ラジオエクストラ ♭69 涙のスクール・デイズ | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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まさかこんなきっかけで、
この曲をここで
取り上げることになろうとは。

誰も知らないだろうとは思うけれど、
実はこの方のトラックである。


シャワーのあとで/川島なお美

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いや、どうしようかとは思ったのである。

邦楽は、まだサザンもユーミンも
松田聖子も取り上げていないというのに、

この段階で、さすがにいきなり
川島なお美はないだろうと、
自分でも少なからずそうは思っている。



ただまあ、おそらくほかに、
こういう側面から
この方のことに触れる向きも、
決して多くはないだろうと思われたので、


正直、少々どころではなく
気恥ずかしくはあるのだが、
やはり書いておくことにする。

もちろん、いつも基本はそうなのだが、
だからとりわけ今回の記事は、


ある意味極めて個人的な、
備忘録のようなものである。



さて、僕は高校に上がった辺りから、
まあここでいつも挙げているように、

基本洋楽へと、自分の音楽の
嗜好性をスイッチしてしまうのだが、


中学時代から聴き始めていた
最初の移籍までの松田聖子と


それからこの彼女のアルバムだけは、
ほぼ最後まで
追いかけていたりもするのである。

単純に気に入っていたのである。

もちろん、といってしまうと
やや語弊はあるかもしれないが、
聖子作品とは違って、
周りはほぼ誰も聴いてなどいなかった。


それどころか、
今はどうだか知らないけれど、
当時の北海道には、

深夜に文化放送を
中継してくれる局がなかったので、


ミスDJなんて辺りの盛り上がりも
ほとんど異国の地の出来事だった。



贔屓目にいっても、
アイドル歌手として
成功していたとは
とてもいえない。

チャートに入るようなヒット曲が
あった訳ではまったくない。


ラジオで曲を耳にすることすら
ほぼ皆無だったといっていいし、


それどころか、
歌番組に呼ばれることも
滅多になかったと記憶している。

それでもあの頃の僕は、
彼女のアルバムを聴くのが
毎回すごく楽しかったのである。


今になってみれば、
何だったのだろうなあと
思わないでもないけれど。



そもそもは、レコード・ショップで、
アルバムを試聴したことがきっかけだった。

たぶん聖子の『風立ちぬ』みたいな
手触りのアルバムを
漠然と探していた時のことである。


当時はそんな試聴機みたいな
設備もまだなかった時代だから、


店員さんが渋々といった様子を
隠そうともせず、

僕が選んだ何枚かを
あのポリの薄い袋から出して
店のターン・テーブルに載せてくれた。


だけどなかなか引っかかるものが
見つからなかった。


さすがにもう頼めないなあ、と
思い始めたところで、
彼女のアルバムを引き当てたのである。

耳に入ってきたのは
「泣きながらDancin’」という曲だった。


あれ、悪くないな、と思った。

そして改めてクレジットを眺め、
随所に杉真理さんの名前を見つけ、

これなら大丈夫かな、と思って、
購入に至ったはずだと記憶している。


それが、今回の
『シャワーの後で』の前作に当たる
『SO LONG』という一枚だった。



念のためだが、この杉真理さんは、
大瀧さん、佐野さんとともに
第二期のナイアガラ・トライアングルの
一画を担っていた方である。

なかなか上手くいえないが、
僕はだから、杉さんらしい、
ちょっと瀟洒で都会的な雰囲気を
期待しつつ、家に帰ってきた訳である。


そして、いそいそと
針を落としたこの一枚は、


そういう意味では、
十分期待に応えてくれたのである。

さらに続いて、上にジャケ写を載せた
三枚目のアルバムに、


今回表題に選んだ
この「涙のスクール・デイズ」なる
トラックを見つけて、


追いかけることを
止められなくなった。

なお、同曲には
I’m Just a Lonely Girlという
サブ・タイトルが
つけられているので念のため。


割愛したのは、U2の時と同様に、
ここの記事タイトルの箇所に
文字数に制限があるからである。



さて、おそらくは薬師丸ひろ子の
「セーラー服と機関銃」辺りから

大きく趨勢が傾いたのでは
なかったかとも思うのだが、


当時はアイドルのレコードに、
あの頃ニュー・ミュージックと
呼ばれていたジャンルの、
ソングライターたちが曲を提供し、


一つのシーンを
作り上げることを始めていた。

そのムーヴメントを
先頭に立って切り拓いていたのが、
やはり松田聖子だったのだと思う。


この方のレコードに関わった
作家陣の顔ぶれは、ただものすごい。


大瀧詠一、松任谷由実、財津和夫、
細野晴臣、そして佐野元春。

アルバム収録曲にはさらに、
甲斐よしひろや原田真二辺りの
名前も見つかっていたはずだと思う。


詳細は今回は譲るけれども、
いわばその、松田聖子という


巨大なある種のシステム、
あるいはプロジェクトが、

強力にシーンを牽引していくという
時代背景の中で、


同時期のこの一連の
川島なお美作品もまた
制作されていた訳である。



もちろん結局は極めて個人的な
想像でしかないのだけれど、

当時の彼女の周囲にいたスタッフは、
本当に丁寧に、真剣にかつ挑戦的に
仕事をしていたのではないかと思う。


起用されていた作・編曲陣にも、
最初に挙げた杉真理さんのほか、


井上鑑さん、伊藤銀次さんといった
ビッグ・ネームといっていい名前が
複数回登場してくるし、

それから中原メイ子に渡辺真知子、
終盤では玉置浩二や


NOBODYといった辺りまでが
ラインナップに名を連ねていたりする。


だから、アレンジは全編を通じて
なかなかに凝っているし、

ブラスやストリングスも、
結構惜しげもなくつぎ込んでいる。


くわえて、それぞれの楽曲のみならず、
全体を通して聴いた時、


一枚を貫くある種の物語と
緩い縛りのようなコンセプトとが、

きっちりと浮かび上がって
見えてくるように仕上がっている。


おそらくどういう作品を目指したいのか、
事前に入念な打ち合わせと、
意思統一とがあったものと思われる。


そこにどれほど、
御本人が参画していたのかは
さすがによくわからないけれど、

今になってみれば、
決して全面的にスタッフ任せという
訳でもなかったのでは
ないだろうかとも想像される。



ただし、このアプローチが
時々行き過ぎてしまう場面はある。


戦略ではあったのだろうが、
女子大生という
専売特許的なキーワードに
縛られるあまり、

学生と教授あるいは助教授との、
不倫のスケッチのような歌が
(しかも作曲は伊藤銀次)
明るい感じで出てきたり、


かと思えば、御本人が卒業してしまえば、
今度はどこかコケティッシュな
娼婦の物語(こちらは井上鑑作)を
軽快に描き出してみたり、


ひと夏のアヴァンチュールとしか
解釈できないような光景を歌にしたりと、

そういったすれすれのモチーフが、
随所で些か
強調され過ぎている
キライがあるのである。


こういう要素が、枚数が進むにつれ、
少し鼻につくようになっていることは
やや否めないかもしれない。


それからまあ、
やはりヴォーカルが
それほど安定してはいない。

少なくとも決して松田聖子ほど、
天性のシンガーではなかったことは
これもまた、
否定できない側面だったとは思う。


さらにいえば、
当時の東芝EMIという会社は
アイドルを売り出すことが
決して得意な訳ではなかった。


むしろ弱かったといっていい。

あの頃の同社には、ユーミンを筆頭に、
オフコース、チューリップ、
甲斐バンド、長渕剛といった


錚々たる面々が
カタログに名前を連ねていた。


まあだからたぶん、
アイドルで売り上げを作らなくても、
全然大丈夫な会社だったのである。

それ故に、このジャンルに特化した
プロモーションのルートもノウハウも、
さほど確立されては
いなかったのに違いない。


そんな中で、それこそ
他社のアーティストだった杉さんや
伊藤さん、井上さんとの関係を維持し、


最終的に七枚のアルバムを
発表するまで
粘り続けることができたのは、

実はスタッフの相当の思い入れが
あったからなのではないかと、


まあ今だからこそ、そんなことを
なんとなく想像してしまうのである。



そしてその熱意は、少なくとも、
当時の僕には間違いなく届いていた。

中でも今回の「涙のスクール・デイズ」は
それこそ松田聖子の「蒼いフォトグラフ」とも
共通するような、


社会へ出てから学生時代を
振り返った時に湧き起こってくる、
なんともいえない郷愁を、


きちんと切り取ることに成功している、
数少ない佳曲だくらいに思っている。

たとえばドラマのクロージングか何かで、
ドラムからちょっと泣きの入った
ギターへと繋がっていくこのイントロが、
いいタイミングで入り込んできたならば、


存外カッコよくキマるんじゃないかなあ、
なんてことを繰り返し
想像したりもしたものである。


まあだから、多分に贔屓目なのである。

いずれにせよ、そういう訳で、
お恥ずかしながら
僕がハイ・ティーンの頃、


試験勉強なりなんなりのBGMとして
部屋に流していた音楽たちの中に、


彼女の遺したレコーディングが
少なくない割合を占めていたことは

もう決して
揺るぐことのない事実なので、


そういった理由から、
些か唐突ではあるが、


今回この場でこの曲を
取り上げさせていただいた次第。

ほか、井上鑑さんの手による「グリーンの夜」
杉真理さんの「想い出のビッグ・ウェンズデイ」
「TOKYO PRINCESS HOTEL」などの曲は、
今でも時々聴きたくなったりする。


だから本当に、今回ばかりは
個人的な感傷によってのみ、
裏打ちされたチョイスなのである。



死者に鞭打つつもりはまったくないが、
アルバムが出なくなって
しばらく経ってしまってからは、

昔好きだったはずなんだけど、
なんだか最近はすっかり
イタイ人になっちゃったよなあ、と
感じた場面も、正直少なくはなかった。


しかし、ことこうなってしまうと、
そういう部分も含めてこの方、
川島なお美だったんだなあ、と
そう思わざるを得ない気がしている。



今回の件の報道の中で
僕も初めて知ったのだけれど、

彼女はまだ学齢に達する前に、
確か『アニー』だったかの
ミュージカルを観て感銘を受け、


そういう方面に進みたいと、
まず思ったのだそうである。


もしアイドル時代に、
一曲でも大ヒットが出ていたら、
たぶんそちらの道に進むことは、
難しくはなかったのかもしれない。

だが現実はそうはならなかった。

だとすると、あの写真集も、
それからドラマや映画での
些か過剰とも思える話題づくりも、


実は、どうすれば
ミュージカルの舞台に立てるのかという、
そういった模索の中で、

彼女なりに見つけ出した
一つの答えだったのかなあ、と
ふとそんなことを考えたりもした。


まあだから
多分どころではなく
相当贔屓目なのである。



それでもこの方、
デビューしてから実に
30年以上経ってなお、

舞台に立ち、実際に
歌を歌っていた訳である。


そうそうはいないし、
好きでなければ、


いや、たとえ好きだったとしても、
相応の熱意とエネルギーとがなければ、
実現できなかったことだと思う。

それはもう、逞しいとでも
形容するほか
なかなか言葉が見つかってはこない。


必死で歯を食いしばらなければ
乗り越えられなかったような場面も
少なからずあったに違いないとも思う。



そうしてまた、その大好きな舞台を
自ら降板するほかないのだと、
結論を出さざるを得なくなった時、

あるいは御自身の中で、
何かが千切れてしまったのかも
しれないなあと、


今はほんの少しだけ、
そんなふうにも想像している。



慎んで御冥福をお祈り申し上げます。

どうぞ安らかにおやすみください。