ブログラジオ ♯36 Solsbury Hill | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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続いてもプログレの世界から。押しも押されぬ
大御所ピーター・ゲイブリエルである。
ケイト・ブッシュの時に一度名前を出している。

プレイ-ザ・ビデオ /ピーター・ガブリエル

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この方、ややもって回った言い回しをすれば、
起源というバンドの起源である。
つまりは、あのジェネシスの
スタート・メンバーだった人物である。


非常に申し訳ないのだけれど、ゲイブリエル在籍時の
ジェネシスについては、たぶん僕には語る資格がない。
その辺はだから詳しい人にお任せしたいと思っている。


むしろどれから入るのが一番いいのか、
こちらが教えていただきたいくらいである。

だからこのピーター・ゲイブリエルという名前が
僕の脳裏に強烈に刻み込まれたのは、
86年のSledgehammerなる大ヒット・チューンの、
そのビデオ・クリップによってだった。


この作品、全編クレイ・アニメーションの
手法で制作されている。要はコマ撮りである。


唖然としたし、相当面白がって繰り返し見た。
続いて発表されたBig Timeのビデオも
同じ手法ではありながら、やはり凄かった。
曲も歌詞も独特で、それが映像と合っていた。

だからこの人もたぶん間違いなく天才で、
しかもその紙一重を時々ぎりぎり踏み越えたり、
そこからどうにかして戻ってきたりしながら、
生きている人なのではないかと考えている。


いや、もちろん僕の勝手な想像でしかないのだが。

とにかく、とりわけこの人の映像への
こだわり方は本当に生半可なものではない。
という訳で今回は、アルバムではなく
ヴィデオ・コレクションのご紹介とした次第。

PL△Y THE VIDEOというこのタイトル。
ワープロではきちんと打てないのだけれど、
Aの部分がこんな感じで、CDプレイヤー等の
再生ボタンの記号になっている。
この三角形を右に90度回してもらうのが正解。


こういうセンスが、あ、やっぱ違うな、と思わせる。
だってカヴァーデザインからして、
どうみたって只者ではないでしょ?


Solsbury Hillはソロとしての最初のアルバムからの作品。
だからなのか、曲自体は割りと大人しめともいえる。

もちろん彼のソングライティングの中では、
ということではあるのだけれど。
Shock the Monkeyとか、タイトルだけでも
相当凄いでしょ? 今回はこれ以上触れないけど。


さて、そそくさとSolsbury Hillに戻る。
歌はこんな感じの情景描写で開幕する。


ソルズベリーの丘を登ると
街の灯りが見えてきた
風は凪ぎ 時間は止まり
宵闇の中から一羽の鷲が飛び出してきた

ある種の神秘体験を思わせるような表現も
ところどころ垣間見えていなくもないけれど、
ワン・コーラス目においてはさほど強烈ではない。


ところが二番に出てくる一行が、
一瞬にしてリリクス全体を変貌させてしまう。


――水をワインに変えてしまったり

あえていうまでもないけれど、そんなことができたのは、
有史以来あの人ただ一人しかいない。
だからこの一節が、それまでの言葉たちの意味を
根底から覆していってしまうのである。


ではサビのラストの箇所で主人公に、
息子よ、と呼びかけていたのはいったい誰なのか。


そもそもこの丘とは本当にイングランドにある
ソルズベリーと呼ばれている場所なのか。
あるいはそれは実は、ゴルゴダという
名前で知られている土地なのではないのだろうか。

まあ否応なく、そんなことを
考えさせられてしまう訳である。


だから後年彼が『最後の誘惑』という映画の
サントラの全編を、あれほどの熱意で
仕上げなければならなかった伏線は、
たぶん最初からちゃんとここにあったのである。


補足しておくと、この『最後の誘惑』というのは
マーティン・スコセッシによる88年の作品である。

磔になったキリストが十字架の上で見る
長い長い幻の内容をメインに据え、
この救世主の生涯をいわば人間的に
解釈しなおそうと試みた一編で、
当時ずいぶんと物議をかもしたものだった。


それでも、そんな難しいことまで考えなくても
ただ耳を傾けているだけでこの曲は十分に美しい。


なんというか、清々しさのようなものが
過不足なく全編を貫いている。
そしてそれは、決して宗教的な範疇に
留まるものではないはずだ。それは断言できる。


さて、例によってトリビアである。
上で触れた『最後の誘惑』なる映画で、
悩めるキリスト像を見事に演じきって見せたのが、
ウィレム・デフォーという俳優である。


ところが、これがあまりにはまり過ぎていたために、
このデフォー、しばらく不遇の時代を過ごすことを
余儀なくされてしまう。


もちろんキリストのイメージが強過ぎるが故に、
使いにくいという判断をされてしまった訳である。

ようやく彼が再び脚光を浴びることができたのは、
サンドラ・ブロックの、あの『スピード2』の
しかも犯人役だったのは、誰が狙ったのか知らないけれど、
ある意味できすぎた話ではあるなと思わないでもない。