ブログラジオ ♯38 (I Never Loved)Eva Broun | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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前回多少ライヴ・エイドの話が出たので、
今回はその繋がりでこちら。

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紹介がコンピレーションばかりになってしまって
大変申し訳ないのだけれど、以前いったように
この辺りの年代は、少しだけ僕の本来の守備範囲からは
外れているのでどうか御容赦いただきたい。


では改めて、ブームタウン・ラッツである。
熱狂の街のネズミたち、とでも呼ぶべきか。


このネズミどもを率いていたボブ・ゲルドフなる人物が、
一連のバンド・エイド、ライヴ・エイドといった
すべてのプロジェクトの発起人なのである。

どこで読んだのかすっかり忘れてしまったけれど、
このラッツ、それなりにいい加減なバンドだったらしい。


おそらくは時間にルーズだったり、
あるいは決してしらふではない状態で、
レコーディング・スタジオに入ったり
そういった常習犯だったのではないかとも思う。


しかもメンバーの一人はパジャマ姿で
平気でテレビに出てもいたらしいし。
まあでも、その様子を実際に目にしたことは
残念ながらないのだけれど。

だから、本当はやや根拠は薄弱なのだけれど、
実際ボブ・ゲルドフの歌い方からして、
いかにもそういう、だらしないとしかいいようのない
逸話がひどく似合いそうな印象なのである。


だがなかなかどうして、演奏はかなりタイトである。

全英トップ・ワン・ヒットであるRat Trapはもちろん、
When the Night ComesやDrag Me Down、
あるいはThe Elephants Graveyard辺りで聴ける
賑やかさを備えた疾走感はなかなかのものである。

パンクあるいはニュー・ウェイヴといった
ムーヴメントに括ってしまったままにするには惜しい。
ビートは完全にロックのものだし、リリクスもまた
サウンドに相応しい反骨精神にあふれている。


彼らの代表曲は九分九厘『哀愁のマンデイ』になる。
原題はI Don’t Like Mondays。


――月曜日は嫌い。
でもこれ、歌詞の内容は哀愁どころの騒ぎではない。

79年一月、米サンディエゴの小学校を標的にして
ライフル銃の乱射事件が起きている。
死者大人二名、負傷者九名のうち
実に八名までが児童だった。


犯人は向かいの家の十六歳の少女だった。
彼女が事件後の取り調べで動機を問われ、
答えたのがこの一言だったのである。


I Don’t Like Mondaysのリリクスは
おおよそをこの流れに沿って展開される。

もっとも両親の感じたであろう苦悩は、おそらくは
ゲルドフの想像力によって補われたものに
違いないのだろうけれど。


このセンセーショナルなテーマを、
やや大仰なほどに荘厳なピアノを
メインに据えたバック・トラックに載せた
このI Don’t Like Mondaysは
全英で大ヒットしたのみならず
瞬く間にある種ロックの古典ともいうべき
地位までをも獲得してしまうことになる。


不幸だったといってしまっていいのかどうか迷うが、
こういった強力なトラックが、バンドのキャリアの
いわば初期のうちに出てしまったこと、

しかもそれが、バンドの音楽性の本質とは、
かなり違ったベクトルを備えたものだったことが、


このブームタウン・ラッツというバンドの終焉を早め、
些か過小な評価のうちに留めてしまう結果に
繋がってしまったのではないかとも感じている。


実際80年代には、ただただ先述のボブ・ゲルドフの
活動によってのみ名前が聞こえてくるような状況だった。
佳曲であることは間違いがない、81年発表の
先に挙げたThe Elephants Graveyardも、残念ながら
チャートを賑わすようなことはなかったようである。

さて、彼らの楽曲の中で僕が個人的に
ひどく気に入っているのが、今回の
(I Never Loved)Eva Brounなのである。


同曲はシングル・カットされてもいなければ、
カップリングに採用されていた訳でもないらしい。
ファンからのリクエストによって、このベスト盤への
収録が実現したらしい。慧眼に感謝である。


エヴァ・ブラウン。ご存知の方には説明するまでもない。
あのヒトラーのただ一人の正妻となった女性である。

ただし厳密にはやはり愛人というべきかもしれない。
彼らの婚儀は二人の自死の直前になってようやく
隠れ家の地下で秘密裏に執り行われたのだから。


そこで、今回の曲のタイトルへと目を戻す。

私はエヴァ・ブラウンを愛したことなど決してない。

だから、こんなことを口にできるのは、
世界でアドルフ・ヒトラーただ一人なのである。
つまりこの歌のリリクスは、
あの総統の一人称で綴られているという訳である。


このアプローチ、どこかあのストーンズの
Sympathy for the Devilを思い出させなくもない。


ゲルドフのヴォーカル・スタイルからしても、
バンドがストーンズを敬愛していたことは
間違いないだろうとも思われるし。

Eva Brounは強烈なギターストロークと
素っ頓狂なコーラスワークとで幕を開ける。
そしてタイトルそのままのフレーズで歌詞が始まる。


この箇所の、真面目なのかふざけているのかさえ
もうよくわからないような掛け合いもまた独特である。


そして、サビに向かってテンポの変わる辺りが
このトラックの聴き所で、明るい切なさみたいな、
独特のノリを醸し出してくる。飽きない。
時間を空けるとまたどうしても聴きたくなって、
手持ちの音源を引っ張り出してしまうのである。

ではトリビア。

彼らの作品にBanana Republicなる楽曲がある。
シングルで、今回のベスト盤にも収録されている。


この表現、洋服のブランドにも採用されている
様子だから、この言い回しをご存知の向きも
決して少なくないのではないかと思う。

訳せばもちろん『バナナ共和国』となる。

これ、実はアイルランドのことなのだそうである。

何故そういうイディオムが成立したのかは
申し訳ないが調べてはいない。

たぶん国の形からではないのだろうとは思う。
アイルランドがバナナの房に見えるかどうかは、
さすがにちょっと迷うなあ。


さて、のんびりしたという形容がいかにも似合いそうな
同曲を貫くパターンとは裏腹に、ゲルドフは徹頭徹尾、
母国であるこの島国を容赦なく批判している。
まあこの辺りが、70年代のロックを感じさせることも
また本当ではあるのだけれど。


そうそう。紹介がすっかり遅れたけれど、ラッツは
アイルランドはダブリンで結成されたバンドである。

だからたぶん、彼らが何かをこじ開けなければ、
ボノ率いるU2はシーンに登場することは
ひょっとしてできなかったかもしれないのである。


という訳で、次回はそのU2を取り上げる予定である。