ラジオエクストラ ♭17 Enjoy the Silence | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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デペッシュ・モードのナンバーから。
収録は90年のアルバムVIOLATOR。

Violator/Depeche Mode

¥999
Amazon.co.jp


80年代がとうとう終わりを告げ、グランジとか、
あるいはオルタナティヴなどといった形容が
ある種のミュージック・シーンに対して
どこからか冠し始められた時期である。


グランジとは、薄汚いといった意味の
形容詞から派生した名詞である。
ある意味でラフな演奏スタイルを指す。


だから、70年代のパンク・ムーヴメントの伏流が、
この時期一気に表に出てきたという捕らえ方も
ある面では可能なのではないかとも思う。

もう一方のオルタナティヴなる述語は、
もう一つ選択肢としての、といったような
意味合いであり、基本的には
一定のスタイルのバンドをまとめて示すような
種類のものではなかったはずである。


ではこのオルタナティヴなる語が、自身に先行し、
それと区別されることを求めて止まない種類の
選択肢として位置づけていたものは何だったか。


それはたぶん、どうしてもひどく薄っぺらい
表現になってしまうのだけれど、いわゆる
インダストリアル(産業)・ロックだったのだろう。

MTVというメディアの勃興が、ある意味
80年代というシーンの趨勢の少なくない部分を
左右していたことは間違いがない。


映像とシンクロさせやすいある種の華やかさ。
シンセサイザーを始めとした様々な音色による
とりわけ高音部の強調。


そういった要素が、シーン全体に必要以上に
もてはやされていた感は確かにあるかもしれない。

それがまあ、今に至る僕の好みを
決定してしまった背景でもあることは
どうにも否定できないのだけれど。


けれどそのムーヴメントが徐々に衰退を始める。
ありていにいえば、市場が求めるものが、
少しづつ変わってきてしまうのである。


しかし、その80年代の主流の一つであった
エレクトロ・ポップ・バンドとして
キャリアのスタートを切っていたはずの
このデペッシュ・モードなるバンドは、
以前にも触れたように、この時代の変化を
巧妙に乗りこなし、逞しくも生き残るのである。

当初彼らのサウンドを、他のバンド群から
圧倒的に際立たせていたのは、
加工されて打楽器的に使用される
金属音を中心とした異様な音色群だった。


時にインダストリアル・ミュージックと称される
これらのアプローチは、最初の全米ヒットとなった
People Are Peopleや、それに続いた
Master and Servantといったトラックなどにおいて
極めてはっきりと聴くことができる。


なお、インダストリアル・ロックなる用語と
インダストリアル・ミュージックとでは、
かなりニュアンスが違ってくるので念のため。
後者は工業的といったような意味合いになる。

さて、ところがこのアルバムから、彼らの方法論は
かすかながらはっきりと変貌を見せてくる。


オープニングのPersonal Jesusで、
冒頭から聴こえてくるギターなど顕著な例だろう。
バンドの新たな代表曲となったのも頷ける。


これがだから、もう一つのロックとして
すんなり認識される契機となったのだと思う。

同曲は同じアルバムからの最初のシングルで、
続いてシングル・カットされたのが、
このEnjoy the Silenceなるトラックだった。


例によってマイナー・スケールで紡がれた、
たとえるなら、荒野を無言で吹き過ぎていく、
冷気をはらんだ風のような鋭利なギターが、
開幕から全編の印象を強力に決定付けてくる。


むしろすべてがこのパターンに乗ったまま
一気に駆け抜けていく感じでさえある。

このモチーフが後半になると
オーケストレーションによって改めて展開され、
曲をクライマックスへと導いていく辺りも、
意識的に採用された新しい手法なのだと思う。


だがこのEnjoy the Silenceの魅力は、
個人的にはやはりリリクスにあるのである。
少し色々と、例によって勝手に訳してみる。


――静寂を楽しめ。

そもそもが、こんな一節を音楽に載せてしまう。
のみならずタイトルにまで採用してしまう。


この辺りがやはり、マーティン・ゴアという人の
ある意味ひねくれた、独特な部分なのだろうなと
思ったりもする訳である。


そしてこのリリクスが糾弾しているのは、
あろうことか言葉そのものなのである。
冒頭からして歌はこんな具合に始まっている。

言葉は暴力に似て、沈黙を打ち砕く。

さらにはこんな表現も登場してくる。

言葉とは、打ち砕かれるために放たれる。(中略)
言葉は瑣末なものであり(中略)
無意味で、忘れ去られる宿命にある。

そしてサビに載せられたフレーズこそ、
まあ、極め付けである。


言葉こそがまさに不必要なものである。
彼らは所詮害を為すことしかできない。


もちろんこの場ではあえてそういう語彙を
故意に選んで訳出してもいるのだけれど、
なんというか、ほとんど預言書というか、
まるで哲学書みたいな雰囲気である。

そうして、はたと気づかされる。

そういった言葉なるものの本質的な性質を、
暴くということでさえ、実は我々は、
その言葉の力なしには為しえないのである。


気がつけば、なんだかすっかり霧に包まれた
ような気分にさえなってきてしまう。

もっともこのサビの部分の直前の箇所は、
以下のような具合に歌われている。


僕が今までずっと欲していたもの、
必要としていたものは、今この腕の中にある。


だからこの歌、たぶんラヴ・ソングなのである。

もっともその腕の中にあるものが何なのか、
デイヴ・ガーンは決して口には出さないし、
ゴアもそんなことはさせはしない。


それどころか、曲のタイトルである
Enjoy the Silenceという一節さえ、
曲の最後の最後、すべての楽器がすっかり
フェイド・アウトしてしまった後になってから
さらに間を空けてぽつりと置かれるのみなのである。


しかもヴァージョンによってはこの箇所まで
収録されていない場合さえある。

だが翻れば、このギミックこそが、沈黙を、
つまりは言葉として発しないことを楽しめという
まさしく無言のメッセージなのではないかと、
そんなことさえ勘繰らざるを得なくなる。



彼らのサウンドというのは、基本的に
芯の部分でまったくぶれることがない。
だからトラックを続けて聴くと
ある意味ひどく単調でもある。


だからこそかえって、僕自身は自分の仕事の
ある種のペースメイカーみたいなものとして
重宝している部分が多々あることは否めない。

そういう訳で、あまり強くアルバムを
お薦めできる種類のアーティストではない。


だがやはり相当好みであることは確かなようで、
いつも以上に文字量が多くなってしまっている。


かくして僕は、最先端の流行という雑誌に由来した
名前を戴いた、極めて頑なな音楽性の持ち主である
このバンドのレコードを繰り返し聴きながら、

打ち砕かれ、忘れ去られるために放たれる宿命から
決して逃れることのできないこの言葉なる存在を、
こうやって今日も綴っている訳である。