『アイ・アム・サム』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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手触りは以前紹介したガンプとやや似ているのかな。
ショーン・ペンとミシェル・ファイファー、
そしてダコタ・ファニングの出演による02年の作品。
当時ファニングは役柄と同じ七歳だった。

I am Sam

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ショーン・ペンの名前を初めて耳にしたのは、
たぶんあのマドンナの結婚相手としてだったと思う。


まあ外野なので勝手なことをいってしまうが、
正直、大丈夫かな、みたいなことを感じていた。
それほど当時のマドンナは巨大な存在になっていた。


案の定二人の婚姻関係は四年で破綻してしまう。
原因はいろいろ書かれているだろうと思うし、
そういう真相は結局のところ、
当人同士にしかわからないことだろうから割愛する。

だからこの人が、まさかこれほどの役者になろうとは、
あの頃はまったく思いもしていなかったのである。


実際ショーン・ペンは、本作ではないがすでに二度、
主演男優賞のオスカーを手にしている。


つまりハンクスと並んで、ダニエル・D・ルイスの
三回受賞という記録に並ぶ可能性を持っている
数少ない一人になっているという訳である。

そのペンのキャリアの中でもやっぱり重要なのは、
この『アイ・アム・サム』なのだろうと思う。


ペン演じるところのサムは、七歳程度の知能しか
持っていないと繰り返し説明されている。


その彼が、娘を育てることになってしまう。

だから、ビートルズのナンバーにちなんで
ルーシー・ダイヤアモンドと名づけられたその彼女が
七歳を迎えた時に、当然のごとく
問題が持ち上がってきてしまう。


ルーシーが学校に行き始めたことで、
サムの養育能力に疑問を呈する者たちが
二人の周囲に続々と登場してくるのである。


丁寧だな、と思うのは、サムのビートルズ好きや
ルーシーの描く絵の色遣い、あるいは仲間内の
映画『クレイマー、クレイマー』への言及が、
思いがけない形で利いてきたりといった、
細かな伏線がさりげない形で配されている点である。

だがやはり、圧巻は二人の演技につきるだろう。

ペンは喋り方はもちろん、歩き方、首の傾げ方まで
過不足なくサムになりきっている。


そしてダコタ・ファニングが、やはり凄いのである。
脚本がある上のこととはいえ、たとえば面会室で、
監視しているスタッフに向かって
自分の父親はこの人だと叫ぶシーンなど、
どうしてこんな顔ができるんだろうくらいに思わせる。

物語のテーマとか、自分の役どころとか、
十分につかんで演技してるんだろうなと、
ある意味圧倒されてしまう。


なお、これは余談ではあるが、冒頭のシークエンスで
生まれたばかりのルーシーを演じて(?)いるのは、
彼女の実の妹、エル・ファニングである。
こちらも今や女優デビューしている模様である。



さて、もちろんこの映画を取り上げた以上は、
僕としてはサウンドトラックの話をせざるを得ない。
いや、別に義務だという訳ではないのだけれど。

この映画のBGMは全編ビートルズのカヴァーである。
当初監督はオリジナルを使いたかったらしいのだが、
主に権利関係の問題で断念せざるを得なかったらしい。


そこでレコード会社の協力を得て、
各アーティストに打診がなされ、
実にわずか三週間で、これだけのトラックが
揃ったのだそうである。


国内盤で全20曲。シェリル・クロウに
サラ・マクラクレン、ベン・フォールズと
いったところが名前を連ねている。

オープニングを飾るのは、エイミー・マンと
ショーン・ペンの実兄でミュージシャンである
マイケルのデュエットによるTwo of Usである。


アルバムLET IT BEの収録のこのナンバーが、
これほど美しい曲だったのだとは、
この作品で改めて気づかされたくらいだった。


ちなみにこのA.マンというのは、以前一度
ボウイの紹介の際に名前を出した、カナダの
ティル・チューズデイというバンドの
リード・ヴォーカルだった女性である。

いずれ改めてちゃんと紹介するつもりだけれど、
デビュー・アルバムVOICES CARRYが
極めて出色の出来だった。


タイトル・トラックも86年に大ヒットした。
不思議な透明感のある個性的な声の持ち主である。


その彼女が、ボーナス・トラックとして
Lucyを歌っているのである。
これだけでもう僕としては垂涎ものなのである。
もちろんこのトラックも期待に違わぬ出来である。

さて、そもそもが前述のような事情から、
この映画ではカット割りも編集も、
当初はすべてが原曲に合わせて作業されていた。


だからこのサウンドトラックは、
原曲のリズム/テンポとまったく同じに
録音されなければならないという条件の下で
それぞれのアーティストに依頼が為されたのだそうである。


これがすごくいい方向に作用しているような気がする。

そもそもが選曲もすごくいいし、原曲のニュアンスも
上記の経緯から、ほぼまったくといっていいほど
損なわれてはいない。


むしろ時代が変わって録音技術が向上しているから、
音の透明感が増していて、全体が非常に心地よい。


ビートルズのカヴァー作品集としては
極めて贅沢な一枚であることは間違いがない。

だから、そんな制約の中でのレコーディングを快諾し、
これだけのパフォーマンスを披露してくれた
各アーティストに感謝すべきだなと思ったりもする。


もちろん映画もすごくいいので、念のため。