ラジオエクストラ ♭66 The Elephants Graveyard | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ネズミたちが歌う象の墓場の唄。
ブームタウン・ラッツは83年の作品。

On a Night Like This [DVD] [Import]/The Boomtown Rats

¥1,916
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収録アルバムはMONDO BONDOという
彼らの5thアルバムなのだけれど、


こちらはまったく手に取ったことがないので、
今回はライヴDVDのジャケ写を
載せさせていただくことにした次第。


85年のロンドンのステージだから、
活動停止の前年ということになる。

――いや、ボブ・ゲルドフ若いし。

ま、当たり前のことなのだが。

いずれにしても
なかなかにエネルギッシュな
パフォーマンスである。

演奏も存外しっかりしていることは
本編(♯38)でも触れた通り。



さて、正直に告白してしまうと
個人的には例のあの
I Don’t Like Mondaysが

その斬新さ、強烈さこそ
十分に認めながらも


実はあまり好みのタイプの
サウンドではなかったので、


このラッツに関しては、僕は当時は、
ほぼ素通りしてしまっていた。

たぶんボブ・ゲルドフの
ヴォーカル・スタイルが、


ミッド・テンポやそれよりも遅い
種類のナンバーには


あまりそぐわないように
聴いていたのだと思う。

この人が得意なのは、
明らかにミック・ジャガーの影響下にある、
ちょっと粘っこいタイプの唱法である。


エコバニのイアン・マカロックと
ちょっとだけ似ていなくもない。


そのせいか、I Don’t Like Mondaysは
スッと入ってきてはくれなかったのである


イントロの大仰なくらいの、
個人的には
結構好みのはずのピアノの展開と、


直後に始まってくるゲルドフの歌が、
なんだかひどくアンバランスに思えていた。


ま、アルバム聴くまでもないか。

そんな感じに思っていたのである。

だから、本編で取り上げたベスト盤も
入手したのは
今世紀になってからのことである。


しかし、ところが、である。

これが歌詞も随所で相当面白くて、
しかも全体に極めてノリがよく、


原稿の進み方にも、
いい方に作用するものだから、


仕事のBGMとして大変重宝し、
今やすっかり、
愛聴盤の位置を占めている。


ただどうやらこのラッツ、
多少という言葉では済まないほど
いい加減な奴らだったらしいので、


オリジナル・アルバムを手にして、
出来不出来に差があったら嫌だなあ、
みたいな気分で
そのまま今に至ってしまっている次第。



それでも、文字情報だけ見ていると、
ストーンズのUnder My Thumbを
ある種引用したトラックも
中にはあったりするみたいなので、

いつかちゃんとカタログは
きちんと聴いておきたいなとは
思っているバンドの一つである。



だけど代表曲のコンピレーションで
あることを差し引いても、


この僕がこれだけ気に入るのだから、
やっぱりこのラッツというバンド、

ポスト・パンク、あるいは
ニュー・ウェーヴなどと呼ばれた


80年代のとりわけ前半の
大きなムーヴメントの、


その先駆的存在だったことは、
断言してしまってかまわないと
今は割りと真剣にそう思っている。


実際このラッツは、
アイルランドから登場してきて、


初めて英国のシングル・チャートで、
トップ・ワンを獲得した
グループだったりもする。


Eva Brounもそうなのだけれど、
最初に全英トップを獲得したRat Trapや

When the Night Comesといった、
いわばタテノリに近い
疾走感を基本としたトラックでは、


ゲルドフのスタイルは
これ以上ないほどぴたりとはまる。


ちょっとひっかかるような感じが、
かえってヴォーカルの
自在さみたいなものを鮮明にし、

小難しい言葉遣いと相俟って、
野暮ったいクールさみたいなものを
巧妙に演出してくれるのである。



今回のこのThe Elephants Graveyardも
BPMはかなり早くて、
だから相当カッコよく聴こえる。


根っこはやっぱり
ロックンロール特有の疾走感である。

忙しいベースのパターンと、
安っぽい鍵盤の音が、
また絶妙にマッチしているのである。


ゲルドフがシャウトする
サビの箇所の一行だけ、
こっそり原文のまま引用してみる。


――You’re guilty till proven guilty.

有罪が立証されるまで、
罪の意識はつきまとう。


たぶんそんなような意味なのだと思う。

誰を告発したいのか。
そもそも象の墓場とは
いったい何の、どんな比喩なのか。

正直いって、歌詞を読んでも
ちっともさっぱりわからない。


でも、この歌はこれでいいんだよな、と
思わせてしまう説得力がある。



なんというか、罪を感じることと、
法的に有罪であることを
同じ言葉で表現していることの
そのウラに隠された欺瞞みたいなものを、

ゲルドフが半ば必死になって、
でも同時に投げやりというか
からかい半分みたいな独特の態度で、
訴えてきているような気がするのである。


まあ、正直この人の書く歌詞は
マーティン・ゴアや
サイモン・ル・ボンと同じくらい
いつも解釈に悩まされるのだけれど、


むしろそこを楽しんでいる
自分がいることは否めない。


ちなみにこのギルティーの箇所、
単語も強烈だし、
またサビの要でもあったものだから、


最初のシングル・リリースの際には、
原題にも(GUILTY)という
副題がつけられてしまったうえに、


邦題はなんと『燃えるギルティー』と
なってしまったそうである。

いや、全盛期のロッドじゃないんだからさ。

もっとも現在は『象の墓場』の邦題が
正式に採用されている模様ではある。



さて、では最後にこの
ブームタウン・ラッツという
やや変わったバンド名について。

これ、ウディ・ガスリーという
アメリカのアーティストの
自伝に出てくるギャングの名前に
由来しているのだそうである。


このガスリーは、まあいってみれば、
ボブ・ディランに先駆けて、


プロテスト・ソングを
演っていたシンガーである。

レコードなんて技術がようやく
立ち上がり始めた時期の方なもので、


さすがにこの方の遺された音源は未聴。

だからまあ、フォーク・ロックの分野の
マディ・ウォーターズみたいな
存在なのかなあ、と想像している。

伝記映画もあるようなので
今度見つけたら
観てみようかなと思ったりもしている。