ブログラジオ ♯132 The One That You Love | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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エア・サプライである。

なんだかでも、
改めてこのバンド


カタカナでの表記が
やけにキレイに決まって
見える気もしないでもない。


不思議なことに音楽もまた
なんとなくこんな感じである。

時に綺麗過ぎるキライが
あることもたぶん
本当なのではないかと思う。


フォーエヴァー・ラヴ~ヒストリー・オブ・エア・サプライ 1980-2001/エア・サプライ

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たぶんAORという言葉が
巷でまことしやかに
囁かれ始めたくらいの頃に、


ボズ・スキャッグスや
クリストファー・クロス辺りの
アーティストたちと並んで、

そのムーヴメントの、
いわば尖兵みたいな
ポジションにいたのが


間違いなくこのバンドで
あったはずだと記憶している。


ボビー・コールドウェルが、
本邦でも至極もてはやされたのは

もう少し後のことだったのでは
なかったかとも思うのだけれど、


その辺りの記憶は
正直いって曖昧である。



まあとにかく、
あの80年代が
意気揚々と幕を開けた
まさにその時期、

このバンドは本当に
ものすごい勢いで、
シーンを席捲していたのである。



それにしても、まずは何より
この気球のジャケットである。


掲げたのは02年発表の
ベスト盤のものなのだけれど、

彼らのアルバムの
アートワークは
おおよそほぼこんな感じで
全体に統一されていた。


時に気球が
ハンググライダーに
変わったりもしていたようだが、


真っ青な空に浮かんだ、
白とか青とか黄色とか、

そういうモチーフが
ものの見事にハマっていた。


レコード・ショップでも
複数のアルバムが同時に


大きく展開されている光景を
しばしば目にしたものである。

CDではなくまだ
LPレコードだったから、
相当なインパクトがあった。


大袈裟にいえば
いつもそこだけ夏だった。


イメージ戦略として、
まったく正しかったといわざるを
得ないのだろうとも思う。


さて、彼らのブレイクは、時期的に、
この前のビー・ジーズ(♯129)の
ほんのちょっと後くらいになる。


この人たちの曲もまた、
頻繁に深夜のラジオから
こぼれ出してきていた。


それでも個人的には
まだ今少し、これほど本格的に

洋楽にのめりこんでしまうには
至ってはいなかった時期だった。


だから正直、彼らのアルバムを
フルできちんと聴いたことはない。


それでも、名前はもちろん
曲も複数知っていたのだから、

やっぱり相当どころではなく
流行っていたことは
絶対に間違いがないのである。



このエア・サプライは、
その80年代当時は、


ベースやドラムはもちろん、
鍵盤まで含めた六人編成の
バンドとしての形を為して、

基本的には活動していた
模様ではあるらしいのだけれど、


結局のところ
このユニットの
本質というのは、


ヴォーカルを一部分け合っている、
グラハム・ラッセルと、
ラッセル・ヒッチコックとの

二人だったのだと、
断言してしまって
どうやら大丈夫な模様である。


実際現在は、エア・サプライは
彼らのデュオとして存続している。



それにしても、こういうの、
本当、不思議だなと思うのは、

ラッセルなる名前が
ファースト・ネームと
ファミリー・ネームの
両方に使われている点である。


まさかこの名前の一致が
互いを引き寄せ合った訳でも
決してないだろうけれど。


ほかにもスミスやら
あるいはキャメロンやら、

結構ひょんなところから
似たような例が見つかってくる。


相当馬鹿馬鹿しいのは
自分でも重々
承知してはいるのだけれど、


もしキャメロン・ディアスが
ジェイムズ・キャメロンと

万が一結婚するようなことに
なっていたとしたなら、


はたして彼女は、
キャメロン・キャメロンと
名乗っていたのだろうかと、


正直一度ならず
考えてしまったことはある。

日本人だとこういう例は
とても難しいのでは
なかろうかとも思うけれど、


それでもまあ、
名前でも名字でも
通じる音というのは
探せば結構なくはない。


まあもちろん、だからどうと
いうことでもないのだけれど。

でも一回くらいは
自分でも使ってみたいよな、
くらいに企むのは
たぶんこの仕事の特権である。


それから念のためなのだけれど、
エア・サプライの二人の場合は、


どちらも男性なので、
こういう心配はたぶん不要である。

まあ昨今は
とりわけ豪州辺りにおいては


ひょっとしてその限りでも
ないのかもしれないとは思うけれど。


いや、この二人が
そういう関係だとは
全然思ってはいないのだが。

少なくとも目についた限りでは
そういう情報は
見当たらなかったはずである。


いや、まったくこんな具合に
思わず筆がどんどんと
滑っていってしまうから、


こういうしょうもないことは
そろそろこの辺りにして
おかないといけませんね、はい。

でも正直なところをいうと
ビー・ジーズとオリビア(♯130)を
真っ向から扱った際には、


書かなければならないよなと
思えてしまうことが多過ぎて、


横道に逸れる余裕すら
まったく微塵もなかったのである。

だからまあ、
今回のこのくらいの寄り道は
大目に観て戴ければと思います。



よし、あったまってきた。


さて、このラッセル&ラッセル、
ではなくてエア・サプライ、

グラハムの方が
ソングライティングを
ほぼ一手に手がけ、


ヒッチコックの
極めてハイ・トーンの
よく伸びるヴォーカルを、


十全に活かすような形で、
殆どのトラックが
出来上がっているといっていい。

書いていてこんなパターン、
確かどこかに
あったはずだな、と思ったら、


なんのことはない、
サイモン&ガーファンクルだった。


似ているといってしまったら
少なからず語弊は
あるだろうとも思うけれど、

なんとなく通じるニュアンスは
決してなくはないかもしれない。


たぶんBridge Over Troubled Water
(邦題:『明日に架ける橋』)辺りを


この人たちがカヴァーしたら
ものすごくハマるのでは
なかろうかとも思う。

同曲はまあ、S&Gの
レコーディングの中でも、
実は決して
いわば王道ではないのだけれど、


とにかくああいう
やや大仰に過ぎる感じの


ドラマティックな展開を
有するタイプの楽曲が

彼らにはサウンド・メイキングには
極めて似合ってくるのである。


コーラスが美しいことは
まあいうまでもないとして、


全編に大きく鍵盤を
フィーチャーしたアレンジや、

そこにかぶさってくる
ストリングスの白玉だったり、
アコギのアルペジオだったりの
そういうすべての要素が、


ちょっと鼻についてしまうほど
いわば上品なのである。



さて、今回ちゃんと記事にしようと
改めて彼らのことを調べてみて、

なんとなくこういう特徴に
非常に納得がいく
背景らしきものが見つかった。


そもそもがこのグラハムと
ヒッチコックとの二人は、


A.ロイド=ウェーバーの
かの有名なミュージカル作品
『J.C.スーパー・スター』の

オーストラリア公演の
キャストとして
知り合ったのだそうである。


ちなみに上のJCは、
ジーザス・クライストの
ことであるので念のため。


略さないと一行が
長くなり過ぎるので、
このように表記しただけで、

全部カナ書きするのが
本来のタイトルである。


とにからだからこのエピソード、
個人的にものすごく
腑に落ちたのである。


確かに基本的に、
そちらのジャンルへの
志向性みたいなものが、

彼らのサウンドの全体には
はっきりと通低している。


バーブラ・ストライザントとか、
バリー・マニロウとか、
そういった感じの流れである。


ピーター・セテラ在席時の
シカゴ辺りも、

こういうタッチの曲ばかりが
ヒットしていたかとも思うが。


あまり誉め言葉には
聞こえないかもしれないけれど、


すっかり浸るきるには
ある種の心の準備を
必要としてくる種類の
そういう音楽なのである。

ドラマティックというか
シアトリカルといおうか、


演出過剰であるが故に、
非日常的な感動を
思わず喚起されてしまう。


しかもリリクスの方も
割りとどころではなく
ストレートで、

前回扱った
メン・アット・ワーク(♯131)や


あるいはボウイとかDD辺りの使う
一瞬首を傾げたくなるような種類の


複雑でややこしいイディオムは
ほぼ出てこないといっていい。

たとえば今回の記事タイに選んだ
The One That You Loveだって、


タイトルだけだと
一人称が隠れているから
さほど気にならないけれど、


曲の中で聴くと、
実は相当気恥ずかしい。

僕はここにいるんだ
そうさ、君が愛する
唯一人の相手なんだ、なんて、


なかなか素面では
口にはできないのではないかと思う。


だから、そういうある種の
シチュエイションというか、

ありていにいってしまえば、
ムードみたいなものを、


どこかで受け入れる準備が
まだきちんと
出来ていないような場面では、


この人たちの音楽を
素直に楽しむことは
しばしば難しかったりするのである。

もっともソングライターの
G.ラッセルからしてみれば、


よもや『四日間の奇蹟』の
作者であるこの僕に


こんなことまで
いわれたくないだろうなとは、
さすがに思いはするけれど。

いや、そのくらいの自覚はある。

確かに強い言葉というのは
時に極めて
ストレートなものに成らざるを得ない。


そういうのを、
ある種の許容範囲の中に収め
作品として成立させるため、

僕らはまあ、設定やら何やらに、
それなりの枚数を使って


どうにかして十分な準備を
作り上げようと足掻く訳なのだが、


音楽というものが、
そういう舞台装置作りとも
いうべきような煩雑な作業を

こんな具合に、いとも簡単に
達成できてしまうことへの


嫉妬みたいなものが
たぶん根底になくはない。


それくらいの自覚もどうにかある。

それにこのエアサプライの
楽曲やサウンドには
やっぱりこの手のラインが
極めてよくハマるのである。


本当に美しい。
むしろ、出来過ぎなくらい。


さらにはどの曲もどの曲も
きっちりとそのレベルに
到達させてきていることは

この人たちが、
やはり只者ではなかったのだと
いうしかない
その証左なのだろうとも思ってはいる。


先述の『明日に架ける橋』は
まあおいておくとしても、


マライア・キャリーや
ニルソンのカヴァーで有名な

バッド・フィンガーの
Without Youなんかは、
彼らも実際に取り上げているのだが、


これもまた、見事だといっていいほど
すっかり自分たちのものにしている。


まいりましたというほか、
やはり術などないのである。


まあそんな感じで
個人的にはさほど頻繁に


プレイヤーに載せる類の
アーティストでは
これまで決してなかったのだが、


今回久々に、
Even the Nights are Betterとか
改めてじっくり聴いてみて

不覚にも、けっこう
いい歌だったよな、とか
思ったりもしてしまったから、


あるいは今ならもしかして、
デヴィッド・フォスター辺りの
作品群にも、


思わず感極まってしまったり
するのかもしれないなとさえ思った。

いや、年を取ると、
そういう回線が


だんだんと緩くなってくることも、
たぶん本当なんだろうとも思うし。


実際彼らのカタログにも
何曲かは、
それこそこのD.フォスターを

ソングライティングの
パートナーに迎えた形で


制作されているトラックも
幾つかあるようなので、


またそのうち改めて
ちゃんと聴いてみようかなと
思わないでもないこの頃である。


さて、このエア・サプライ、
90年代に入る頃には、
ほとんど名前も聞かなくなり、


てっきりバンドそのものが
雲散霧消して
しまったのかなくらいに
実は思い込んでいたのだが、


どうやら東南アジアを中心に、
今なお絶大な人気を
誇っていらっしゃるようである。

台湾や上海、それから位置的には
ちょっとどころではなく
飛んでいるのだが、


ジャマイカとかタヒチとか
そういう地域で、


結構マメにツアーを
回っているも模様である。

実はこれもまた
ひどく腑に落ちた
ポイントだったりもしたりする。


ジャケットの示している通り、
この人たちの音楽、


熱帯雨林的とでもいうのか、
熱くて湿度の高い夏の海には
相当ハマるはずなのである。

それこそ一服の清涼剤なんて、
手垢のついた比喩が
思わず出てきてしまうくらい。


その点に関しては
デビューから今に至るまで
まったくもってぶれていないし、


それを継続していることがまた、
やはり敬服すべき強さなのだと

まあそんな具合に
考えを改めた次第である。



さて、ではそろそろ締めの小ネタ。

今回のThe One That You Loveと
同じアルバムに収録されている

I'll Never Get Enough of Youなる曲が、
81年の当時、


本邦でテレビ・ドラマの
主題歌に起用され、


日本独自のヒットと
なってもいた模様である。

なるほど同曲のNever Get Enoughと
繰り返してくるラインには
間違いなく聞き覚えがあった。


ちなみにこのドラマ、タイトルを
『いつか黄昏の街で』というのだそうで、


沢田研二と多岐川由美という
顔合わせだったらしい。

いや、こっちは申し訳ないけれど
全然記憶に残っていなかった。


まあそんな背景があるものだから
バンドの方も心得ていて、


アジア地域のツアーの際は、
北米他ではやらない同曲を

今もセット・リストに
加えているのだそうである。



さらにちなみにこのNever Get Enough、
邦題を『あなたのいない朝』という。


それから今回の
The One That You Loveは、
何故だか『シーサイド・ラヴ』の
タイトルで紹介されていた。

ほか『渚の誓い』とか
『さよならロンリー・ラヴ』とか、


この人たちの場合とりわけ、
邦題を眺めているだけでも
なんだか不思議に懐かしくて、


実はちょっとだけ
楽しかったりもした。

確かにこういう時代だったわ。