ブログラジオ ♯86 Visions of China | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ジャパンである。
デヴィッド・シルヴィアン。

あの頃は頑なに、欧文表記を
徹底していた気もするのだが、


今はどうやらカナで書いても
ほぼ大丈夫な模様なので、


この人たちだけ欧文なのも、
なんとなく座りが悪いから、

本記事も、このバンドに関しては
ジャパンの表記のままでいく。


The Very Best of/Japan

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さて、彼らの全盛期は、僕が本格的に
洋楽にハマり始める少し前のことで、


むしろまずこのD.シルヴィアンの
名前が印象に残るようになったのは、


本邦は一風堂の土屋さんや、
あるいは坂本龍一さんなどとの

関連性の中でだったように
記憶している。



ちなみに龍一さんは、
アルバムにゲストとして迎えられ、
一曲をバンドと共作し、


それから土屋昌巳さんの方は、
人気絶頂期に脱退してしまった
最初のギタリストの代わりに、

結果として最後となったツアーまで、
バンドと一緒に
ステージに立たれていたはずである。



なんだかそういう訳で、
音楽よりも先に、


僕ら日本人ならば無視はできない
この強烈なバンド名と、

それから、その名の故なのかどうかも
当時はよくわからなかった、


我が国のミュージシャンとの縁が、
まず最初に耳に入ってきた
といったような感じであった。



ただし、このバンド名だったからこそ、
我が国のレコード会社や
あるいは、当時の音楽メディアが、

早い時期から彼らに
注目していたことは
たぶん事実だったのだろうと思う。


後のボン・ジョヴィや
あるいはランナウェイズと同様、


日本の音楽ジャーナリズムと
それらが作り出したファンが、

ある意味バンドの支えとなった
一例だったといってしまって、
たぶん間違いはないだろう。



さて、改めて聴きなおしてみると、
このジャパンなるバンド、
ずいぶんと特異な音楽をやっている。


まさしくロキシーの直系だなあと、
随所で感じさせてくる一方で、

なるほどYMOからの影響も
明らかに大きく聴こえてくる。


とりわけ独創的だなと思うのは、
フレットレス・ベースの導入である。


そういやこのベーシスト、
ミック・カーンの名前も
考えてみれば当時よく耳にした。

実際彼のベースのタッチが、
このジャパンのトラックの
ある種異様な風変わりさを
決定しているともいってよい。


後期のアルバムに見られる
Cantonとか、あるいは
Cantonese Boyとか、


タイトルからしてすでにあからさまな
エスニックとも、エキゾチックとも
どちらともつかないような種類の

ある意味では極めて嘘臭い
いかがわしさを伴った
東洋のイメージと、


この妙なベースのうねり方が
絶妙に呼応している気がするのである。



そして、たぶんこの手触りこそが、
このジャパンというバンド、
あるいはD.シルヴィアンが、

音楽によって再現したかった
イメージなのだろうなと思うのである。


まあいってみれば、
虚構としての東洋である。


僕らからすれば、さすがに
圧倒的なリアリティー、みたいには
到底いいがたくはあるのだけれど、

それでも確かに、
欧米のメイン・ストリームからは
決して出てこない種類のタッチだと思う。


やはりエキゾチシズムとしか
形容のしようがない。


だからこそなのだろうが、
とりわけヴァージン移籍後の
このジャパンのトラックには

先述のようにYMOサウンドへの接近が
随所に見られてくるのである。


それがまあ、坂本さんのゲスト参加という
形でも現れているのだが。



そこで個人的に不思議なってくるのが、
この点がまず、そもそもの最初から、

メンバーたちの目指していた
方向性だったのか、


それとも、シルヴィアンいわく、
思いつきでつけてしまったという
このジャパンというバンド名が、


ある意味でメンバーたちすら
無自覚のままに
結果として引き寄せてしまったものなのか、

その辺りに非常に興味を
引かれたりもするのである。



ただし、D.シルヴィアンの
重苦しい歌い方は、


長時間聴いているのは
個人的にはちょっとしんどいかなあ、と、
正直思わないでもなかったりする。

ポップかといえば、
決してそうではない。
むしろ小難しい。


けれど、だからこそ、
立ち上がってくるものが確かにある。


そもそもはバンド名への
親近感だけが根拠であれば、

当時あれほどの人々が、
熱狂したはずもなかっただろう。



さて、今回タイトルにした
Visions of Chinaは、
81年のトラックである。


やっぱり不思議な音階を
前面に押し出している。

欧米からみたある種の
虚構としての中国って、


こんな感じなんだろうなあ、と
なんとなく思わせてしまうところがすごい。



しかしまあ、いつも思うのだが、
このヴィジョンという言葉は
非常に日本語に訳しにくい。

幻といってしまえば
これは明らかに違うのだが、
本質的にはそういうものであろう。


現実には存在しない
あるいは実体のない
なのに映像的に鮮明なイメージ。


そしてこの語の本義には、
たぶん時間的制約がない。

過去のヴィジョン、未来のヴィジョン。
それぞれにそれぞれの意味で成立しうる。


幻視などという訳語を当てている場合も
ちらほら見かけるけれど、


個人的にはどうも座りが悪い。

過去はともかくとして、
未来の幻視といってしまうと、


そこに内在する、いわば意思の持つ
志向性みたいなニュアンスが
失われてしまう気がするのである。



だからまあ、このヴィジョンに
相当する概念を上手く持たないが故に、

僕らには、このヴィジョンなるものを
共有するという行為そのものが、
些か難しいのかな、などと、


まあシルヴィアンの
辛気臭い声を聴きながら、
いつのまにか釣られて、


そんな小難しいことを
考えたりもしてしまうのである。

そうしてはたと、
実は小説というものは、


このヴィジョンを作り出すということを
本質的な役割として持っているのだよなあと、


改めて気づかされたりまでして
さらに眉を捻じ曲げることに
なってしまったりもする。


さて、ではそろそろ締めのトリビア。

このジャパンは82年、
我が国は名古屋でのステージを最後に
正式に解散してしまうのだけれど、


ギタリスト以外の四人が
91年に再度結集して、
アルバムを一枚発表している。

しかしながらこの時は、
ジャパンという名前を使わず、


レイン・トゥリー・クロウという
バンド名を採用していた。


アルバムのタイトルもまた
バンド名と同じ、
RAIN TREE CROWというものだった。


ほぼ十年ぶりの再結成ということで、
発売前は結構話題に
なっていたようにも記憶しているが、


結局この時も、本作一枚きりで、
バンドがそのまま維持されることは
どうやら叶わなかった模様である。



なお、ベーシストのカーンは
11年に、52歳の若さで
この世を去ってしまっている。

慎んで御冥福をお祈りする。