『北緯四十三度の神話』の仕掛け2 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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そういう訳で昨日の続きである。

でもその前に、また調子に乗って、
単行本の書影なども
こっそり載っけておくことにする。


北緯四十三度の神話/浅倉 卓弥

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悪くはないとは思っているのだが、
色味がちょっと暗いかな。



さて、では昨日の記事最後に触れた、
たぶんほかにはないのではないか、と、

ひそかに自負している、
ある種の仕掛けめいたものについて。



同作は文庫本の状態で、
本文が262ページまでとなっている。


で、ちょうど240ページのところで
クライマックスが終わり、

そこから先はいわば、
ある種のエピローグみたいなものに
なっているのだけれど


その途中、243ページの
ちょうど終わりの辺りから


本文の最後の最後までの
20ページ弱に至る間、

僕は地の文というものを、
一つきりしか書いていないのである。



このパート、前半が姉妹のダイアログで、
本当のラストは
妹のモノローグになっている。


一つのセクションが
妹のラジオで終わるというのは、

この作品がここまでずっと
執拗に繰り返してきたパターンなので、


物語全体がそれで閉じても、
たぶん本作ならば


何とか納得してもらえるのでは
ないだろうかという魂胆である。

終わりのいわば、
10%までにはいかないけれど、
それに迫るだけの文字数の間、


これだけ地の文と呼べるものがない
小説というのも、
たぶん相当めずらしいはずである


ありうるとしたら、
三人称でずっと展開してきた物語が、

登場人物の一人の、
手記みたいなもので閉じると
いったような場合であろうか。


すぐには具体例が思いつかないので、
ちょっと申し訳ないのだけれど。



さて、そしてもう一つ、この前半の
二人のダイアローグの部分で、
地味に挑戦していることがある。

それは、いわば情景描写というべきものを
すべて登場人物の発話の中に
取り込んでしまおうという試みである。


地の文を使わないためには、
そうするしかないからである。



この場面、二人は模型飛行機を持って、
一面雪景色の公園を歩いている。

この光景を、地の文を一切使わずに、
浮かび上げることができるかどうか。


この部分は実は、
そんなことを考えながら
起こしていたりもするのである。



だからそういったイメージの形成に
必要な情報が、

カギカッコで括られた
二人の会話の中に、


極力会話として不自然にならないような
言葉を選びながら導入されている。



もちろんこの試みを
きちんと成立させるためには、

きっとこの二人は
いずれこういう行動を
取るだろうという予測が


読み手の中に成り立つような準備が
事前に十分されていなければならない。


それも一応やってある。

こういうのをまあ、
通例伏線と呼ぶ訳である。



ま、さほど長くない作品だからこそ、
ひそかにそんなテクニカルなことに
挑んでいたりもするのである。



どうしても少し小難しくなるけれど、
発話というのは、
説明を描写に変える
一番手っ取り早い装置である。

だからその方法論を、情景描写にも
応用してみることはできないかというのが、
この発想の基本的な着眼だったりする。



やや愚痴めいてしまうが、
だから小説というものには、


プロット以外にも
目を配らなければならない要素が
本当はたくさんあるのである。

ところが何故か、
この業界にいるというのに、


こういう話まで
きちんとできる機会がなかなかない。


前にもちょっと
こぼしたかもしれないけれど。

まあ、基本僕が人付き合いが
決してよくないという部分は


少なからずどころではなく
背景としてあるのだろうが、


それにしても、と思う場面が正直ある。

ま、いっても仕方がないのだが。



さて、皆様いかがだったでしょうか。

だいぶ気をつけて書いたつもりなのですが、
やっぱりややわかりにくかったでしょうか。

また御意見など賜れれば幸いです。


なお最後に。

おかげさまで、同書は
実は一度ならず試験問題に
出題されてもいたりする。

どこの、というと差し障りがあるので、
ここでは明記は避けるけれども、


だから見つけて読んで下さって、
のみならず、


そういう素材にまで使ってみようと
思って下さる方が
いらっしゃってくれるというのは、

僕はもちろん、作品にとっても
非常に幸運なことだなあと思っております。