ラジオエクストラ ♭37 True Faith | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ニュー・オーダーは、87年の作品。

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彼らのベスト・トラックの一つには、
必ず数えられて然るべき作品なのだけれど、


しかしこの曲は、
なんといってもPVなのである。


たぶんミュージック・ビデオなるツールの
その全体の歴史を通じて出色の出来。

贔屓目はもちろんあるのだけれど、
ひょっとしてあのマイケル・ジャクソンの


Thrillerに次ぐくらいの重要度を
持っているのではないかとすら時に思う。



そういう訳で、今回はアルバムではなく、
ビデオ・クリップ集の
ジャケ写を掲げたという次第。

まあ、この人たちの場合、
特にキャリアの前期においては、


代表曲がことごとく
アルバムには収録されていないという
事情もあるにはあるのだけれど。



さて、ではTrue Faithはどんなビデオか。

とにかく全編シュールである。
それ以外に形容しようがない。


バンドのメンバーはそれぞれ
ほんの一瞬程度しか登場してこない。


ジリアンはいつでも真っ青だし、
スティーヴが映るのは最後の最後である。

ベースのP.フックに至っては、
たぶん見えているのは足だけである。


この足だって、すぐには彼だと判別できない。
もしかするとサムナーのものかもしれない。
間違っていたら申し訳ない。


さらにいえば、この件が後年の
主にサムナーとフックの間に起きた

バンド内のトラブルの
遠因となったかどうかまでは
さすがに僕には定かではない。


――いや、もちろん冗談です。

でも自分で書いてしまっておいてあれだけど、
これ、あんまり笑えないな。申し訳ない。


さて、だからその代わりに本作で
全編にわたって映し出されているのは、


異様な衣裳とメイクとで装った、
ピエロのような人物たちなのである。



まずイントロの強力なスネアに合わせ
向かい合って立っている奇妙な二人が、
互いに頬を張り合うという

まあ本当にものすごい光景から、
ビデオがスタートするのである。


しかもこの張り手が、スティーヴの繰り出す
曲の開幕の連打のリズムにきっちり合ってくる。


いや本当、最初に目にした時は、
いったいなんだろう、これ、と
思いました。

MTVかなんかつけてて、
たまたまかかったんだよね。


変わったことやってるのが
出てきたなあ、と思って
よく聴いたらなんだか聞き覚えのある声で、
絶対知っている種類のサウンドで


ひょっとしてニュー・オーダーかと思って
テロップを確認したらその通りでした。

でもしばらくは開いた口が塞がりませんでした。

だからこの曲ばかりは僕自身も、
まずは映像から入ったのである。
あの時のインパクトからは、
たぶん一生離れられないだろうと思う。


その後の展開も徹頭徹尾
予想外の一言につきる。

逆回転の徒競走が始まり、
三原色の衣裳をまとった三人が
後ろへ後ろへと進んでいく。


やじろべえのような一本足のもう一人は、
ヘッドセットからぶら下げた
モニターを懸命に調節している。


このチューニングが合うと、
サムナーやらジリアンやらが
一瞬だけ映るという仕掛けである。

カットが代わると、灰色のメイクを施して、
亀の甲羅みたいな衣裳を着ている人物の
バストアップのショットが映る。


この方、性別すらよくわからない。
そしてこの彼あるいは彼女は
終始一貫して無表情のまま、
淡々と手話で歌詞を表現し続けるのである。


徒競走の三人のトランポリン。
手話、張り手。
やじろべえは決して完成することのない
赤い積み木を繰り返す。

かくのごとく、曲が展開するにつれ、
映像はどんどんと
そのカオス度を増していき、
最後はほぼ全員入り乱れての大乱闘となる。


頭ぐしゃぐしゃになります。
それでもよければ、お探し下さい。



さて、このビデオを監督された張本人、
フィリップ・ドゥクフレなる
フランスの舞踏家の方だそうである。

つまりそもそもが、映像畑の
人ではなかったのではないかと思う。


61年の生まれだというから、
当時ドゥクフレはまだ若干26歳である。


いったいどういう経緯で、
バンドやあるいはレコード会社が彼に注目し、
ビデオを任せることになったのか、
極めて興味深いところではある。

そして、本作から数えて五年後の92年、
この方はなんと、アルベールビル五輪の
その開閉会式の演出を
すべて任されることにまでなるのである。


先見の明も、ここまできてしまうと
唸るよりほかないではないか。


バンドなりファクトリー・レーベルなりが、
いわばどれほど尖っていたかの証左であろう。


で、もちろんこのTrue Faithのリリクスも、
例によって哲学的あるいは宗教的で、
相応に強力なラインが散りばめられていて、
非常に好みなのである。


サビの箇所など、相当くる。

ちょっと長くなるが、
例によって勝手に訳出などしてみる。


こんな日など訪れる訳がないと
よく考えていたものだった。


朝日を遮る影の中に光が見える。
朝の光はドラッグだ。
そいつは僕が、恐れというもので
置き換えてしまった子供時代の、
そのすぐそばにまで誘ってくれる。


でも、こんな日など訪れるはずなんて
絶対ないと思ってたんだ。
自分の人生のすべてが、
この朝の光に左右されてしまうなんて。


まあ、意味深である。

ドラッグには引きずるという意味もあるので、
というか、たぶんそちらの方が本義なので、


ぎりぎりオンエアに耐えられるニュアンスに、
どうにかして中和されているのだと思う。


さて、中期に至るまでのニュー・オーダーは、
そのほとんどの楽曲において
タイトルをその歌詞の、いわば本文に
取り込むということをしようとはしていない。


Bizarre Love Triangle然り、
Blue Monday然り、
Thieves Like Us然りである。


だからたぶん、曲の全体を通じて、
何かを仄めかそうとしているのである。

――真実の信仰。

幼年期、朝日、薬物。
要求することばかりを止めない世界。


動き続ける自分を捕らえる、
自由と名づけられた状況。

いったいそんなモチーフたちのどこに、
信仰なるもの、それも「真実の」という
形容詞をかぶせてかまわないような
種類の感覚を見つければよいのだろう。


まあそんなことを否応なく
考えさせられてしまう訳である。



とにかくまあ、なんといおうか、
こういう陰鬱でなおかつ攻撃的で、
同時にどこか諦めに似たものが漂ってくる、

そんなダンス・ビートをやらせたら、
この全盛期のニュー・オーダーに
敵うものなどいないのである。


たぶん本邦のアジカンや
あるいはサカナクション辺りの
音楽性のバックグラウンドには、
間違いなくこのバンドがあるはずだと感じている。


少なくともアジカンの後藤さんは、
確かどこかでこのバンドからの影響に
言及されていたような記憶がある。

一方のサカナクションの方は
むしろある意味彼らの後継ともいえる、


ケミカル・ブラザーズからの影響の方が、
ひょっとして大きいのかもしれないな、とは
なんとなく思いもしないでもないけれど。



さて、最後にさらにもう一つだけ余談、
というか、ある意味自慢だけど、そこは御容赦。


今回のCOLLECTIONと、それから
BBCが制作したNEW ORDER STORYなる
ドキュメントを同梱したDVDのBOXセットが


ITEMというタイトルで一度リリースされていて、
僕の手持ちは実はこれなのだけれど、


この商品、ジャケット写真の著作権に
発売後すぐトラブルが発生して、ただちに回収、
生産中止の憂き目を見てしまっている。

傘を差したダンボールハウスという意匠を
元ネタとなった作品の写真家に
無断で再現してしまったということらしい。


万が一いろいろ面倒になったら困るから
ここにはあえて画像は載せないけれどね。


どうやら公式なバイオからも、
この商品の存在は削除されている模様である。


さて、今となっては、はたしてどのくらい
プレミアがついていることやら、と
時にちょっとだけほくそ笑まないでもない。


まあ外箱だけの話で、
中身はそれぞれ流通してるもので揃うから、
たぶん大したことはないんだろうけどね。


それにもちろん、絶対に売らないし。