いったいどう描かれるのか。


今からとても楽しみである。


では自分なら
この三成をどう書くか。

いやむしろ、
どういうふうにならば、
書けるだろう。


一応仕事柄、そんなことも
ずいぶんと昔から考えていた。


だから実は、そんな発想で着手したのが
以前一度ここでちらりとだけ触れた

まさに『関ケ原』という
まんまのタイトルの作品だったりする



実はおかげさまで同テキスト、
今回存外どころでなく光栄なことに、


歴史を専門とする雑誌の誌上で
漸う発表させていただける
ような次第と相成りました。

タイトルを『関ケ原の丑三ツ』と
改めこそしますけれど、


八月九月と前後編に分け、
『歴史街道』さんの方に
掲載される運びとなります。


もっともこれ、ですから
舞台は関ケ原ではありますが、

いわゆる「関ケ原」とは
ちょっとどころでなく違っています。


つまり『関ケ原』のままだと、
中身と全然合ってないじゃないと
いったことにもなりかねないので、


いろいろ考えた上、
編集部さんとも相談し、
こういう変更を施しました。

それこそまあ、コメント戴いた
リクエストとは
ちょっと違っているかもしれませんが、


どちらかといえば
『黄蝶舞う』系のテキストになります。


いや、この話、
いつ公にしようかと、
ずっと思いあぐねているところに、

ああいうコメントを頂戴し、
こちらも少なからず
びっくりした次第です。


それと、確か昨年の誕生日に
戴いたコメントでしたから、
実に一年もお待たせしましたが、


キャッチャーさんにもようやく、
同作をお読みいただける準備が
どうやら整ってくれました。

という訳で、これがもう一つの
ありがたいお話の正体でありました。



ちなみに同誌の最新号はこちら。

あ、もちろん僕が載るのは次号です。
今絶賛ゲラ進行中。

歴史街道 2016年 08 月号

¥680
Amazon.co.jp


まあこれで、
おかげさまで三ヶ月続けて、


商業誌に名前が
載せられることになりまして、


僕が一番ほっとしてます。

もっとも年内決まっているのは
とりあえずここまでなのですけれど。


お目に留まる機会がありましたら、
大変幸甚に存じます。