ブログラジオ ♯97 It’s Not Unusual | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

すいません、うっかり先週、
フライングでこちらの
ジャケットの方を出してしまいました。

些か戸惑われてしまった向きには、
どうぞ御容赦くださればと存じます。


グレイテスト・ヒッツ/トム・ジョーンズ

¥2,674
Amazon.co.jp

いやしかし、このトム・ジョーンズが
イギリスのアーティストに
分類しなければならないのだとは、


実は僕自身、この前まで欠片も
思ってはいなかったりするのである。

70年代どころか、
基本その前の60年代の方である。


実際彼がグラミーで
最優秀新人賞を獲得したその年に、
お恥ずかしながら僕は
ようやくこの世に生を享けている。



だから、僕が名前を知った頃にはもう
このトム・ジョーンズなる方は、

なんというか、ラス・ヴェガスで
連日ショウを演っている人だった。


何の映画だかテレビだかは
とっくに忘れてしまったのだが、


ラス・ベガスに来た主人公たちが
よし、じゃあトム・ジョーンズを探そう、
などといい出すみたいなギャグがあって、

まあそれで、そんなイメージが、
すっかり刷り込まれてしまっていた。



しかも今回表題にした
このIt’s Not Unusualという曲が、
徹頭徹尾真正面からソウルフルで、


なんとなくストリングスや
ブラスの入り方が、
ヴァン・マッコイみたいにも思えて、

てっきりあの辺のレーベルの
シンガーだろうと
思い込んでしまっていたのである。



いや、今みたいに映像を
検索することなど
一切できなかった時代であるから、


ご尊顔を拝見したのも
比較的最近のことである。

あるいはそれ以前にも、
どこかに目にしていた可能性は
決して皆無ではないのだが、


それどころか、カメオ出演した
『マーズ・アタック』なんかは
見ているのだけれど、気づいていない。


というか、まったくそれと
意識していなかったのだと思う。

加えて、これもどういう刷り込みなのか
自分でも全然わからないのだけれど、


僕は何故かこのIt’s Not Unusualの、
ちょっとシャッフル気味の
独特なイントロを聴くたびに、


パン・アメリカン航空かどこかの、
あの古いタイプの旅客機が、
意気揚々と離陸していく映像が

必ずといっていいほど
浮かんできてしまうのである。


なんだかS.マックイーン辺りでも、
乗っていそうな感じ。


たぶんそれなりの理由が
あるのだろうとは思うのだけれど、

こちらもまた、最早自分でも
さっぱりちっとも見当がつかない。


いや、記憶というのは実にいい加減で、
まったく不思議なものである。



そもそもが僕に
トム・ジョーンズなる名前と、
それからこの曲の存在とを
まず最初に教えてくれたのは、

ブロウ・モンキーズ(♯8,♭10,♭23)の
ドクター・ロバーツだったりする。


何度かここでも触れているように
当時とにかく僕はこのバンドに
注目あるいは心酔していて、


で、どうやら彼らが、
このIt’s Not Unusualのカヴァーを

自分たちのレパートリーに
加えているらしいというのを
まずライナーノーツか何かで読んだ。


てっきり『ダーティ・ダンシング』なる
映画への提供曲なのだろうと思って
いそいそとサントラを借りてきてみたら、


こちらに収録されていたのは、
レスリー・ゴーアのカヴァーだった。

まあここは横道上等ということで、
ついでに軽くこのゴーアにも触れておくと、


『涙のバースディ・パーティー』なる
トラックを大ヒットさせた方である。


聴けば多分、ほとんどの人が思い出す。

It’s my party, and I’ll cry if I want to,
Cry if I want to, cry if I want to――


ってやつである。

もっとも、この時ブロモンが
カヴァーしていたのは別の曲。

You Don’t Own Meというトラックで、
『恋と涙の17歳』という
いかにもな邦題がつけられていた。


いや、時代だなあ、とも思うけれど。

もちろんこのゴーアはアメリカの出身で、
いわゆるオールディーズの重要な
アーティストの一人である。

加えてドクター・ロバーツは
ソウル・ミュージックの
レコード・コレクターだとも
聞こえてきていたものだから、


僕はこのトム・ジョーンズのことも
すっかりアメリカの人だと、
思い込んでしまっていたのである。


自分としては、無理もないことだと
思っているのだけれど、ダメだろうか。


いや、まあ『よくあることさ』って、
オチをどうにかして
つけたかっただけなんですけどね。


もちろんIt’s Not Unusualの邦題が、
上の一節だったりする訳です。


ま、ちょっとどころではなく苦しいなあ。
そこは自分でも認めざるを得ないです。


さて、このトム・ジョーンズだが、
そもそもはあのエルヴィスに憧れて
音楽の道を志したのだそうである。


元々は小さい頃から
歌うことが大好きで、


家族の集まりや、学校の行事などで、
頻繁に人前で歌ってはいたのだそう。

ところがこの方、御年16の時に、
出身地のサウス・ウェールズで
いわゆる出来ちゃった婚をしてしまう。


そこから、なんというのだろう
とにかくレコード・デビューを果たし、


のみならず、さらにはスターダムへと
のし上がっていくのも
すごいなあとは思うのだけれど、

個人的には、この時のこの
リンダという奥さんと
添い遂げているといっていいのが
相当カッコいいなあ、と思いました。


詳細は割愛しますが、とにかく彼は
炭鉱や建設現場で働きながら、
夜はパブで歌うような生活を続け、


地元で多少の人気が出たところで、
多分五歳くらいの息子と妻とを
サウス・ウェールズに置いたまま、

バンド・メンバー全員で
ロンドンの狭いアパートでの生活を
余儀なくされたりとかも
している模様だったりするのです。


本人もきつかったろうけれど、
よく家族が、奥さんが許したなあ、というか
我慢したんだろうなあ、などと
ついつい考えてしまいました。


ちなみにこの時のご長男が、
後年にはトム自身の
マネージャーとなっていたりもする。

この事実だけでも、どれほど長くこの人が
第一線にとどまり続けているかが
察せられてこようというものである。



さて、念願のデビューを果たした直後、
二枚目のシングルだった
このIt’s Not Unusualが


全英一位はもちろんのこと
世界的な大ヒットとなった。

その後も、007の主題歌や、
Green Green Glass of Home
(邦題『思い出のグリーン・グラス』)
などのヒットが続き、


かくしてトムは、瞬く間に、
世界的な大スターとなったのである。


まあ、もっともすべては
60年代の出来事である。


さて、よく僕はここで、第二次
ブリティッシュ・インヴェイジョンと
いう言葉を使っているのだけれど、


二次という以上は、
もちろん最初の一回目がある。


ビートルズとストーンズの
両グループを筆頭に、

ヤードバーズやアニマルズなどが
アメリカのチャートを
入れ替わり立ち代りに席捲した。


おおよそ60年代中盤から、
70年に至るまでの時期の出来事である。



つまり、まあだから、
このトム・ジョーンズもまた

この第一次のアメリカ侵略の、
一画を担っていたという
位置づけになるのだそうなのである。


ペット・ショップ・ボーイズの、
What Have I Done to~(♭59)の時に


ちょっとだけ名前を出した、
D.スプリングフィールドもまた然り。

ほか、ペチュラ・クラークや
デイヴ・クラーク・ファイヴ、
ハーマンズ・ハーミッツ
クリフ・リチャード辺りが挙がるらしい。


しかし、さすがにこの時代になると、
まったく聴いたことがないか、
代表曲一曲くらいしか、
知らない人たちばかりなので、


まあ今回、このトム・ジョーンズに
代表していただいたという感じである。


さて、このトム・ジョーンズ、
このインヴェイジョンの波に乗り、
アメリカ進出に成功すると、


どういう心情だったのかは
さすがによくわからないが、


ほとんど間をおかずに、家族と一緒に
カリフォルニアへと移住してしまう。

その後はカントリーに
傾倒したりもしているようだし、


そもそもがエルヴィスだったのだから、
いってみればアメリカと、
その音楽が大好きだったのだろう。


いずれにせよ、まあ
カリフォルニアからはかなり近いから、

今回の冒頭でまず触れた、
ラス・ヴェガスでのショーという
いきさつになったのだと思う。


すでにトムはこの頃、
ほとんどある種の
セックス・シンボル的なポジションにいて、


観客の女性たちがこぞって、
トムのいるステージに向かって、
ルーム・キーや下着を投げたというのが、
どうやら有名な逸話なのだそうである。

どこからどこまで何があったかは、
さほどちゃんと調べるつもりも
正直まったくないのだけれど、


だから、そういう話題を目にすると、
にもかかわらず、離婚とかいった話が
まったく起きていない様子なのは、


よほどこのトム、
奥さんのことを大事にしてるんだなあ、と
思ったりもするのである。

苦労を共にしたんでしょうねえ、きっと。
その恩を忘れていないのでしょう。



さらには、もちろんトムは
このアメリカの地で


念願かなってかつての自身の
最大のアイドルであったエルヴィスと
ついに対面を果たすのだけれど、

のみならず、どうやら彼らは
互いによほど馬があったらしく、


後年この二人、ほとんど
親友といっていいほどの
仲になっていたらしい。


エルヴィスがステージに上がる前には、
トムの代表曲の一つDelilahで
咽喉ならしをしていたらしいなんて、
エピソードもあったりするし、

一緒に映ったプライヴェートの写真も
少なからず残されている模様である。


さらにはエルヴィスがトムの持ち歌を
カヴァーするようなことも起きていて、


いやあしかし、
そういうのはたぶん
天にも昇る気持ちだったのだろうなあ、と
ついつい想像をたくましくしてしまう。


ではそろそろトリビアにいこうか。

トム・ジョーンズは本名を、
トーマス・ジョーンズ・
ウッドワードという。


だからこの芸名はもちろん
そもそもは本名に
由来しているのだけれど、

実はもう一つ理由がある。

ヘンリー・フィールディングという
イギリスの作家に
まさに『トム・ジョーンズ』という作品があり、


これが英語で書かれた小説の
いわゆる古典の一つなのである。

1749年の作品で、
散文によるフィクション、
つまりは小説という形態が


ヨーロッパに登場してきた、
極初期の一冊であるといっていい。


そういう意味では、
本名にも通じるうえに、

巷にも相当通りがいいという
判断だったのだろうと思う。


ひょっとしてヒカルゲンジみたいなもんか?

いや、さすがにちょっと違うかな。


さらには、20世紀の終わりになって
今度はアメリカに同名の
こちらは作品ではなく、
小説家が登場してきたりもしている。


僕自身はお恥ずかしながら未読なのだが、
村上春樹さん、舞城王太郎さん辺りが、
訳出して本邦に紹介している模様である。


これがフィールディング作品に
由来したペン・ネームであるのか、

それともれっきとした
御本名なのかどうかまでは、
恐縮ながら未確認。



それから、取りこぼしの方については、
今回は、大体上のブリティッシュ・
インヴェイジョンのところで、
名前を出してしまったつもりである。


あとは、ギルヴァート・オサリバンが、
実はこのトム・ジョーンズと同じ
マネージャーの手によって
世に出たりもしているらしいのだが、

正直Alone Againしか知らない。

ほか、キャット・スティーヴンスとか
マンフレッド・マン辺りも、
やっぱりちゃんと
聴いたことがないので名前だけ。


さらには、
確かM.プリースト(♯64)の時に
ちょっとだけ触れた

ビリー・オーシャンなるシンガーも、
結局扱うことは見送りました。


イギリス出身で、R&Bの部門で
グラミーを受賞しているという
稀有なアーティストではあるのですが、


なんだか曲が記憶に残らない。

いや、確かにCaribbean Queenには
相当のインパクトがあったのだけれど、


でも今になってみると、
不意に思わぬところで耳にしたりと
いったようなことが


滅多にないどころか
ほとんど皆無であるような気がする。

もちろん個人的な感想ですが。