ブログラジオ ♯68 Half a Boy & Half a Man | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、改めてニック・ロウとおっしゃる。

実は、前回のコステロのデビューに
一際尽力されたのがこの方なのである。


クワイエット・プリーズ~ザ・ニュー・ベスト・オブ・ニック・ロウ/ニック・ロウ

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このサウンド、どういえばいいのだろう。

オールディーズのテイストを、
上手くブリティッシュ・ロックの
タッチに昇華したとでもいえばいいのか。

とにかく明るくて、
しかもとことんわかりやすいのである。


ゴキゲンという言葉が
なんだかひどく似合う手触りの曲が
この方の作品には、極めて多い。


しかも、そのスタイルが一貫していて、
かといってさほど単純な訳でも決してない。

なんとなく気分を持ち上げたい時には
非常に重宝するサウンドである。



さて、本当は、I Know the Bride
(When She Used to Rock’n Roll)
なる曲の方を今回のタイトルにしようかと、
ずっと迷ってはいたのだけれど、


実はU2の時と同じように、
字数オーヴァーに
なってしまうので最終的にこちらになった。

もちろんこのHalf a Boy~も大好きである。
ただ字数が決め手になったというだけで。


どちらの曲も、
パーティー・ソングとでもいった呼称が、
極めてよく似合う種類のトラックである。



僕の手持ちの音源である、89年発表の、
BASHERなるコンピレーション盤は、
全25曲で、収録時間は大体77分半。

だから、ほとんどのトラックが
ほぼ三分前後に
まとめ上げられているのである。


三分間ポップスなんて言葉も
確かあったようにも覚えているけれど、


この辺りもやっぱり、70年代以前、
むしろさらに遡った50~60年代くらいの
潮流というか、スタンダードというか、

まあとにかくそういうものに
きちんと則っているという訳である。


この辺りがだから、パブロックと
呼ばれる所以というか、背景なのだろう。


さて、このニック・ロウは
前回佐野さんとの絡みで
最後にちらりと名前を出した
ブリンズレー・シュウォーツなる

69年から75年まで存続したバンドで、
ベースとヴォーカルとを努めている。


ちなみにこの長ったらしいバンド名も、
ヴァン・ヘイレン辺りと似たような感じで、


ギタリストのフル・ネームを
そのままバンド名に
採用しているパターンである。

さすがにこちらの音源は
僕自身は未聴なのだが。
この時代のロウの作品である


(What’s so Funny ’bout)
Love, Peace and Understandingは、


79年に、それこそコステロの録音で、
英国でのスマッシュ・ヒットと
なっていたりもする。

このトラックは、前回のコステロの
初期のベスト盤にも収録されていて、
僕はこちらで聴いているのだけれど、


コステロ自身のソングライティングによる
曲たちの中にぽつんと放り込まれていて、
まったく不思議なほど違和感がない。


もっとも、多少歌詞に詳しく目を通すと、
なるほどコステロの言葉よりは、
やや大人しいのかもしれないとは思う。


コステロが時折、社会批判ともいうべき、
アイロニーをモチーフにしてくるのに対し、


スタンスは似ていなくもないのだが、
こちらのロウの場合は
少しだけアプローチが穏やかな気がする。


しかもその辺りが
メロディーラインにも出ていて、

個人的には、同じノリが欲しい時は、
コステロよりも、このニック・ロウを
プレイヤーに載せることの方が、
正直にいうと多かったりする。



代表作はたぶんCruel to be Kindなる曲で、
79年にビルボードで、12位を記録している。


このサビは、たぶんどこかで耳にして
割と記憶に残っているのではないだろうか。

大瀧詠一さんの幾つかのトラックや、
あるいはビーチボーイズみたいな
コーラス・ワークの決まったラインが


基本明るいんだけれど、
どこかちょっとだけ切なくて、
その微妙なニュアンスが
非常に心地よかったりする。



優しくありたいから、冷たくするんだ
それはつまり、愛してるってことなんだ



この、ある種二律背反的な言葉遣いを
旋律とアレンジが
ほどよく中和している。いい曲である。



ほかにも、どこか後にアメリカから出てくる
B-52sのスタイルにも通じるような
Big Kick, Plain Scrapなんて
曲があったりするかと思えば、

7 Nights to Rockなるトラックでは、
それこそ50’sみたいな、
典型的なスリー・コードの
ロックンロールをやったりする。


だから、ワン・パターンな訳では
決してないのに、どこかがなんだかんだで
この人独自の音になるのである。


やっぱり優れたセンスの持ち主なのだと思う。


ブリンズレー・シュウォーツ解散後のロウは、
ソロ・アーティストというよりは、


スティッフというレーベルの、
プロデューサーとしての仕事に、
重きを置いていたようでもある。


コステロのほか、
あのダムドのデビュー作も彼の仕事だし、

プリテンダーズのデビュー・シングル
Stop Your Sobbingも
実はこの方のプロデュース作品だったりする。



さて、今回のHalf a Boy & Half a Manは
84年のシングル曲。


当時は『子供・大人』なんて
邦題がついていたようなのだけれど、
あまり記憶には残ってはいない。

繰り返しになるけれど、
それこそこれ、まさにパーティー・ソングの
お手本みたいな手触りで、
とにかくゴキゲンにしてくれる。


開幕からいきなり、
全部の楽器が揃ってエイト・ビートを、
たっぷり三小節分鳴らしてくる。


これでもかといわんばかりの
盛り上げ方で、そしてすぐに
能天気といっていいくらいの、
オルガンみたいな鍵盤のラインが始まるのである。

ドラムも終始走り気味で、
ベースも上下に忙しい。


そしてそれがこの鍵盤のラインとひどく合う。
終わり方も古式ゆかしきロックの香りたっぷりで、


こういうの知ってるでしょ? みたいに
ちょっと演りながらほくそ笑んでいる感じが
音楽から鮮明に伝わってくるのである。


たぶんこの人、なんていうんだろうなあ
ちょっと茶目っ気のある、気のいい叔父さん
みたいな人なのだろうなあ、と思う。


たとえばボウイがLOWという
アルバムをリリースした同じ年に、


それこそロウである自分は、四曲入りのEPに
BAWなんてタイトルをつけて
発表してしまったりする。

あるいは変名でベイ・シティ・ローラーズへの
トリビュート・ソングを
世に出していたりもするのである。



だから本当、お茶目といおうか、
エンターテイナーであることに、


極自然に重きをおけちゃう方
なのではないかなあ、と

まあ昔からそんなことを
勝手に想像したりしている。



でも考えてみれば、本邦でも
クレイジー・キャッツとか
ドリフターズとか、そういう
そもそもは音楽から入ってきた人たちが、


テレビなるメディアの勃興期に、
お笑いといおうか、

ある種の見せるエンターテインメントを
作り上げてきたことは確かな訳で、


実は根っこにあるものは、
共通していたりもするのかな、
なんてことも時に考えたりもする。



そしてまた、こういう流れを
今の時代一番しっかりと継承しているのが、

実はSMAPやTOKIOだったりするところが
現代というこの時代の
興味深い点なのかな、とかも
なんとなく感じてしまったりもするのである。


まあ、音「楽」というくらいだから、
その基本がエンターテインメントであることは、
たぶん間違いはないのだろうし。




ではそろそろ締めのトリビア。

このニック・ロウには
When I Write the Bookという曲があり、


前回のコステロには、
Everyday I Write the Bookなる曲がある。


だからたぶんこれ、コステロが、
いわば師の音楽へのアンサー・ソングとして、
書いた曲なのだろうと思っている。


万が一順番が逆だったらカッコ悪いなと思って
一応確かめてみたところ、


ロウのがロックパイル時代の80年の作品で、
コステロの方は83年の発表だったので、
どうやら大丈夫なようである。


ただし、そういった内容の
コステロ自身のコメントを、
きちんと見た訳ではないので念のため。