ブログラジオ ♯134 I Should be So Lucky | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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カイリー・ミノーグである。
いやあ、この人も
ものすごい勢いで
登場してきたものだった。

コンプリート・ベスト/カイリー・ミノーグ

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彼女のデビューは
87年の出来事である。


リック・アストリー(♯90)や
デッド・オア・アライヴ(♯91)、


それにバナナラマ(♯25)などを
大ヒットさせた

ここでは何度も名前を出している
英国のプロデューサー・チーム


ストック/エイトキン/
ウォーターマンの仕掛けであった。



もっとも、そもそもは彼女、
本国オーストラリアで、
役者として活躍していた際、

ある番組のイヴェントで、
ファン・サーヴィスに
共演者たちと一緒になって、


ステージで
Locomotionを歌ったところ、


これがレコード会社の
目に留まったという背景があって、

シンガーとしてのキャリアを
スタートさせたということらしい。


彼女自身、二十歳になるか
ならずかといった時期か、
あるいはもう少し前の
出来事だったはずである。



さて、まずはとにかく
このLocomotionである。

今回タイトルにピック・アップした
I Should be So Luckyと並んで、


確かにあの頃、
飽きるほど耳にしたものだった。


いや、本当、この二曲は、
ほとんど同じ頃に一気に
ラジオほかでかかるようになった。

当時はデビュー・シングルが
一体どっちなのかも
正直判然としなかったものである。


まあ一応こういう機会なので
厳密なところを記しておくと、


本国では上で触れたような背景もあり、
まず最初にLocomotionのシングルが
リリースされてはいるのだが、

英国そのほかでは、
I Should be So Luckyの方が、


デビュー曲として扱われ、
そのように喧伝されて、


アメリカでもまずは
こちらがプッシュされ、

その後Locomotionが改めて
エア・プレイなどの俎上に
めでたく載る運びとなり、


翌88年にかけての大ヒットと
なったというような概略である。


全米でのセールスや、
チャート・アクションでは
Locomotionの圧勝なのだが、

欧州や日本では、
I Should be So Luckyの
インパクトの方が
かなり勝っている気がする。


こちらの曲が、全英のみならず、
十指に余るだろう国と地域で、
チャートのトップを
獲得していることも事実である。



ここから先は所詮個人的な
所感でしかないのだけれど、

まあついでに
告白してしまっておくと、


Locomotionがかかり始めた時、
S/A/Wはまたこのパターンか、と
思ったことは本当だった。


それこそバナナラマが
Venus(♭56)を取り上げ、

そしてキム・ワイルド(♯77)が
Keep Me Hangin’ onをカヴァーして
いわば再ブレイクを果たすという


まあそういうのを、
散々目の当たりに
してきたものだから、


最早二匹目どころではないな、と
どこか斜に構えて
眺めていたことは間違いがない。

そもそもこの辺りの三曲は、
僕でもたぶん
中学くらいの頃から知っていた。


オリジナルのアーティスト名は
きちんと記憶に残っていなくても、
サビのメロディーが頭に入っている。


そういうタイプの、いわば、
極めて力の強い楽曲たちだった。

Locomotionまでやっちゃったら、
あとはもう残っているのは


Vacationくらいしか
ないじゃないですか、みたいなことを


生意気にも考えていたように
覚えていないでもない。

だからまあ、
カヴァーはカヴァーでも、


楽曲に新たな息吹を
吹き込むとか、あるいは


埋もれた名曲を
改めてクローズ・アップして
くれるというよりは

むしろそこに寄りかかって
商売しようみたいなのが


透けて見える気がして、
どこか居心地が悪かったのである。


――ま、若かったからさ。

さて、それでもまあ、
いわゆるオールディズの


80年代的ディスコ・ビートによる
解釈というのは、


とりわけアメリカにおいては
やはりなお需要があった模様で、

改めて本人だけの歌唱で
レコーディングされ、
88年にリリースされた同曲は


全米シングル・チャートで
見事三位にまで上昇し、


このカイリー・ミノーグを
一躍世間に
知らしめる結果となった。

ちなみに日本では、
前後してあのウィンクが


彼女の曲をピック・アップして
大ヒットさせた関係もあり、


デッド・オア・アライヴと
非常によく似た感じで、
当時のディスコ・シーンにおいて

極めて独特のポジションを誇る
洋楽アーティストの一人に
なっていたはずだと思う。


時代が時代だっただけに、
個人的にはこの人の存在は、


バブル期の記憶と
密接に結びついていたりする。

なるほどあの頃は深夜にタクシーを
確保することが、実際に非常に
困難だったりもしたものだった。


もっともまあ
まだまだ若僧だったので、


そんな機会も
さほどはあった訳ではないのだが。


で、まあ、ほどなく
あのバブルってやつの崩壊とともに、


時代は僕自身にとっても
暗黒の90年代へと
突入してしまったものだから、


正直、今回ここで
取り上げようと思うまで、

この人のその後に関しては、
ほとんど無関心のままでいた。


しかも彼女、アメリカでは
Locomotion以降、


チャートを賑わせることも
まったくといってなかった模様で、

ほとんど情報らしい情報が
入ってくることもなかった。


今のようにネットでサーチすれば
なんらかのネタが拾えるような


そんな便利な環境は
まだ影も形もなかったし、

さほどの興味も余裕も
やっぱりなかったものだから、


今回調べてみるまで、
実は全然知らなかったのだけれど、


90年代にはこのカイリー、
本拠地をイギリスへと移し、

相当どころではない活躍を
維持していた模様である。


まず90年代の前半から
中盤にかけては、
アルバムを発表するごとに、


全英に限れば、
リード・シングルはほぼ必ず、
チャートの
トップ10に送り込んでいるし、

後述するように、
アルバムの首位獲得回数も多い。


それでも世紀の変わり目の
直前の時期には、
さすがに勢いが落ちてきて


最高位14位止まりという
シングルが続いたりも
していたらしい。

いや、それでもっていうか、
デビューして十年も経って


とりわけこういうタイプの
女性シンガーのシングルが


まだ20位に入っているというだけでも
傍からみれば十分すごいと
思わないでもなかったのだが、

ところがどっこい、御本人は
それでは不満だったらしく、
さらにいろいろ
仕掛けてきた模様である。



ちょうどミレニアムを越えた
01年発表の
Can’t Get You Out of My Head
なるトラックが発表されると、


これが再びブレイク・スルーみたいな
大ヒットとなって、

全英でついに自身6曲目の
トップワンを獲得したのみならず、


実に88年以来13年ぶりとなる
全米シングル・チャートでの


トップ10入りを
果たしさえしているのである。

この流れで小林幸子さんを、
引き合いに出していいものかどうかは、
ちょっとだけ迷わないでもないけれど、


似た感じのある種の執念を
感じざるを得なかった。


だからもちろん同曲を収録した
アルバムFEVERは
当然のように全英一位を獲得し、

そしてさらには、
同作から9年後、


10年発表のAPHRODITEなる一枚も
見事にトップにまで
昇り詰めたものだから、


結果として彼女は4つのディケイド、
すなわち80年代、90年代、00年代、
そして10年代のすべてで

アルバムが一位を
獲得しているという、


なんだか途轍もない
ビッグ・ネームに
なってしまっていらっしゃるのである。


これたぶん、本邦でも、
サザンくらいしか
記録していないのではないかと思う。


そうやって考えてみると、
英国ではほとんど、


マドンナと並ぶくらいの、
ポジションであると
いっていいのかもしれない。


その証拠という訳でもないが、
08年にはなんと
OBEの称号を授与されていて、

ジミー・ペイジやベッカムと
名前が並ぶくらいの存在に
なっていらっしゃる模様である。


いや、少なからずびっくりしました。
こんなになるとは、
さすがに当時は思っていませんでした。


だってマドンナみたいなインパクトは
正直あまり感じなかったんだけどなあ。


さて、この復活のきっかけとなった
Can’t Get You Out of My Headで、


まずは執念みたいなものを
なんとなく感じたと上で書いたけれど、


たぶんスタッフと一緒になって、
周到に、ある種の話題作りを
仕込んでいたのではないかと思われる。

まずはビデオ。

いや、確かに
そういう時代だったかとは思うが、


中盤で出てくる衣裳が、
ありていにいって、
相当どころでなく
際どかったりする。

ただカーテン巻いただけ、
みたいな感じ。


しかもその下ははっきりと
トップレスであることがわかる。


ブリトニーの登場以降、
こういうアプローチのビデオが
増えたことは否めない気もするが。

まあ、あんまりPVそのものを
見なくなっていることも確かだけれど。


それからさらに同曲は
時折ニュー・オーダー(♯17)の


Blue Mondayを
マッシュ・アップした形で、

ステージ等で披露される場面も
どうやらあった模様である。


このアイディアもたぶん、
ヒットの後押しとなっていたことは
絶対に間違いはないはずである。


いやだって、
イギリス国民にしてみれば、

Blue Mondayなんてたぶん
第二の国歌みたいなもんだから。


ま、これはさすがに嘘だけれど。

でもたぶん、三千人くらいなら
ひょっとして
同意してくれるんじゃないかと

真剣に思わないでもないから
書いているのも本当だけど。


いや、冗談はやっぱり
このくらいにしておきましょうか。



まあとにかくこの、
Can’t Get You Out of My Headだが、
すごく印象的な曲かというと、

確かにフックのラインが
シンプルで強烈なことは認めるけれど、


はたしてそれほどの曲かという気は
正直少なからずしないでもない。


ディスコ系というよりは、
アシッドとかクラブといった
形容で括られていた

ある意味ではあの時代の音に、
きちんと接近していたことは
間違いないとは思うのだけれど。


まあ僕もとりわけ
00年前後の時期については、


流行も何もよくわからないままで
このトラックも聴いている訳だから
本当は断言は控えるべきなのだが、

でもそういう弱点みたいなものを、
上のようなやり方で、
周到に潰していくことで、


カイリーとそのスタッフは、
このヒットを
しつこくしつこく、
引き出したんじゃないかな、と


まあそんなことを考えさせられた。

終盤のデビューだったとはいえ
80年代からずっと、


現役であり続けていることには
素直に敬意を表したい気持ちだし、


しかも一貫して、
ユーロビートのあの
ピコピコしたリズムから、
離れる気配がまったくないって、

逆にむしろ、
すごいことかもしれないな、とも
思わないでもないけれど。


だからこの人、英国に移ろうが
レコード会社を変わろうが、


EBTG(♯20)やあるいは
K.ブッシュ(♯28)みたいな音は
絶対やろうとしないのである。

だから触手が伸びなかったんだろうなあ。

もう忌憚なくいってしまえば、
どのシングルも、
非常にユニークな音楽かといったら、


たぶんそれこそ
エア・サプライ(♯132)の方が
明らかに上だろうくらいに思う。

耳にして一発で、
あ、これきっとカイリーだ、と


わかるような要素は
正直ほとんど見つけられない。


声も歌唱法も、
強烈かといえば
やっぱりそうでもないのである。

たとえばこちらは
アメリカのアーティストになるけれど、


シンディ・ローパーなんかは
何歌ってもすぐ彼女だとわかるし、


マドンナだって、
なんとなくそれっぽいな、と感じる
ある種の声のフックみたいなものは
確実にある。

そういう個性を、昔からこの人には、
あまり感じないできているのである。


Turn it into Loveだって、
正直カイリーで聴いても
ヘイゼル・ディーンで聴いても
さほど変わらない気がするし。


それでも、あの当時の
ティファニーやらマルティカやら、

一世を風靡したといっていい
同年代の女性シンガーたちが、


どうやら早い時期に
音楽からはすっかり離れて
しまっているらしいことを
考え合わせると、


やはり出色の存在であることは、
決して間違いではないのだろう。


さて、なんだか誉めているのか
そうではないのか、


ちょっと中途半端なテキストに
なってしまった気も
しないでもないけれど、


でもこのI Should be So Luckyは
いろんなコンピレーションに
収録されていることもあって、

今でも結構聴いているし、
そのたびに元気をもらっている。


ちょっとだけ
キャンディ・ポップの気配を残しつつ、
存分にハイ・エナジーしていて、


なんともいえず、懐かしい。

今回のジャケットの写真は、
ちょっと怖かったりもするけれど、


同曲のビデオなんかは、
本当、アメリカの
スクール・ドラマの


ヒロインみたいな感じで、
ちゃんとかわいいし。

それからあとは、
03年のChocolateも、
結構好きかもしれない。


もしかすると、こういう
ウィスパー・ヴォイスみたいな
歌い方の方が、


この人の声のキャラクターは
活きるのかもしれないとも
ちょっとだけだけれど、
そんなことも思ったりもした。


さて、では締めの小ネタに行く。

つい先日、今年の二月の
ことらしいのだが、


実はこのカイリー、
御年47歳にして、

たぶん生涯初めての
婚約を発表しているのだそう。


お相手は19歳年下だそうで。

なるほど浮いた噂の
一つか二つは、
探せば見つかってくるようだけれど、

結婚どころか、
婚約を発表するまでにも
ここまではまるで
至っていなかった模様である。


単に縁がなかっただけとは
さすがに思えないから、


なんというか、
アイコンであり続けることの、

ある種のすさまじさ
みたいなものを、
なんとなく感じさせられた。



たぶんこれだけのキャリアは、
並大抵の覚悟では
達成できないことは、
断言して間違いないかと思われる。


だとするとこのカイリー実は、
音楽に向き合うということを、

日々のすべての
中心に持ってくるために、


恋とかあるいは家庭とか、
そういうものは、
諦める決意を、
どこかでしていたのかな、と


まあそんなことも少しだけ
想像逞しくしてしまった。


クリエイティヴで
あり続けるということが、


時に思いもしない代償を
要求してくるような場面が、


実はしばしばあるのかな、とは、
最近つらつらと
考えていることだったりする。

何をしていても、
やっぱりどこかで、
何かがつきまとっている。


その彼らがそこにいられるためには、
実は何よりも、
独りきりでいる長大な時間が
必要だったりするのである。


ま、これはさすがに余談だけれど。

いや、本当、今回ちゃんと
いろいろリサーチかけてみて、


改めて僕はこの方に、
かつては全然持っていなかった


敬意を抱かされたことは、
ちゃんと告白しておくべきだろう。

まったく、頭が下がりました。

マドンナもそうだけれど、
とりわけパフォーマーとしての、
魅力なり体力なりを、


30年とかそれ以上、
維持し続けるというのは、
本当、相当のことだと思います。

改めてファンになったかも。