ブログラジオ ♯126 The Final Countdown | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、五回にわたって
ここでお送りしてきた
スウェーデン編はもちろんのこと、

北欧という括りも、
いや、それどころか、


昨年12月頭から
半年かけてやってきた


いわば欧州編も
いよいよ今回で終わりである。

だから、
ヨーロッパのファイナルは


ヨーロッパの
Final Countdownなのである。


すいません。
これがやりたかっただけです。

ファイナル・カウント・ダウン/ヨーロッパ

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ジョーイ・テンペスト率いる、
北欧メタルのパイオニアと、
いったいい方で大丈夫かと思われる。


正直ハード・ロックとメタルとの
明確な境目は
僕ではよくわからないのだが、


少なくともあの当時、
彼らのサウンド、ひいてはこの
Final Countdownなるトラックが

アメリカから出てくる
あらゆるタイプの
ハード・ロックとは


はっきりと一線を
画していたことだけは
たぶん間違いがないと思う。



さて、以下ファイカンと略するが、
このファイカンが
それこそ一世を風靡したのは

僕が大学に入った86年から
翌87年にかけての出来事だった。


思い出しても、不思議というか、
非常にユニークな曲だったと思う。


トラックの冒頭は、
地鳴りとも豪風ともつかない、
非常に異質なSEである。

続いてすぐさま、これまた低音の、
ある種のエンジン音みたいなものを
容易に想起させてくる


シンセサイザーのパターンが
重々しく登場してきて
曲のテンポを作り出していく。


ポップ・ソングはもちろん
ロックという呼び方をしても、

こういう開幕の仕方は
なかなかほかには
見つからないのではないかと思う。


明らかにラジオでは、
扱いにくい種類のイントロである。


しかしながら、
このファイカンの場合、
間違いなくこの仕掛けが、

聴く者のいわば、
居場所みたいなものを、
巧妙に規定する作用を持っている。


同曲はなるほど
そういう手続きが
必要なトラックであり、


しかも見事に成功を収めた
稀有な例だといってもいいだろう。

だからこそ、上で触れた
デメリットをすらものともせずに、


数多くのオンエアを
勝ち取ることができたのだと思う。


いや本当、HR/HMプロパーでは
決してないチェンネルからも、

あの頃この曲はどんどんと
耳に飛び込んできていたものである。



さて、もうある種の結論から
先に書いてしまうことにするけれど、


だから、このトラック実は
音楽を聴くというよりもむしろ、

作品の内包する物語の中に、
リスナーを強引に巻き込んでいく、


そういう特異なパワーを
全編にわたって有していたが故に、


あれほどの爆発的な
ヒットになったのではないかと、

今になって改めてそんなふうに
把握しなおしていたりするのである。


どうしたって最初のこの開幕の
風とエンジンみたいな響きとは


巨大な工業施設みたいなものを
連想させずにはいない。

そしてタイトルは
Final Countdownである。


――最後の秒読み。

爆弾か、あるいはロケットしか
たぶん浮かんではこないだろう。

だから、そういうイメージが
ほとんど無意識的に
形成されつつあるところに、


この曲のキーとなる
あの強烈なフレーズが
鋭利に空間に
切り込んでくるという仕掛けである。


このラインこそ、
まさにファイカンそのものと
いっていいかもしれない。

まるでハイドンか、でなければ、
ヘンデル辺りの作曲家が、


マイナー・スケールで書いた
ファンファーレみたいな
あのパターンである。


弦とも管とも似て、
そのどちらとも違う、
シンセサイザー独特の高音が、

極めて強いタッチで
トラックのド真ん中に
敢然と立ち上がってくる。


しかもこのライン、
なるほど悲壮な決意とでも


呼ぶべき何かを
じわじわと感じさせてくる。

ここだけでもう、
勝利はすでに
手中にあったのだとまでいっていい。


そしてタイトルの通りに、
背後に忍び込んできた、


マイクを通した音声のような
カウントダウンが
いよいよゼロになったところで、

満を持してドラムとギターと
それからベースとが登場し、


トラックはようやく、
ロックの姿を取り戻す。


あるいは正体を明らかにする。

もちろんタッチが変わっても、
同じファンファーレのラインは、
繰り返し登場してきては、


テンペストの
高音の極めてよく伸びる
強固なヴォーカルと


絶妙に絡み合いながら、
曲の全体を引っ張っていく。

お見事、としか
いいようがないではないか。



さて、ご存知の方も
少なくはないとは思うのだけれど、
そろそろいわば、
このカウントダウンの種明かし。


実はこの歌、
人類が、滅亡を目前にした
地球を捨てて、

金星への移住計画を開始する、
そのロケットあるいは宇宙船の


出発の秒読みの光景を
描き出しているのである。


だから、全編が
SF映画みたいなものである。

――いやこんな歌、

確かに後にも先にもなかったわ。

もちろんこれは
僕がほかの具体例を

知らないだけという可能性も
決して皆無ではないのだけれど、


映画との絡みでもない限り、
ここまで真っ向から、


いわばSF的な舞台装置を、
モチーフとして組み入れていたのは、

極めて特殊な例として
アメリカのB-52’sが
挙がるくらいではないかと思う。



ボウイのSpace Odity以降、
つまりはアメリカの
アポロ計画による


月面着陸の成功を境にして、
なるほど宇宙というものは、

ポピュラー・ソング、あるいは
サブ・カルチャー全般とまで
いった方がいいのかもしれないが、


まあとにかく、そういういわば
アートの領域でも
ずいぶんと身近な要素となっていく。


それこそEW&Fのカタログの
長岡秀星さんの手による

一連のジャケットなど、
その好例といっていいだろう。


ジャーニーもこの路線を踏襲し、
十分以上の成功を収めていた。


だけど、人類そのものが
たぶん滅んでいくであろう、

その光景を真っ向から
舞台にした歌というのは、


寡聞にして僕は、
この曲のほかには
耳にしたことがない。


大仕掛けで、しかも大仰である。

この途轍もない大袈裟さを
支えることができたのが、


バンドのサウンドであり、
北欧メタルという
スタイルだったのだと思う。


ある意味ではすっかり
突き抜けてしまったと
いってもいい種類の世界観を、

メロディーはもちろん
ヴォーカルもギターも鍵盤も、


リズム隊まで含めた
バンド・サウンドの全体が、


それこそリリクスに
引きずられでもするように、

思いがけず
過不足なく表現できて
しまったというのが、


このFinal Countdownの
強烈なユニークさの
所以なのだと思っている。



とりわけこの歌で、
ある意味不気味とでも
いっていいくらいに、

否応なく悲壮感を誘う効果を
果たしていると思われるのは、


何故彼らが
地球を捨てねばならないのか、


いい換えれば、
どうしてこの星が、

人間が生活できないような場所に
なってしまったのかが、


一切説明されない点であろう。

しかもこのファイカンの歌詞、
繰り返しを除いてしまえば、
全体で百ワードにも満たない。

それだけの文字数で、
地球の滅亡と、


それからこの先
この場面にいる登場人物たちに
のしかかってくるであろう、


何光年にもわたる
希望と絶望と
それから郷愁とが、

十分に表現できて
しまっているのである。


一応は同じく言葉を扱う者として
嫉妬を禁じえないくらいである。



以前ハロウィン(♯117)を扱った際、
メタルという音楽と、

神話的暴力の親和性については
多少触れたかとも思うのだが、


この点はまた
ヨーロッパのサウンドにも、
十分に当て嵌まってくる。


初期の代表曲といっていい
Seven Doors Hotelなど

ある種の
ゴシック・ホラーみたいな趣がある。


もちろん散文ではないから、
ファイカンと同様
詳細な説明は見つけられない。


ただ400年という時間とそれから
七つの扉のうちの一つに

地獄へと続く門を隠した
異形の建物のイメージが、


眼前というか、
こちらの耳に無造作に
放り投げられてくるだけである。


そしてまた、こういった
ある種奇怪な言葉たちが、

このヨーロッパという
バンドの得意としていた


様式美みたいなものを
随所に感じさせる


サウンド・メイキングと、
非常にマッチしているのである。


こちらはやや余談になるが、
ハロウィンの時に名前だけ出した、


ブラインド・ガーディアンなる
やはりノイズ・レコードのバンドは、


しばしばどころではなく、
トールキンの『指輪物語』を、

楽曲の中心のモチーフに採用し、
高い人気を博していた。


この『指輪物語』が、
現代になって登場してきた


ある種の神話の一つであることは、
改めて指摘するまでもないだろう。


そのような解釈に立ってみると、
このファイカンもまた実は、


時間のベクトルを普通とは逆方向、
つまりは、はるかな未来へと
思い切り振り切った、


やはり最早神話と呼んでも
差し支えない種類の
世界観を描き出すことで、

この法則に則っていたのだと、
いってしまって
さほど間違いではないかと思う。


――だから。

この方向に、まっすぐ進んで
欲しかったんだよなあ、と、

今さらながらそう
思わざるを得ないのである。



アルバム
THE FINAL COUNTDOWNからは、


タイトル・トラックに続き、
Rock the Nightと
Carrieの二曲とが、
シングル・ヒットとなっている。

そしてアメリカでの
チャート・アクションは


時期的な背景もあったのだろうが、
実はCarrieの方が上なのである。


もうはっきり書いちゃうけれど、
このCarrieは
至って普通の曲である。

確かに美しいバラードだし、
テンペストの歌唱は
きっちりと胸に迫ってくる。


当時は僕も、
こっちが好きだったようにも思う。


でもハタと気がつくと、これ実は、
ヨーロッパのレコードじゃなくても、

全然いいよなあ、と、まあ
そんなふうにも思えてしまう。


別にスティーヴ・ペリーの、
ヴォーカルだったとしても
そこそこ売れただろうなあ、と。


ええと、念のためですが、
この方は、
黄金期のジャーニーの
リード・シンガーだった人です。

本当、クラシカルな
鍵盤のラインなんかは、
実にヨーロッパらしいのだが、


今にして思うと、
なんか物足りない。


これもある種、
後出しジャンケンではあるのだが。

あるいはこのチャートの実績が、
バンドやあるいは


レコード会社の方針を、
混乱させてしまったの
かもしれないな、と思ってしまう。



その後このヨーロッパは、
残念ながらいわば、

迷走としかいえないような
状態へと突入してしまう。


もっとも以後のカタログを
全部ちゃんと
聴いた訳ではないから、


迂闊に断言することは
本来は控えるべきなのだが、

おそらくはアメリカ志向と
バンドの本来の音楽性の狭間で、
メンバーそれぞれが行く先を見失い、


まずはギタリストが脱退し、
アルバムの制作も
次第に難航するようになり、


ついには92年に活動を停止し、
事実上の解散状態となってしまう。

彼らが再結成を果たすには、
それから結局、
12年の時を要してしまったらしい。


07年には来日公演も
あったようではあるのだが、


再結成後の近年の作品は、
恐縮ながら手にしていない。


さて、これは僕も今回、
このテキストを起こすため、


いろいろリサーチして
初めて知ったことなのだが、


あのボン・ジョヴィが
ブレイク前の時期に
一番意識して、というか、

ライヴァル視していたバンドが、
このヨーロッパだったのだそうで。


これには至極納得がいった。

似ているとまでいったら
少なからず語弊があるが、

たぶん目指していた
音のイメージみたいなものには、


互いに共通する部分が
結構あったのではないかと思う。


残念ながら、
ジョーイ・テンペストの
つまりはヨーロッパ側からの、

ボン・ジョヴィに関するコメントは
さすがに見つけていないのだけれど、


たとえばボン・ジョヴィの
たぶん代表曲といっていい
Living’ on a Prayerは、


歌の全編に渡って、
たぶん夫婦になっているであろう
若い男女二人の、
固有名詞を出してきて、

彼らの日々の生活と
その苦悩とを描き出している。


いわば、短編小説的とでも
形容していい手法である。


確かにこういうのは、
スプリングスティーンの、

とりわけ初期のトラックで
随所に散見される
アプローチであり、


ボスのポジションからしても、
極めてアメリカ的とも
いえばいえなくもないのだが、


その手法が実は、
このヨーロッパの
それこそこのファイカン辺りから

ある種のインスピレーションを
得ていた可能性も、ひょっとして
あるのかもしれないな、と


まあ、そんなふうに感じた次第。

ジョン・ボン・ジョヴィが
スプリングスティーンを
聴いていないとは
絶対に思わないけれど、

でも直接意識していたのは
このヨーロッパだったという方が、


個人的にはよほど
腑に落ちる気がする。



さて、ではそろそろ
締めのトリビアである。

本当はどうしようかな、と
思わないでもなかったのだが、


まあ、書いてしまうことにする。


僕が本当の最初の最初に
自分でハンコをついて
レーベル・コピーを回した商品は、

実はこの人たちのライヴの
LDだったりするのである。


もっともこれは、
いわゆるリイシューの案件で、


規格の関係で
他社からの商品としていたものを、

自社のカタログとして
出しなおすという仕事であった。


だからまあ、御本人たちとは
ほとんど関係のないところで


仕事自体は
全部済んでしまったのだが、

それでもさすがに
こういうのはやはり
忘れないものである。


今回再結成を知って、
軽くほっとしたことも本当である。



いやしかし、
ヨーロッパを回るのに、
結局ちょうど
半年かかってしまった訳である。

ほか、同じスウェーデンからは
エイス・オブ・ベイスというバンドを、


本来は扱うべきだよなあ、とは
重々思いながらも、


この人たちの作品は
今に至るまで、
全然ちゃんと聴いていないので、
ラインナップから落としている。

なんか引っかかって
こなかったんだよなあ。


ちょうどロクセットの
少し後くらいに


ものすごい勢いで
流行っていたはずである。


それから今回は
一応ヨーロッパのお終いなので、
多少はほかの国にも触れておくと、


スペインだけは、浮かぶ名前が
多少なくはなかったのだが、


ポルトガルとかギリシャとか、
あるいは東欧地域の各国なんかは、
やはり全然わからなかった。

ロシアとバルト三国もまた然り。

思いついたのはあのマニクマヘの
タトゥーくらいだったのだけれど、


彼女たちは最近のこと過ぎて、
さすがにちょっと

テキスト一回分は書けないや、と
判断せざるを得なかった。



でもまあ、ロシアからああいう
いかにもなダンス・ミュージックが


出てくるようにも
なったのだなあといった感慨は、
当時は確かに抱きもしたし、

どうやらあのトレヴァー・ホーンも
ちょっとは絡んでいたらしいので、
興味なくはなかったのだけれど、


まあついつい、そのままにしてある。

でもウィキとか読むと、
彼女たちはどうやら
ネタの宝庫だったみたいですね。

ドタキャン騒動も、
実はプロデューサーの
指示だったとかそうでないとか。



それからイタリアに関しては、
僕はダンス・ミュージックにしか
触れられなかったのだけれど、


実は同国のシーンでは
今なおプログレのバンドが
結構盛んであるらしい。

全然知らなかったので、
やはり現時点では
これ以上は何も書けないのだが。



さて、ではいよいよ
アメリカへと渡る前に


次回からはしばし、
オーストラリアへと立ち寄る。

最初はあの、
悲劇のバンドから。


本当、すごく好きだったんだけどなあ。