ブログラジオ ♯108 Boys Don’t Cry | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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では前回の予告の通り、
今やなくなってしまった国家、

ユーゴスラヴィアからの
ユニットである。


涙をみせないで~BOYS DON’T CRY~/ムーラン・ルージュ

Amazon.co.jp

ムーラン・ルージュなる二人組み。

キーボーディスト/プロデューサーと、
女性のヴォーカリストという、

最近は結構お馴染みになった
編成なのではないかと思う。



でもこのスタイルの
パイオニアっていうのは実は、


ユーリズミックス(♯26他)
辺りだったのかもしれないなあ。

もっとも、D.ステュワートは
基本ギタリストだけれども。


いやまあ、でもそういうと、
EBTG(♯20他)も
形としてはほとんど同じなのか。


まあそういう感じの、
デュオというとちょっとだけ
語弊があるような編成である。


ちなみに彼らのグループ名の
ムーラン・ルージュというのは


例によって知っている人には
釈迦に説法のレベルではあるが、


パリにある、たぶん世界で一番
有名なキャバレーの名前である。

一応いつも通り
さらりと横道に逸れておくと、


01年に、
バズ・ラーマンなる監督によって、


ユアン・マクレガーと
ニコール・キッドマンという
顔合わせで、

同劇場を舞台にした、
同名の映画が
製作されていたりもする。


同作品、年代の設定こそ
19世紀でありながら、


E. ジョンのYour Songや、
本当にちょっとだけながら
ボウイのDiamond Dogs(♯7)、

ポリスのRoxanneなんかを
フィーチャーした、いわば
ミュージカル仕立ての一本である。


それにしても、ずいぶんと
好き勝手な選曲である。


確かに知っている曲が
次々と出てくるのは
それなりに楽しかったし、

マドンナのLike a Virginの
侯爵ヴァージョンは
笑えないこともなかったけれど、


でもそれだけだったかなあ。

まあだから、全体としては
あまり強くおススメできるような
レベルの出来には残念ながら程遠い。

まあ、そういうものだと思って、
楽しむ分には、それなりに。



さて、では本題に戻ろうか。

今回のこのBoys Don’t Cryなる
トラックだけれど、

あるいは『涙を見せないで』と
書いてしまった方が、
よほど通りがいいのかもしれない。


もちろんウィンクの、あれである。

ええと、ひょっとして
ウィンク知らない世代の人も、
もしかしてきてくれてるのかなあ。

一応こちらも
さらりと解説しておくと、


80年代の終わりから、
90年代の前半にかけて、


本邦で活躍した女性デュオである。
こちらはいわば本当のデュオ。

二人は主にディスコ系の
洋楽曲のカヴァーを、


独特の無機的、無表情な
ダンス・パフォーマンスで歌い、


まさしく一世を風靡した。
レコード大賞にも輝いている。


この彼女たちの、いわば最初の
ブレイク・スルーとなった


『愛が止まらない』という曲は
原題をTurn it into Loveといい、


オーストラリアの女性シンガー
カイリー・ミノーグが、

デビュー・アルバムで、
発表していた楽曲を、


こちらはイギリスの
ヘイゼル・ディーンという方が


自分のシングルとして
取り上げたものに、

日本側のプロデューサーか
あるいはディレクターが着目し、


ウィンクの二人にカヴァーを
勧めたというような、
流れではなかったかと想像される。



もっとも、まず最初に
同曲をカイリーに提供したのは、
彼女のプロデュースを手がけていた、

リック・アストリー(♯90)ほかで
ここではもうたぶん
すっかりお馴染みの名前かと思われる
S/A/Wなるイギリスのチームである。


ちなみに上のヘイゼル・ディーンも、
このチームのプロデュースで、


Whatever I Do(Wherever I Go)
(邦題:『気分はハイ・エナジー』)なる
ある種の定番チューンを残している。

だから、たぶん当時の
ディスコ・シーンというのは
存外狭い世界で動いていて、


その中でこのS/A/Wの三人が
はたした役割というのは、
想像以上に大きかったのだと思う。



あの頃は、結構こういった感じの、
ディスコ・ミュージックを、
邦楽のアーティストがカヴァーして、

チャートに送り込むという
パターンが頻繁にあったものである。


元ピンク・レディーのミーは
『フットルース』のサントラから
Neverを84年にヒットさせ、


同じアルバムからは
ボニー・タイラーの
Holding Out for a Heroが、

こちらは麻倉未稀なる方の歌唱で、
やはり同じ84年にカヴァーされ、
チャートを賑わせている。


荻野目洋子の
『ダンシング・ヒーロー』は
元々はやはりユーロビートの
Eat You Upという曲だし、


シニータのTOY BOYにも
日本語版が存在していた。

ちょっと毛色は違うけれど、
石井明美のCha-Cha-Cha
なんてのもあったかと思う。



しかしながら、こういう動きは
たぶん90年代の中盤辺りから
すっかり影をひそめてしまう。


そこにはおそらく、
プロデューサー小室哲哉の登場という
背景があったのだろうと
個人的には想像している。

日本のシーンが、
真正面から取り込むことに
なかなか上手く
成功できていなかった、


いわば、
ダンス・フロア・ビートと
呼んで然るべきようなものを、


あの時期の小室さんの
作品群というのが、たぶん初めて、
日本語の楽曲の中に適度に昇華し、

紹介することに、
成功したのではないだろうか。


なんとなくだけれど
まあ一応そんなふうに
把握していたりするのである。


また一方で、
ほぼ同じようなタイミングで
本編のクリス・レア(♯79)の時に
ほんの少しだけ触れた、

メジャー・レーベルによる、
インディーズ、あるいは非メジャーの
吸収合併、統合が一段落し、


どうやら世界的な業界の地図の
書き換えが終了していたことも、
影響していたのではないかとも思う。


直接的な因果関係を
断じることなど
もちろんできはしないけれど、

なんていうか、音楽もまた
それぞれの国、ブランチでの、
自給自足で基本的にはかまわない、


むしろその方が効率がいいだろう、
みたいな風潮が、


目に見えない形で
徐々に浸透していったのだと思う。


そうなってしまうとまあ、
イタリアとか今回のユーゴとか、


そういう国々の音楽が
僕らの耳に入ってくることも、
すっかりといっていいほど
なくなってしまう訳で


だから僕も、ユーゴのバンドなんて、
今に至るまで、
このムーラン・ルージュしか知らない。

というか、
国そのものをいまだによく
把握していないと
いってしまっていいかと思う。


結局幾つの国に分かれたのかも、
正直空では出てこない。


思いつくのは米澤穂信さんの
『さよなら妖精』なる作品が

この国の分離独立の際の内戦を
背景のテーマに据えていたこと
くらいなものだろうか。



でもそういえば、
あともう一つだけ、
知っていることがないでもない。


学生の頃、アイセックで
当時のユーゴスラヴィアに
長期滞在してきた友人がいて、

その方から教えてもらった話。

ユーゴスラヴィアでは、
名前のつけかたに
厳格な規則があって、


男の子の名前は母音のOで、
女の子の名前はAの音で
終わるようにつけるのだそう。

なるほど確かに、
このムーラン・ルージュの
ヴォーカルの女の子の名前も
Aで終わっている。


たぶんアレンカというのだと思う。

もっとも鍵盤の男性の名前は、
その規則にちゃんと従って
いるのかどうかもわからない。

というか、読めない。

Matjaž Kosi ―― ???

調べたところ、どうやらこれ
マティアシュといった感じで
発音するらしい。

いずれにせよ、
Oで終わっていないことは
確かなようで、


だからこのルールが、
今やそれぞれ分離独立している
旧ユーゴ各国の、
どの国のものだったのかは、


僕には今もって謎のままである。


Boys Don’t Cryはまあ、
普通にユーロビートである。


サビの入りの、
Hi, Hi, Hiっていうラインが
適度にキャッチーで、印象に残る。


こういうのに着目して
大ヒットさせた
ウィンクのブレーンって
改めてすごかったんだろうなあ。

いや本当、よく見つけてきたよなと思う。


では恒例の締めのトリビア。
今回は思いっきり横道。


本曲とはまるで関係ないのだけれど、
99年にアメリカで、
まったく同じ題名の、

『ボーイズ・ドント・クライ』なる
映画が製作されている。


クリント・イーストウッド監督に
二度目のアカデミー作品賞を
もたらした、


『ミリオンダラー・ベイビー』で
主役を務めた、
女優ヒラリー・スワンクの

いわば出世作が、これである。

ちなみにスワンクは、
同作と『ミリオンダラー~』とで


二度主演女優賞の
オスカーを手にしている。

タイトルが
ボーイズ・ドント・クライで、
主役は女優。


つまりはこれ、主人公は、
性同一性障害の少女なのである。


こういうのをここまでの
リアリティーで表現できる
女優さんというのは、

確かにこの
ヒラリー・スワンクくらいしか
いないかもしれないな、とも思う。


どことなく、
アン・レノックスを思わせないでもない。


しかしながら本作は、
米国で実際に起きた
殺人事件を扱っているので、
どうしても終始重苦しい。

だから、それなりに余裕のある時でないと
あまりおススメはできない感じである。


僕が目を通したのは、
『オールド・フレンズ』の
準備のためだったのだが、
少なからず消耗した記憶がある。


なお、スワンクの役柄は
大方お察しの通り、
この事件の被害者である。

さて、では次回は進路を北に向け、
ドイツを目指す予定である。