ブログラジオ ♯98 Smoke on the Water | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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前回がトム・ジョーンズで、
そこからこの並びは
さすがにどうだろうとは、

自分でも少なからず
思わないのでもないのだが。


曲名から大方おわかりの通り、
ディープ・パープルである。


ブリティッシュHR/HMは
やはりこの人たちに
代表していただくことにした。

ヴェリー・ベスト・オブ・ディープ・パープル/ディープ・パープル

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HR/HM、すなわち、
ハード・ロック/ヘヴィ・メタル。


まあ中坊くらいの頃は
僕自身もご他聞に漏れず


硬石/重金属とか書いて、
喜んだりしていたものではありますが。

え、やりませんでした?

まあ、さておき。

ここを覗いて下さっている皆様は
すでに十分お察しなのでは
ないかとも思うのだけれど、

僕はこのジャンルに関しては、
決してさほど詳しい訳ではない。


正直、長い時間かけっぱなしにして
聴くということもあまりない。


たぶん年のせいも、少なくなく
あることは確かなんだけれども。

まあツェッペリンだけは
別枠だったりするのだが。


ほか、時折引っ張り出すものといえば、
どちらもアメリカのバンドになるが、
まずはボン・ジョヴィとヴァン・ヘイレン、


それからこちらはフィンランドの
ハノイ・ロックス辺りを

時々プレーヤーに
載せているくらいである。


あとはヨーロッパかなあ。

ネタとして扱っておきながら(♯75)、
スコーピオンズは聴いたことがないし、

J.プリーストもまた然り。

時期的なものもあるのだろうけれど、
かといって、ガンズもさほど、
頻繁に聴きたくなる訳でもない。


大体のところはそんな感じ。
なんか忘れている気もするけれど。


まあ、だからできれば、特に今回は、
その辺りは適当に割り引いた上で、
お読みいただければと思っている。


このジャンルにそれこそ
かなりディープにお詳しい向きは、
巷間相当いらっしゃるはずなので、


探せばもっと詳細な記事が
たくさん出てくると思います。

しかし、そんな僕でも
知っている曲が
複数あるというのが、


やっぱりこのD.パープルの
すごいところなのである。



さて、まずはここで問題である。

世界で最初にレコーディングされた
ヘヴィ・メタルと呼んでしかるべき曲は
いったい誰の、どのトラックか。


これもまた、どうやら
ビートルズになるらしいのである。


WHITE ALBUM所収の
Helter Skelterが、一部では、
世界初のヘヴィメタとして
扱われるのだそうで。

いわれてみれば確かに、
早弾きこそないけれど、


シャウト全開のヴォーカルと
マイナースケールのギターリフで、
曲の全体を作り上げている感じは、


ヘヴィメタの方法論の
先駆けであるといえるのかもしれない。


もちろん、ではHRとHMの線引きが
はたしてどこにあるかと問われると、
こちらはまったく困ってしまうのだが。


ツェッペリンのR.プラントは、
自分たちは決して
ヘヴィメタではないみたいなことを
どうやらいっているらしいけれど、


これにはなんとなく頷いてしまう。

確かにRock’ n Rollも
Immigrant Songも
ハード・ロックではあるけれど、
メタルとはちょっと違う気がする。


さらにはKashmir辺りの先鋭性は、
むしろプログレに近い
ものなのではないかとさえ思う。


いや、あのイントロの重々しさはむしろ、
最早ロックとかポピュラーとかさえ、
すっかり越えている気がしないでもない。

――まあとにかく。

このHelter Skelterと、
ツェッペリンの登場とが、
同じ68年の出来事である。


だからやはり、この年を境に、
ロックの何かが
変質あるいは進化を始めたことは
たぶん間違いがないのだと思う。

もっともこれらはすべて、遺憾ながら
僕がまだ二歳の頃の出来事である。


歴史っちゃあ歴史だよね、もう。

なお、上のWHITE ALBUMは通称で、
あの二枚組みの正式なタイトルは
THE BEATLESとなるので念のため。


いや、そろそろ本題に行かないと。

さて、このディープ・パープルもまた、
同じ68年にシーンに登場してきている。


告白すると、最近までこのパープルは、
てっきりツェッペリンの影響下に
登場してきたバンドなのだろうと、
どこかで思い込んでしまっていたので、

今回改めて、ほぼ同時に
活動を開始していたのだと確認して、
少なからず意外だった。


もっとも、通例第一期と称される、
この時期の楽曲は、
無理矢理に形容するならば、
ブルース・ロックに近いのだろう。


もちろんメンバー全員が
技術的に極めて確かなので、
音は非常にソリッドである。

だから、非常に大雑把ないい方だけれど

リッチー・ブラックモアという
類稀なセンスを持ったギタリストと、


もう一方のジョン・ロードなる、
やはり卓越したスキルを有する
鍵盤奏者との幸運なる出会いが、

このパープルというバンドの
核であり、すべてなのだと
いってしまっていいのだと思う。


もちろん、こういう高音部の楽器が
存分に暴れるためには、


ドラムとベースのリズム隊が、
よほどしっかりしていないと
なかなかカッコがつかないものだから、

決してイアン・ペイスや
ロジャー・グローヴァーを
軽んじているつもりはないのだけれど、


それでもサウンドを形容しようとすると
どうしても上のような
表現になってしまうのである。



本当にざっくりと説明しておくと、
このD.パープルというバンド、

メンバー・チェンジがあるたびに、
これらを一期、二期、というような
呼び方で分類して把握することが
おおよそ一般的であるようである。


数え方によって異同はあるが
現在は第9期に入っていて
通例黄金期といわれる
二期のヴォーカリストであった


イアン・ギランなるシンガーを
中心にして、バンドは今なお、
活動を続けている模様である。

もっとも、残念ながら、
ロードはすでに2012年鬼籍に入り、


ブラックモアも、八期以降は、
ラインナップに名前を連ねていない。



さて、まずデビューから
わずか一年余りで、

ヴォーカルとベースが交代し、
この二期が始まることになる。


どうやら当時、
ツェッペリンの大ブレイクを受け、


バンド内では、自分たちの
この先目指すべき方向性を巡って、
それなりの混乱があった模様である。

新生ラインナップでの
オーケストラとの共演という、
画期的なライヴ作品の発表の後、


今度は逆に、
思い切りハード・ロックに振った
IN ROCKなる一枚を発表する。


そしてこのアルバムが、
全英四位にまで上昇する
大ヒットとなったことで、

パープルのいわば、
進路が決定された訳である。



元々このジョン・ロードという方、
ハモンド・オルガンの音色が大好きで、
おそらくクラシックの素養も
少なからずあったのだろうと思われる。


上のオーケストラとの共演も、
そもそもはロードの方の、
アイディアだった模様であるし、

パープルの音楽全体に感じられる
ある種の様式美は、
この方の存在に負うところが
多かったのではないかと思う。


それでも彼は、
IN ROCKの大ヒットを受けて、
バンドの音楽的な主導権を
ブラックモアへと委ねるのである。


かくしてD.パープルは、
この次の次のアルバムで、

ロック史に残る名曲、
あのSmoke on the Waterを
生み出すことになるのである。



同曲のこの強烈なギター・リフは
たぶん誰もが知って
いるのではないかと思う。


何がすごいかって、この
Smoke on the Waterはもちろんのこと、

BurnにせよBlack Nightにせよ
あるいはSpace Truckin’にせよ


聴いて一発で、まずリフから頭に
入ってきてしまうところである。


こういう曲が幾つもあるって、
本当にすごいなあ、と思う。

大体まあ、自分の印象に残り、
好きになるトラックというのは、


もちろん個人的には、と
いうことでしかないけれど、


まずはサビに反応するかどうかが
決め手になってくる。

だけど、パープルのトラックは違う。

サビがなかなか出てこなくても、
ギターのラインはすぐ浮かんでくる。


そんな音楽、正直あまりない。

この域にまで達しているのは、
それこそヴァン・ヘイレンの
Jumpくらいなものではないだろうか。


もっともあちらは
キメを担っているのは
シンセサイザーの音色だけれど。


そしてそのギターの
前への出方を巧妙に支え、

かつトラックの全体に
ある種の格調のようなものを
付与しているのが、
ロードのオルガンなのである。


いや、一回くらい
コピーしておけばよかったと、
今回本稿のためにじっくり聴いて、
ついそんなことを思いもしました。



あとまあ、本当に不思議だなあ、と
つくづく思ったのは、

こういうマイナー・キーで
ゴリゴリに押し出してくるスタイルの
ハード・ロック・バンドというのが、


ボン・ジョヴィ以前のアメリカには、
ほとんど見当たらないことである。


確かにヴァン・ヘイレンの
楽曲の幾つかには、

このフォーマットに
則っているものもある訳だけれど、


彼らを躍進させたのは、
Oh!Pretty Womanであり、
前述のJumpだったりするのである。


その辺が、アメリカという国の国民性の
どの辺りと関わっているのかは、
さすがにはっきりとはわからないけれど、

だからたぶん、ツェッペリンと
このパープルが切り拓いた
ハード・ロックというスタイルは、


まずヴァン・ヘイレンに受け継がれ、
ボン・ジョヴィとガンズの登場を待って、


ようやくアメリカに
根付いたのだろうと思う。

ま、間違っていたらごめんなさい。

いずれにせよ、パープルはなんか、
ぎりぎりメタルよりの
ハード・ロックなのではないかと思う。


ただこの辺も、迂闊に断言するのは、
ややどころではなく気が引けるが。


さて、ギランの次、つまり三代目の
同バンドのヴォーカリストとなったのが、
デイヴィッド・カヴァーデイルという
長い名前のシンガーである。


そして76年のパープルの
最初の活動休止の後、


彼を中心に、
ホワイトスネイクという
バンドが結成されている。

またギランはギランで、
メタルの祖ともされる
ブラック・サバスに
加入したりもしているし、


リッチー・ブラックモアが
80年代初頭にレインボーなる
バンドを組んでいたのは
たぶん皆様ご承知の通りであろう。


そういう意味でも、
ハード・ロックという分野における、
パープルの存在感というのは
非常に大きなものがあるのである。


ほか、英国のこのジャンルでは、
アイアン・メイデンと
デフ・レパード辺りは、


ちゃんと紹介するべきかもしれないとは
もちろん思いはしたのだけれど、
やっぱり枠が足りなくなってしまった。


しかも今回もまた
だいぶ長くなってしまったので、

Smoke on the Water誕生秘話ともいうべき、
ジュネーヴの湖のほとりでの、
有名な逸話についても割愛。



さらにそそくさと、
締めの小ネタに行くことにする。


偽ディープ・パープル事件と
いうのがあるらしい。

第一期の、つまり初代の
リード・シンガーだった
ヴォーカリストの名前を
ロッド・エヴァンスというのだけれど、


このエヴァンス、パープルが
解散状態だった80年頃に、


それぞれのパートに
ルックスのよく似たメンバーを
オーディションで選んで雇って、

ディープ・パープルの名前で、
コンサートを催し、


のみならず二期の
ヒット・ナンバーを中心に
セット・リストを
組み立てたりしていたらしい。


もちろん観客は怒る。

ついにはリッチー以下、
本家のメンバーの知るところとなり、


ロジャーは一期時代の
共作者としての印税の権利を
放棄させられたうえ、


音楽業界から姿を消してしまうという、
まあ、なんともいえない出来事が
起っていたりもするのである。

しかしこれ、どうやってやったんだろう。

会場抑えてそれなりに宣伝して、
チケットが売られて初めて、
ライヴというのは成立している訳で、


その段階に関わった誰も彼もが、
止めなかったっていう条件が揃って、

このステージって、
仮にも成立していた訳だから、


いわゆる興行主的な
ポジションにいた人間は
いったい何を考えていたのだろうか。


ちょっと考えれば絶対ヤバイって
わかりそうなものだと思うんだけれど。

まあ、お金になると
思ったんでしょうねえ。


それにのってしまった
エヴァンスもエヴァンスですが。


いや、彼がそもそもの
首謀者だった可能性だって
もちろん否定はできないのですけれど。

やっぱり歌いたかったのかなあ。

だけどもしかして、
最初からすっかりギャグにして、


たとえばCHEAP PURPLEとか
やってたとしたら、ひょっとして
セーフだったんじゃないだろうか。

それで一緒にチープ・トリックの
レパートリーなんかも
やったりしたりしていれば、あるいは。


なんて、まあ、本当しょうもないことを
しばし考えたりもしてしまいました。