ブログラジオ ♯117 Halloween | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、ドイツ編もいよいよラスト。

いわゆるジャーマン・メタルは
この方たちに
代表していただくことにしようと思う。


いわずもがなだが、
ハロウィンである。


Keeper of the Seven Keys Part 1/Helloween

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さて、以前にもここでは幾度か
少なからず似たようなことを
書いているかとも思うのだが、

大方お察しの通り、
正直このHR/HMの
ジャンルに関しては


僕よりもずっと以前から
熱心に追いかけてきて、


聴き込んでおられる方が、
随所に相当いらっしゃるので、

まあ詳しいことは、
改めてそういう方面を


探して見ていただいた方が
よろしいだろうと思われます。


しかも、今回の記事の
メインのトピックは

この間のプロパガンダ(♯115)の
時と同様、バンドと会社の
訴訟沙汰だったりしたりしますし。



さて、とりあえずまずは
今回のピック・アップ曲なのだけれど、


曲のタイトルは
普通にHalloweenの表記である。

ところかこれが
バンド名の場合となると、
Helloweenと綴るのが正しい。


なんか「Hell」が入っていた方が、
メタルっぽいみたいな理由で
このスペルになったのだとのこと。


だからバンド名に関しては
実はヘロウィンと書いた方が、

本来の発音には
より近いということになるのだそう。


まあ、今回の記事は
ハロウィンのままでいくけれど。



さて、バンドのデビューは84年だが
曲の方のHalloweenの発表は87年。

『守護神伝』の邦題で有名な、
同バンドの代表作、


KEEPER OF THE SEVEN KEYSの
タイトルを冠した二枚のアルバムの、
そのPART 1の方からのチョイス。


収録はラス前の七曲目で、
13分を越す大作である。

ちなみにこの『守護神伝』だが、
PART 1とPART 2とが


それぞれバンドの
2nd、3rdの扱いに
なってこそいるけれど、


そもそもは両方を併せて、
一枚の作品として
意図されたものだったのだそう。

いろいろと理由があって、
二つに分けての
リリースとなったとのことである。


だから後年、同作が
完全版として、
二枚組みでリイシューされても
いたりする。


あるいはこの辺りの事情も、
後のバンドとレーベルとの
諍いの遠因となっていたの
かもしれないとも思われる。

まあ、本当のところは
当事者以外には
決してわからない部分というのは


こういう場合、
もちろんいろいろあるには違いないが。



いや、しかし今回
二十数年ぶりにこの作品、
改めて耳を通してみたのだが、

やっぱりものすごいや、と思った。

たぶんヘヴィ・メタルという語に、
僕らが予期するだろう要素の、
すべてが詰まっているくらいには


いってしまって
いいのではないかと思う。

やや大仰ないい方をすれば、
このジャンルの音楽の
表現しようとしてきたものが、


ちょうどツェッペリンの
Achilles Last Stand辺りが
まさしくそうであったように、


ある種神話的な激しさをもった
暴力性であるという事実に
今さらながら気づかされた次第である。

極端に早いBPMと
ハイ・トーンのヴォーカルとが


互いに絡み合って
一種の様式美を築き上げていく。


その一つの完成形が、
この二部作には
きちんと見つかるといって
たぶんかまわないだろう。

メロディック・スピード・メタルの
パイオニアなんて呼ばれ方を


このハロウィンが
される場合もあるようだが、


少なくともこの作品が、
メタルというジャンルにおける
一つのメルクマールであることは

今となってみれば
疑いを差し挟む余地はない。


そしてそうならしめたのは、
やっぱり技術的な


裏打ちがあればこそだったよなあ、と
まあ改めてそんなことを感じ入った。

いや本当、リズム隊も
ギターによるツイン・リードも
微塵のぶれも感じさせない。


ただただ圧巻である。


さて、こういうタッチと
方向性とを持った音楽が、

永らくアメリカからは、
登場してくることがなかったのは、


ディープ・パープル(♯98)を
扱った際に
少しだけだが触れたかとも思う。


ツェッペリン以降、
マイナー・コードを基本にして、

ハイ・トーンのヴォーカルと
リズム隊の圧倒的なスピードとで


ゴリゴリと押し出して
くるタイプのバンドは、


いろいろとあったようにも
どこかで思っていたのだが、

そのどれもが基本、
アメリカのバンドといえるような
存在ではなかったことは、


僕自身、この企画を始めて
いろいろと
ウラ取りなり整理なりをして


初めてきちんと、
認識できたような次第である。

だから、あのボン・ジョヴィが、
全米でのブレイクに先立って、


まず日本のシーンで
注目を集めていた理由にも、


この二年くらいでようやく
いろいろ納得がいったという感じである。

もちろん、彼らがあれほどまでに
ビッグな存在になったのは


確かにちゃんとした
理由があるよなとは
ずっと思ってはいるのだけれど、


それでもたぶん、
本国アメリカにおいては

ある種のパイオニアというか、
尖兵的な存在だったのだろうことは、


たぶん間違いがないのではないかと
今はそんな感じに把握しなおしている。


もちろん本企画が
いよいよアメリカに到着して、
同バンドをちゃんと扱う際には、

この辺りもきちんと
書き起こしてみるつもりではあるが。



さて、いつもの余談が
取り返しのつかない場所にまで
いってしまう前に、


そそくさとハロウィンに
戻ることにする。

本作、というかこの二枚、
ドイツのバンドが
ドイツのレーベルから
リリースした作品の中では、


たぶん相当記録的な
世界的ヒットに
なっているのではないかと思う。



ただまあ、しかしながら、
昔キュリオシティ~(♯49)や
カジャ・グーグーなんか(♯93)を

取り上げた際にも
多少似たようなことを
書いているのだけれど、


今回のこのHalloweenのように、
せっかく大事にしているバンド名を、


一つのトラックで、こんな具合に
ある意味無駄に消費してしまうと、

やはり、その後あまり
いいことがないようである。


このハロウィンもまた、
このKEEPER~二部作の発表の後、


バンドそのものが
とんでもない事態に
直面させられることに
なってしまうのである。


さて、上でまずさらっと
ドイツのレーベルとだけ
紹介しておいたのだけれど、


このハロウィンを世に出した
会社の名を
ノイズ・レコードという。


ドイツならでは、とでもいうべきなのか、
メタルの、それも、

スラッシュや、スピード・メタルの
ジャンルばかりを
基本の柱として
成立していたレーベルだった。


厳密にはその母体となった会社も
あるにはあるのだが、


レーベルとしてのノイズの成立は、
ハロウィンのデビューと同じ、
84年の出来事である。

だからこの両者、最初はほとんど、
二人三脚みたいな感じだったのでは
なかったろうかと想像できる。


実際この時期の
同バンドの中心人物だった、
ギタリストのカイ・ハンセンは、


ノイズが続いてデビューさせた、
ブラインド・ガーディアンや

ヘヴンズ・ゲイトなどといった
後続の同ジャンルのバンドを、


彼らのステージに
ゲストとして参加するなどして、


陰になり日向になり、
バック・アップし、
引き上げようとしていたらしい。

メタルをやりたい、
メタルを盛り上げたい、


そういう意識を
上手く共有できていたのだと思う。


それが相互にいい方向に作用して
『守護神伝』の
大ヒットという結果を生み出した。

そこまではまあ、やっぱり一つの
サクセス・ストーリーと
いっていいのだと思う。


そしてここから先はまあ、
半ば以上、個人的な見解に
過ぎないのものではあるのだけれど、


でもこの段階でたぶん
ノイズの方が、

自分たちを過大評価して
しまったのではないかと思う。


KEEPER~の発表後ほどなくして、
まずカイ・ハンセンが
バンドを脱退してしまうのだが、


ノイズとの関係の悪化が
バンド内部の人間関係にも
微妙に影響していたらしい。


それでも、もう一人のギタリスト、
マイケル・ヴァイカートと、


それからKEEPER~で
まさにこれぞメタルという
ヴォーカルを披露した、
マイケル・キスクとを中心にして、


たぶんすったもんだの挙句、
バンドはいよいよレコード会社を移し、

さらなる飛躍を目指して、
四枚目のアルバムを制作、完成する。


ところがこの
PINK BUBBLES GO APEという


次の一枚の発売直前というタイミングで
ノイズの方が上の移籍に関し、

バンドを訴えるという
いわば最終手段に出たのである。


結果として
同作のイギリス以外での発売は
裁判の決着まで宙吊りとなり、


しかも最終的にバンドは
二年間の活動停止を
裁判所から命じられてしまうのである。


さて、もう四半世紀も前の話だから
時効だろうと思って書いてしまうが、


この一報が飛び込んできた時、
当事者ではなかったけれど、
現場にいました。


はっきりいって日本盤、
商品もうほとんどできてました。

CD一枚作るのも
やはり結構大変で、


もちろんまずディスクがあって、
ジャケットやスリーブが
ちゃんと刷り上っていて、


しかもメタルの場合、
Tシャツとかも
つけてたりしましたから。

そういう素材というか
パーツは全部仕上がっていて、


後は工場でそれらを商品に組み、
発売日までに間に合うように、


倉庫から店へと出荷するくらいの
タイミングではなかったかと思います。

結果として同作は、
この後一年あまりで
全世界でちゃんと
発売できるようになるのですが、


一連が発生した段階では、
訴訟がどう決着するかなんて
もちろんまるでわかりませんから、


だからもう、
結局廃棄するしかない訳ですよ。

いや、こんなこともあるのか、と
唖然としたように覚えております。



記憶はもうあやふやだけれど、
当時僕はまだ確か、


マスター・テープの中身を
スタジオで最終的にチェックして
工場へと送る工程の、

そのスケジューリングを
管理をする仕事を
担当していた時期だったと思う。


そういうポジションだったので、
一時期は、その月に出る
洋楽作品のほとんどを


時間の許す限り、
聴かなきゃならない状況だったりして、

このPINK BUBBLES~はもちろん
ノイズの一連の作品も、
結構耳を通していたんですよ。


だからまあ、あの頃が実は
生涯で一番メタルを
聴いていた時期だったなあと、


今となれば改めて
そんなふうに
思ったりもする訳ですが、

まあそれはともかくとして、
傍から見てても
この顛末は相当胃が痛かったです。



で、結局この時ノイズは、
同バンド関連だけなのかどうかまでは
はっきりとはわからないのだが、


とにもかくにも
Wikiの記載によると

計16件の訴訟を抱えることに
なったのだそうで。


なんか、すごいというか、
あきれるというか、
あの頃そんなことやってたんだ。



いずれにせよ、バンドとノイズとの
そもそもの契約というのが
どのくらいひどい中身だったのか、

そこまではさすがに知らないし、
目につくところでは出てこない。


まあでも、正直たぶんノイズの側が
自分たちがプロにしてやった、
みたいな感じに、


徐々になっていったんだろうなあ、とは
なんとなく想像できなくもない。

でもどうしたって
作品を作ることができるのは
アーティストの方である。


確かにこの時期、
ノイズは急成長したのだろう。


ノイズからデビューしたいと
思うようなバンドも、
国内では増えていたに違いない。

でも明らかに
万が一このハロウィンという
バンドがいなければ、


そして『守護神伝』という
強力なアルバムがなければ、


おそらくは何も起きなかったろうことも
ほぼ確かなのではないかと思う。

訴訟沙汰にまでなるほど
関係を悪化してしまう背後には、
どうしたって
思い上がりみたいなものが透けて見える。


だからたぶん、そこを履き違えて
しまったたんだろうなあ。


まあもちろん、所詮すべては、
想像の域を出ないものではあるのだが。


さて、その後ハロウィンは、
92年になってようやくこの
PINK BUBBLES GO APEを、
全世界で発売することが叶い、


さらに同じ英国EMIから
次のCHAMELEONなる作品も
どうにかリリースするのだけれど、


結局移籍先であった
英国EMIは、この二枚で、
バンドに見切りをつけてしまう。

CHAMELEONは聴いていないし、
問題のPINK BUBBLES~の方は


遠い昔に一度か二度、
耳を通しただけなので、


本当はあまり迂闊なことは
いえないといえばいえないのだけれど、

どうやらキスクの本来の嗜好と
バンドの目指すサウンドとが
あまりかみ合わなかったらしく、


どうも二作が二作とも、
些かちぐはぐな出来だったらしい。


でもこれたぶん、
レコード会社の方が、
アメリカのマーケットを意識し過ぎるか

あるいはバンドにも
意識させ過ぎてしまった
結果だったのではないかと思われる。


すべてではないけれど、
要因の一つではあったろう。


折りしも90年代といえば、
ボン・ジョヴィがシーンに一つの
風穴を開けることに成功し、

ガンズがそれに続いて
マーケットを席捲し、


さらにはニルヴァーナを筆頭とした
グランジと呼ばれるムーブメントが
次第に勃興していた時期だった。


でもこのハロウィンの
そもそも持っていたベクトルは、

そういうのとはやっぱり
ちょっと違っていたのである。


まあだから本来、
ハロウィンが付き合う
レーベルとしては、


やはりノイズが
最適だったのだとも思う。

もちろんこの段階ではすでに
両者の関係は
最早修復不可能なものと
なってしまっていた訳だが。



まあレーベルと
アーティストとの
関係というのはたぶん、


それこそ恋愛とそっくりで、
すごく相性がよくて、

お互いものすごく
盛り上がったりすればするほど、


一旦亀裂が生じてしまえば、
簡単には埋められなくなるものだろう。


ちなみにだけれど、
CHAMELEONの次の作品は

キャッスルという
やはりイギリスのインディーズからの
リリースとなった模様である。



で、今回調べてみて驚いたのは、
このハロウィン、まだ現役で


しかもついこの前出た、
MY GOD-GIVEN RIGHTなる
実に15枚目となるアルバムが、

バンドとしての最高傑作だ、くらいの
誉められ方をしているらしいのである。


ヴァイカート、いったい今幾つだよ。

結成時からバンドにずっといる、
ハンセンではない
もう一人のギタリストの方ですね、こちら。

調べてみたら僕より大体四つ上でした。

いやでも、50過ぎて
メタルやってられるって、


ひょっとして
ストーンズよりも凄いんじゃないかと、
正直そう思いました。


さて、そして一方のノイズの方は
01年にアイアン・メイデンを擁した


サンクチュアリなる
こちらもまたイギリスの、
レコード会社へと
身売りすることになり、


その後07年同社の破綻に伴って
どうやら消滅してしまった模様。

同社のカタログの権利は
現在基本的には
ユニヴァーサルが
保持しているのだそうである。



まあだからつまり、
ノイズという会社は
なくなってしまったけれど、


ハロウィンはまだ現役で、
しぶとく生き残っているという次第。

おそらくは逆境と
いっていいだろう境地にも、


決して諦めることなく
音楽を続けていった姿勢、


そして今でもやめていない
その気概には
ただただ頭が下がるのみである。

上のGIVEN RIGHTなる作品も、
今度機会があったら
聴いてみようかくらいに思っている。



さて、最初にも触れた通り、
結局全八回も書いてしまった、
ドイツ編もとうとう今回でおしまい。


次回は隣国、
ポーランドへと足を伸ばす。

音楽もまた、
ガラリと変わったタイプになるので、
そこはどうぞ御了承ください。


むしろ僕がHR/HMを
取り上げる方が本当はめずらしいです。


ですからですね、
何がいいたいかというと

もし今週、
ハロウィンをキーワードに、
ここにたどりついてしまった方には、


来週はあまり期待しないで
いただいた方が
よいのではないかと思われます。


そもそもポーランドの
アーティストなんて、
一人しかアルバム聴いたことないし。

ま、勿体ぶってもしょうがないので、
久々に予告でもしておきましょう。


だから、次回は
バーシアの登場です。


それこそハロウィンとは、
ある意味真逆といっていいくらいな、
音楽になる予定です。


では最後は恒例の締めの小ネタ。

このハロウィンのほか、
ドイツ産のHRとしては、


アクセプトとスコーピオンズ、
それとこのスコーピオンズの
ギタリストだったマイケル・シェンカー、

それからこのシェンカーが
後年移籍した、


英国のUFOくらいには
たぶん本当なら


触れておくべきなのでは
なかろうかとは
さすがに思いはしたのが、

やっぱりあまり詳しくないので、
記事一回分はとても
持ちそうにはなかったから、


とりあえずここで名前出すだけで
御容赦いただくことにした。


好きな方には申し訳ない。

それから、そういう訳で、
一時期このノイズのカタログは
ずいぶんと耳を通したものだから、


メタルのジャンルからでも、
名前だけならもう少し挙げられる。


本文中で出さなかった中では、
ランニング・ワイルド、レイジ、

それからサンダーヘッド辺りが
多少なりとも印象に残っている。


でもスラッシュ系と、
それからデス・メタルとは
全然受け付けなかったなあ。


やっぱりちょっと、
あの時期のノイズは
よくも悪くも
調子に乗っていたんだと思う。

こんなの本当に商品にして
大丈夫なのかってような音も、
なくはなかった気がするもの。


もっともそういうのはもう
名前も覚えていないけれどね。



それからついでなので。

とりわけあの当時
川崎のチッタで見させてもらった、


サンダーヘッドのステージには
正直相当びっくりした。


とにかくすっごいタイトだった。

それこそレコードと
寸分違わないんじゃないかと
それくらいに思うくらい。


同バンドがどうやら
消滅してしまったらしいことは、
残念といえば残念である。



実は川崎に行くまで
渋滞にモロはまって、

バンドと一緒に動かない車の中で
延々三時間ぐらい
過ごしたようにも覚えている。


いや、でも皆基本、
気のいい兄ちゃんたちだったので、


シーナ・イーストン(♯76)の時ほどは
緊張せずに済みました。

だけどひょっとしてあれ
帰りだったのかなあ。


でも確か、
昼間だった気がするんだよなあ。


まあ、そんなあやふやな
記憶ではあるのだけれど、

今となっては
そういうのまで含めて全部


ただただいい思い出で
あったりもするのである。