ラジオエクストラ ♭30 夢で逢えたら | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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今日この曲を一度もエアプレイしない
ラジオ局なんて、この国には
絶対に一つもないはずだと信じたい。

もちろん大瀧詠一さんである。
気がつけば、もう一年が過ぎてしまっている。



Best Always/大滝 詠一

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つい先頃発売になったばかりの、
キャリア初のオール・タイムの
ベスト・アルバムからのピック・アップ。


同作は、はっぴいえんどの時代から、
基本シングルで発売された作品を、
年代順に並べた編成となっている。

収録全35曲中、これが唯一の新曲である。

厳密には幾つかの未発表ヴァージョンも
収録されてはいる模様なのだけれど、
たぶんこう断言してしまっても、
さほど間違いにはならないだろう。


もちろん御本人による歌唱である。

こういうのがさも当然のように
登場してくるところが
ある意味とても
大瀧さんらしいな、と思ったりもしてしまう。



あるいはこの曲を、まだ一度も
耳にされたことのない方のために。


76年、吉田美奈子さんの
アルバム収録曲としてまずは発表された、
大瀧詠一作詞作曲・プロデュースによる
楽曲である。

同じ年、シリア・ポールなるインド系の
女性シンガーのシングルとして
リリースされてもいる。


タイトルとほぼ同じフレーズの歌い出しが
極めて強く印象に残る一曲である。



同曲は、発表以来これまでに 
本当にたくさんのアーティストによって
カヴァーされてきている。

僕なんかは、吉田さんのヴァージョンを
あの頃何度もラジオで耳にしていたのだが、


あるいはラッツ&スターのものの方が、
記憶に鮮明だという方も多いかもしれない。


ほかにも、サーカスや桜田淳子、
岩崎宏美に桃井かおり、香西かおり、
原田知世に薬師丸ひろ子なんて辺りの
ヴァージョンまであるらしい。

だからもう、ほとんどスタンダードの域に
達しているといっていい名曲なのである。



そういう曲であるから、生前からずっと、
作者本人によるヴァージョンの発表が
周囲から強く望まれていた。


だが大瀧さん御本人はずっと、
そういうものはないし、つもりもないと、
そのたびに否定されてきていたらしい。

――ところが。

御本人の葬儀の際、会場に流れていたのが
これだったらしいのである。


経緯を知る方は、間違いなく
相当驚かれたに違いない。

このトラック、遺品の中に
マスターテープの状態で残されて、
保管されていたというのである。


御家族以外の誰も、その存在を
知らなかったということである。



だけど普通、こんなことは
起こり得ないはずなのである。

マスターテープが
存在しているということはつまり


仮にバッキングは
過去のプロデュース作品から
転用してきたのだとしても、


ヴォーカルのミックスも
トラックダウンも為され、
マスタリングまで
すべての作業が済んでいるということである。

そのプロセスには、当然エンジニアの
存在が絶対に必要なる。


だから、歌唱者以外に必ず、
この立場にある人物が、


少なくともテープが完成したことを
知らなかったはずはないのである。

録音はA LONG VACATION制作時、
つまりは80年代の、
それも初頭のことであるらしい。


こんな貴重な音源の存在を知っていて、
三十年以上も沈黙を守っていることが
はたして業界の関係者にできるものだろうか。
まずはその点を疑問に思った。


だがしかし。

なるほど大瀧さんならば、
誰にも知られずに、
マスターテープを仕上げるということも、
あるいは可能だったかもしれない。


すぐにそう思いなおした。

なんとなれば大瀧さんは
御自宅にスタジオを持ち、

70年代には自らエンジニアとして、
稼動されていた時期もあるのである。


だから、バンドやスタッフを皆帰し、
スタジオで一人になって、
まずブースに入って歌を録り、
それから粛々とコンソールに向かう。


そして各トラックのレヴェルを調整し、
全体の音像のヴァランスを決め音をまとめ、
椅子の上で目を閉じて
確認のためにじっと耳を済ませる。

やっぱり台詞のところは、
もう少し後ろに引っ込めた方がいいかな、
なんてことを、あるいは思いつかれて、
そのように調整しなおしたりもする。


自ずとそんな姿が浮かんでもきた。

もちろんすべては想像に過ぎないのだが、
一連の映像は、僕の中でなんだかひどく
しっくりときてしまったのである、


そして同時に、マスターテープの状態に
なっていたということはつまり、


きっかけさえあれば
ただちに発表できるように、
すべての準備がちゃんと
整えられていたということでもある。


おそらく御本人も、同曲については、
『君は天然色』と並ぶ生涯の代表作だと
考えていらっしゃったのではないかと思う。

だからこそ、御自身でも
歌を入れておく気になったのだろう。


だが、だとしたら、何故生前には、
この音源を発表することを
頑なに拒んでおられたのだろうか。


次には自ずと
そんな疑問が湧いてきた。

けれどこのトラックを
繰り返し聴いているうちに、
ふと気がついてしまったのである。


ある意味、答えは最初からそこにあった。


――夢で逢えたら。


これはつまり、逆にいえば、
もう夢の中でしか逢えないと、
いうことでもあるだろう。


曲中では『遠く』としか
表現されてはいないけれど


だからたぶん、この歌が
訴えかけている相手の居場所は
そういう世界なのだろうと思われる。

自ら歌詞も書かれた大瀧さん御本人が、
この点に無自覚であったはずもない。


だから。

あるいは。

ここから先はもちろんやっぱり、
僕の勝手な想像でしかないのだけれど、


ひょっとして大瀧さんは、
御自身と奥様とのお二人ともが、
まだ同じ世界にいられているうちは、


少なくとも奥様と一緒にいる場面で
自分の声が歌っているこの曲が、

不用意に流れてきてしまうようなことだけは
絶対に避けたかったのではないだろうか。


だからこそ、こんな手の込んだやり方で、
公表することを選ばれたのではないか。
それしかできなかったのではないだろうか。


ついそんなことまで考えてしまった。


繰り返すけれど、もちろんすべては
単なる僕の個人的な想像に過ぎない。


このマスターの公表に関し、
奥様やあるいはほかのご家族との間に
どんなやりとりが交わされていたかも、
僕には当然知る由もないし術もない。


しかも、以前にも書いたように、
僕は大瀧さんに関しては、
その音楽以外ほぼ何も知らない。

動いている映像は未だに目にしたことがないし、
御本人の喋られている音声を耳にした機会も
ほとんど数えるほどでしかない。


せいぜいブックレットなどで、何枚かの
お写真を目にしたことがあるだけである。


人となりについては、だから、
音楽と、それから文字になっている
幾つかのエピソードからしか、
うかがい知ることが叶わない。


それでも、結果として生前最後の
言葉となったのだという
一言の中身を、某所の記事などで
改めて知ってしまったりすると、


どうにもそんなふうに思われてきて
仕方がないのである。



もちろん真偽を確かめる術などない。

でもたぶん、そうする必要も、
しなければならない理由もないのだと思う。


なんとなれば、少なくとも僕らは、
眠り続けたりなんてことまでしなくても、


ただこうやってディスクを
プレイヤーに載せさえすれば、

いつでも大瀧さんの歌に
出逢うことができるからである。


そしてそれはたぶん、いや、
間違いなくとても素敵なことなのである。



さて、という訳で、この『夢で逢えたら』が、
僕が今年この場で御紹介する最後の曲となる。

一年間おつき合いいただき、
本当にどうもありがとうございました。


引き続き来年もよろしくお願いいたします。

では皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい。



追記。

たぶん調べればすぐに出てくるだろうから
どうしようかな、とは思いもしたのだが。



林檎を食べに居間に出てこられた大瀧さんが、
意識を失ってしまわれる直前にいわれた一言は、

「ママ、ありがとう」

だったのだそうである。