ラジオエクストラ ♭42 Hold Me Now | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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やっぱりこの曲も取り上げておきたくなった。

トンプソン・ツインズは83年の、
彼らのブレイクスルー・ナンバーである。


Into the Gap/Thompson Twins

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いつ聴いても気持ちいい。
イントロが始まった途端から


とにかくほかにはあまり
似ているものの見つからない、
ひどく不思議な世界へと
巧妙にこちらを誘ってくれる。

その秘密はやっぱりたぶん、
古典的様式への
ある種のリスペクトにあるのである。



前回のDragon Night(♭41)の記事でも
少しだけ触れたのだけれど、


この曲も実は、リリクスの載ってくる
箇所のパターンは一つきりである。

あちらはカノン・コードだったが、
こちらは一般に
循環コードと呼ばれるそれである。



たとえばキーがCの長調の曲の場合、
おおよその場合、最初の和音はCになる。
要するに、ドミソ、というやつね。


ここからのコードの展開が、
基音が三度ずつ下がって行き、
最後に一度だけ上がるという形の
コード進行を、時にこの名前で呼ぶ。

C→Am→F→G7というパターンである。

Hold Me Nowはこの展開だが、
C→Am→F/G7→Cという場合もある。


いずれにせよ、基本の手触りは
ほぼ同じだといっていいだろう。

このベースラインの動きがだから、
あたかも基音が回っている、


あるいは円を描こうとしているような
印象に通じるから、この名で呼ばれる。


――のだと思う。

これだから、ロックンロールの
基本のスリー・コードに、
短調の和音が一個だけ
加えられた形となっているのだともいえる。



このパターンで作られているというのは
実は一時期の邦楽曲には相当多い。


一番わかりやすいのはたぶん
井上陽水さんの『夢の中へ』だろう。

ヴァースの変わり目で、ベースが
はっきりと三度下がるためのスケールを
たどっていることがわかるはずである。


一時期の甲斐バンドなんか
結構こればっかりのように思えた。


だからこそ『漂泊者(アウトロー)』が
出てきた時にはすごく驚いたものだが。

ほかにも、あの時代のフォークから
ニュー・ミュージックなどといわれた
時代へと至る本邦の楽曲群の中には、
同じパターンが結構見つかるはずである。


でもこれが、翻って洋楽曲には
なかなか見当たらないのである。


そんなにいつもいつも
展開を気にしながら聴く訳ではないので、

もちろん僕が気づいていないだけ、
ということも
ありえなくはないのだけれど、


すぐに浮かんでくるのは、
エルトン・ジョンの
Crocodile Rockくらいのものである。


なるほどビートルズのHelp!にも
類似の構造は認められるのだが、
こちらはきっちりと、Aメロの部分では
ある種の変更を加えて使用している。

この辺りが、レノンのレノンたる
由縁なのだと思ってもいるのだが。



まあだから、たとえばAメロとサビとが
両方とも循環コードのパターンに載るという
楽曲は、結構多いはずなのである。



そしてこのHold Me Nowは
実はAメロとサビとしかないのである。

だからこの曲で、
循環コードになっていないのは、
実は間奏に出てくる
上昇のアルペジオの一箇所だけである。


もちろん厳密にいうと、
ベースの音程を多少大胆に
いじってきている箇所もあるので、


その部分は、あるいは譜面の上では
いわゆる分数コードになるかもしれない。

でも、鍵盤でコードを
弾いたことのある人なら
すぐにわかると思うけれど


たとえばDm7とF onDは
実は同じ和音である。
Cmaj7とEm onCとかもそう。


それでも、どのオクターヴで、
どの音を鳴らすかによって、
印象が全然違ってくるところが
音楽の面白く、奥深いところなのではあるが。


だからとにかく、このHold Me Now
シンプルを通り越して
いわば直球も直球なのである。


なのにこのトラック、
極めてユニークである。


些か大袈裟なことを承知でいうが、
たぶん温故知新というのは、
こういうことをいうのだろうと思う。


このトンプソン・ツインズのキー・マンである
元音楽教師のトム・ベイリーは、


十代の終わりには
バック・パッカーみたいなことも
していたらしく、


パキスタンやインドにも足を運んで、
撃たれたり、死に掛けたりしたことも
実はあるのだそうである。

そんな経験からも、エスニック・サウンドや
あるいはアフロ・ビートにも
極めて意識的になっていたのであろう。


バンド活動の最初の最初の時点から、
誰もなかなか聴いたことのないリズムで


曲を作りたいんだ、みたいなことも
どうやら口にしていた模様ではある。

だからそこに、
このHold Me Nowのラインが、
彼らを選んで降りてきたのに違いない。



つまり、和音のプリミティヴさ加減が、
ベイリーの作りたかった
リズム隊のアフロなプリミティヴさと、


この上なく幸運な出会いをはたしたのが
この曲だったのだろうと思っている。


十数年前だと思うのだが、
日本の会社が、企画物の中で


この曲をボサ・ノヴァのタッチで
カヴァーしていたのだけれど、
こちらもなかなかよかったように
記憶している。


もちろん基本は原曲の力だろうとは、
一言申し添えるつもりではあるけれど。


それこそパッヘルベルのカノンのように、
この循環コードにも、
きっとこれが最初じゃないか、みたいな曲が、


おそらくはクラシックのジャンルの中に
見つかるんじゃないのかなあ、と
常々思って探してはいるのだけれど、
いまだに見つけられないままでいる。



ジョン・デンバー辺りには一杯ありそうだが。

だとすると、ひょっとしてフォスターとかが
元祖なのかもしれないとも思ったりする。


もし詳しい方がいらっしゃったら、
御教示いただけますと幸甚です。