『スラムドッグ$ミリオネア』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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08年の、アカデミー作品賞受賞作品である。

でもあんまり知っている役者さんは出てこない。
ご存知の方には説明するまでもないのだが、
本編、舞台が全編インドだからである。


スラムドッグ$ミリオネア

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まあ本当、こんな物語の作り方があったか、と、
驚かされたというか、なんといおうか。


感心したというよりはむしろ、
あっけに取られたという方が
率直な物言いになるかもしれない。

似ている物語がすぐには浮かんでこない。
ある種の盲点だったことは
少なくとも僕にとっては間違いがない。



さて、未見の方でもタイトルからお察しの通り、
本編、実在のクイズ・ショウを舞台として、
映画とそれから原作小説の両方が成立している。


我が国でも、みのもんたさんの独特の司会で
一世を風靡した、あれである。

ファイナル・アンサーとか
あるいはライフラインなんて言葉は、
流行語といおうかなんというのか、


今や市井でもすっかり、
この番組でのそれに即した
使用法をされるようになっている気がする。



まずは、あの番組のアイディアが、
遥々インドにまで輸出されていたのだ
という事実にびっくり。

しかも各国で、オリジナルに即して、
それぞれ作りなおしてるんだなあ、などと
そんなことを考えてさらに唖然。


少なくとも、同番組がどういうコンセプトで、
どういう仕組みで作られているかが


観る側にもおおよそ了解されていないと、
この作品、映画そのものが成立しない。

それがアカデミー賞の対象になるクラスの
公開規模に達してしまう訳だから、
この番組がどれほど世界的な規模で
認知されているかは推して知るべきであろう。



しかし、何よりも僕が感服したのは、
このアイディアの採用によって、


本作では、極めて巧妙に
いわば時系列のシャッフルとでも
いうべき操作が為されている点である。

作中の時間軸が現在としない要素を、
物語に導入することには、
やっぱりそれなり以上に気を遣う。


もちろん主人公が今いる現在から
過去を回想するといった形で、
プロットを展開するということは頻繁にある。
僕自身、長編でも短編でもよくやっている。


『オールド・フレンズ』がそうだし、
『向日葵の迷路』もたぶんこれに当たる。

そういう要素、つまりある種の
バックグラウンド的なものを
作品から徹底的に排除してしまえば、


キャラクターや、あるいは世界そのものを、
掘り下げること、厚味を持たせることが
少なからず難しくなってしまうからである。


ただしその場合でも、
回想パートの時間は基本的にまっすぐ流す。

もちろん時間の順序を入れ子にすることも
手法としてなくはないのだけれど、


これ、上手くやらないと、いわゆる
後出しじゃんけんみたいな印象に
なってしまう畏れがあるのである。


何故か。

やっぱり、因果関係というのは、
原因があって結果が生じるものだからである。
そういう暗黙の了解がある。


それをいじる以上は、受け手に対し、
なんらかの根拠なり、あるいは必然性なりを、
きちんと示す必要があるだろう。
まあ、僕自身はそんなふうに考えているのである。


さて、そこで本作である。

分析めいた言い方をすれば、この作品では、
主人公が同番組に出演している現在と、
そこに至るまでの彼の人生という、
二つのプロットが並行して走っていることになる。


そして、出題の順序という一つの指針が、
過去パートの描写においての、
上で時系列シャッフルと呼んだ手法を
極めて自然に成立させてしまっているのである。


だから主人公の記憶は見かけ上
ランダムに呼び起こされることになる。

にもかかわらず、その契機が、
クイズの問題というものによって
ある意味統御されているものだから、


作り手側のご都合主義みたいなものを
受け手に感じさせないという
効果を生み出しているのである。


そうすると作中では、時に結果の方が先に
提示されることになり、このことによって、
ある種のサスペンス(宙吊り状態)が生じ、
物語の強力な牽引力となってくれている。

また、その時間軸に初めて現われる要素が
ことごとくフックとなってくれるし、
ひいては伏線として機能することになる。


なるほどなあ、と本気で唸ったものである。

どうやったらこの方法論を応用できるのか、
あれからいろいろと考えているのだけれど、
上手い答えが出てこないままでいる。

受け手ときちんと共有できる、
時間以外のある種の指標。


クイズ番組ではない、むしろなるべくかけ離れた
こういうものが見つかってくれれば、
なんだか面白いことが
できそうな気がずっとしているのだけれど。


だから、どう書くかが見えているのに、
それを成立させるのには、
いったい何を書けばいいのかが見つからない。
いってみればそんな感じでなのある。

こういうことは早々あるものではないから、
やっぱりこの作品、
極めて独創的だといえるのだろう。



内容にはこれ以上触れないけれど、
後一点だけ本作に関してここで紹介しておくと、


キャストのほぼ全員がいきなり
画面に勢揃いして踊り出すのは、
たぶんインド映画のお約束である。

これをラストでちゃんとやっているところが、
この作品の、あるいは監督さんの
茶目っ気の効いている点なのである。


ちなみにメガホンを取ったのはダニー・ボイル。
『トレインスポッティング』が有名。


でもその後の『ザ・ビーチ』はなんだか
まったくよくわからなかった。

まあでもたぶん、こういう印象は
結局のところ個人的な好き嫌いなので、
話半分で読んでおいていただければと思います。