ラジオエクストラ ♭35 Time (Clock of My Heart) | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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カルチャー・クラブの82年のナンバー。
デビューから数えて四枚目のシングルとなる。

ディス・タイム/カルチャー・クラブ

¥1,835
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この曲は通例、ファースト・アルバム
KISSING TO BE CLEVERからの
シングルとして表記されているかとも
思うのだけれど、


これ実は、北米でのみ通じる話である。

それも、たぶん
Do You Really Want to Hurt Meの
ヒットを受けて、同アルバムが
ある意味リイシューされて、
追加で収録されたといった経緯であるらしい。

さらにいえば、80年代当時、
日本盤(もちろんアナログ)では、


このTimeはなんとあの、
COLOUR BY NUMBERSに
収録されていたのである。


A面の三曲目。忘れもしない。

前のIt’s a Miracleとの曲間が
わざとぎりぎりまで短くして繋いであって、
その小技が実に見事に決まっていた。


しかしながらたぶんこちらも
CD化の際には、オリジナルを尊重し、
外されていたのではないかと思う。


僕の手持ちは恐縮ながら外盤なので、
この点についてはこの場では
きっちりと断言ができないのだけれど。

まあそういった経緯で、このTimeが
公式にアルバムに収録されたのは、


このベスト盤が最初だったはずなのである。
それで今回はこのジャケ写となった次第。


しかし改めて、とても大きな顔である。

いや、ボーイ・ジョージにしてみれば、
もちろん余計なお世話だろうけどさ。



さて、このカルチャー・クラブの場合
ほとんどの曲で、いわば楽曲そのものが、
このボーイ・ジョージという
極めて強烈なキャラクターと、


ほぼ分かちがたくして
存在しているのではないかと思う。

むしろそこに寄りかかってしか、
存在できないくらいの印象すらある。


つまりは、どうやっても
彼のヴォーカル以外では、


パフォーマンスとして
成立することができないくらいに

ある意味どれもが
完成されてしまっているのである。



そもそもが最初のブレイク・スルー
Do You Really Want to~からしてがそうだし、


Tumble 4 YaにせよMystery Boyにせよ
Karma~にせよMiss Me~にせよ、
あのWar Songや、でなければこの前扱った
God Thank You Womanに至るまで、

とにかくどの曲もどの曲も、
彼というキャラクター以外では、
決してさまにならない歌詞であり、
ひいては音楽なのである。


実際ライヴとか見てみると、
やっぱりこの人、相当に強烈である。


MC一つにしたって、笑いながら平然と
かなり際どい下ネタに走ってしまって
それで通じているような場面がしばしばある。

だから、誰に一番似ているかというと、
やっぱり美川憲一さんになるんだろうなあ。



ところが、そういう彼が歌うからこそ、

君は本当に僕を傷つけたいのかな、とか、

僕がいなくなったら君は
間違いなく目の前真っ暗になるよ、とか、


そういう歌詞が、本当に独特の手触りで
辛うじて成立しているのではないかと、


まあ昔から、この人たちのトラックには
なべてそんなことを感じている。

だから、浸るというよりは、
基本、斜に構えて楽しむ種類の音楽である。


しかし、ところがそれだけでは
到底済まされないような部分が
いともあっさりと出てきてしまうところが、


やっぱりこの人たちの動向に
僕が今でも注目してしまう理由なのである。

そしてその証拠の筆頭格ともいうべきが、
今回のこのTimeというトラックなのである。



この美しさは、もちろん本当は
聴いていただくしかないのだが。



短いドラムのローリングで幕を開け、
追いかけて始まるベースとギターの、
それぞれに工夫を凝らしたパターンに
ストリングスのラインがしっとりとかぶさる。

歌が始まってからのバッキングも、
シンプルでしかも独特である。


間奏のサキソフォンのソロのラインも
コーラスのアレンジも、
どこをとってもまったく付け入る隙がない。


最後の方に聴こえてくるチャイムの音も、
楽曲のテーマとひそかに反響するよう
きっちりと計算の上導入されている。

何よりも、メロディーラインと
それからすべてのコードワークとが
えもいわれぬほど美しいのである。



そしてこの曲のリリクスは、
タイトルのTimeというただ一つの語が、
登場するその都度、
違う顔を見せるように企んで書かれている。


サビの箇所の、キーになる一行だけ、
原文のまま引用してみよう。

――Time won’t give me time.

時は僕に猶予をくれない。
もちろんわざと訳語をいじってある。


時代、あるいは時の流れとしか
パラフレーズできないような、
壮大な何か。

そしてそれと対比して置かれる、
個というものにわずかに許された、


ちっぽけな、としか
到底形容できないようなほんのつかの間。


こちらはもちろんいうまでもなく
人生そのものの比喩として機能する。

そしてその二つが、いとも無造作に
同じ単語で表現されることによって、


そこに否応なく、
ある種の円環のようなものが
自ずと想起されてきてしまう。


かくして、恋人が自分の肩に
頭をもたれかけさせてくる、
そのほんの一瞬から始まったはずの歌が、

気がつけばいつのまに、
いうなれば悠久という相手への
異議申し立てとでもいうしかないような
趣きへと変貌を遂げているのである。


まったく、どう反応していいのか
すっかりわからなくなってしまう。


それでも、時代を超えて残っていくだろう
潜在的な力だけはまざまざと感じる。
それだけ強力なトラックだと思う。


だからこの人たち、ちゃんとやれば
絶対にこういう曲も書けるはずなのである。


本編で扱った(♯11
Black Moneyだってそうだったし、
Victimsもたぶんその域に達している。


ほか、当時未発表のままになって、
ベスト・アルバムやリイシューの際に
登場してきた楽曲の中にも、
時々目を見張るような旋律が見つかる。

今年は新作が出るらしいから、
実はひそかに相当期待しているのだが。


本当、頼みますわ。


なお、このTime、たぶんインストでやっても
十分通用する楽曲だと昔から思っている。

実際バンド自身の
インスト・ヴァージョンはあるのである。


どこかに持っていたはずなのだが、
少なくとも今回のTHIS TIMEではなかった。



だから、それこそシンディー・ローパーの
Time After Timeを
マイルス・デイヴィスが取り上げたような、

そんなことがもし起きていたなら、とか
いつまで経っても
ふと思ったりしてしまうのである。


さらについでながら。

このTHIS TIMEというアルバム、
オリジナルのアート・ワークにも、

つまり、欧米で発売された
そのままの状態であろう箇所にも、
随所に日本語が印刷されている。


基本カタカナなのだけれど、
何箇所か唐突に、
愛、と書かれていたりして、なんだか
微妙に面白かったりもするのである。