なるべく月をまたがないうちに | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いつも遅くてすみません。
頂戴しております幾つかのコメントに。


まずFunartgalleryさん、そうですか、
あの場にいらっしゃいましたか。


聖蹟桜ヶ丘というと、たぶんまだ
お店がときわ書房さんだった頃ですね。


ちょうど『君の名残を』の単行本が出て
まもない時期ではなかったかと思います。

確か連休の真ん中辺りの
そこそこいいお天気の日だったようにも
記憶しておりますけれど、どうでしょう。
合っていますでしょうか。


いや、しかし僕自身も、
相当に懐かしいです。


同作も気に入っていただいたようで、
同時に激励のお言葉も頂戴しまして、
大変恐れ入ります。


なかなかちょっと新しいものの話まで
してしまえるような状況に
なってくれないままではいるのですが、


決まればまた、まずここで
御案内させていただくかと思いますので、


また時々、気が向いた時に
覗きに来ていただけば幸甚です。


そしてウォッチャーさんへ。
歴史街道の感想、楽しく拝読しました。


リクエストにお応えいただき、
どうもありがとうございます。


そうなんですよ。
こと義仲の場合、京都での狼藉ばかりが
どうしてもクローズ・アップされますが、

そういう状況になるには
それなりの理由があるはずなんです。


そもそも倶利伽羅から京都に入るまでに、
木曾軍というのは、
普通では考えられないほど、
ある意味で肥大化しています。


それはたぶん、周辺の食い詰め者や、
あるいはひょっとして最初は
平家方に与していた名もない兵たちが、

こぞって群がってきたから
なのではないかと
個人的には想像しています。



加えてこの前年、関東以外の地域が
結構な規模の飢饉に
襲われていたことが
諸所の記録に散見されています。


木曾軍というのは、
作中でもほんのちらりとだけ
触れてはいるのですけれど、

最初から長期遠征を想定し、
いわば炊事専門の部隊を、
従軍させていたらしいのですね。


ですから、行軍の意図とは関係なく、
ただ食事のために集まってきた人員も


中には決して
少なくはなかったのではないかとも
想像しています。

ただし、そういう面々を
さほどの覚悟も確かめず
受容してしまったことは


あるいはこの義仲という人の
優しさというよりはむしろ
甘さと呼んで然るべきもので
あったのかもしれません。



そしてそういうのがそのまま、
既存の管理体制そのものを失った
大都市へと流れ込んでしまえば、

治安などと呼べるものが
維持されるはずもありません。


しかしながら、その責が
木曾軍が負うべきものであったことは
さすがに否定しようがないのですが、


そのうえ後白河法皇というのは、
相当の曲者だったようですから、

表にならないような
治安維持への妨害措置が
あったとしても
まったく不思議ではないと思っています。


まあ本当のところはわかりませんが。


いずれにせよ、この木曾義仲という人を
『君の名残を』の着想を機に
色々と調べてみて
つくづく思い知らされたことは、

教科書からわかることだけが、
本当では全然ないのだなあ、という
ことだったりもするのです。


で、まあ、僕としては、
そんなことを考えるたび、


佐野元春さんの
『スターダスト・キッズ』の一節を、
なんとなく、
思い浮かべたりもしてしまいます。

――本当の真実がつかめるまで。

こいつはひどく難しいことだなあと、
さすがにこの年になると


そんなふうに考えてしまう場面も
決して少なくはないのですが、

それでも、小説というものが、
そういう何かに近づいていける、


数少ない手段の一つなのだろうという
点については、


近頃ようやく、確たる手応えを
感じられるようになってきたことは
あるいは本当なのかもしれません。



そして最後は『北緯~』の裏話に戴いた、
lionheartsvegaさんのコメントに。



いつも明確に意識している訳でも
決してないのですけれど、


たとえば同作の場合、
記事で触れたダイアログの箇所で、

それこそまさに、
教科書には載っていないけど、と
前置きしたうえで、


ヒロインの一人が、
ある種の肉体と精神の二元論的な
内容を仄めかしたりもしています。


さほど書くつもりもなかったのに、
気がつくとそんなセンテンスを
指が勝手にタイプしていて、

ああ、やっぱり自分は
こういうことが書きたいんだなあ、と
思ってしまうような場面は
御指摘のように結構あります。



近頃富に思うのは、
皆、どこかに正解があるはずだと、
結構無条件に信じて


生きているんだよなあ、という
ことでしょうか。

もちろん仕方がないと思います。
僕らはほとんど誰もが
物心がようやくついた辺りから、


そういう教育を、つまり
満点というものが存在し得る教育を
ずっと受けてきている訳ですから。



しかしながら、
あらかじめ未来を知っている者なんて
それこそフィクションの中にしか
本当は存在し得ない訳で、

そういう意味では、今の決断が、
正しいか間違っているかなど、
実は本当は、誰にも
決めることなどできないのではないか。


まあ時々、そんなことを考えもします。

でもまあ結構いろんな人が、
自分の中にマニュアルを作って、

そこを逸脱しなければ
少なくとも間違いは
しないのだというやり方で、


満足、あるいは安心するような
社会になってきている気はします。


とりわけ僕らの仕事は
真逆な位置にあるものだとも思いますが。


なお、貴コメント中の文明観や制度について
割と真正面から突っ込んでいるつもりなのが、


実は左に表紙を出している
『サムライ伝』という
直近のテキストだったりします。


基本そのために、
アンチ・ユートピアを舞台にした
SFの手法を採っているのですけれど、

まあこのテキストについては、
機会を改めて、
もう少しちゃんとまとめてやるつもりです。


なお、同作については、
現状電子書籍のみの刊行ですので念のため。



いずれにせよ、まあ小難しいことも
時折いったりもしますし、
音楽の好き嫌いはあまり誰にも遠慮せずに
出したりもしてはおりますが、

こうやってものを書いている以上は、
テキストにお付き合いいただく皆様の
それぞれに費やして下さった時間が、


できれば悪くないもので
あってほしいというのが
最初からの基本のスタンスであり、


それが揺らぐことは
今後もないだろうと思っております。