ラジオエクストラ ♭7 New Age | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

佐野さんを続ける。84年、SOMEDAYに続いて
発表されたオリジナル・アルバムが、
このVISITORSだった。

VISITORS/佐野元春

¥2,935
Amazon.co.jp


前回も告白した通り、佐野さんという方は僕にとって
とにかく特別なアーティストなのである。


詳しい経緯は今回は稿を譲るつもりだけれど、
だから自分の仕事を通じて御本人と御縁ができた時は、
正直まるで夢を見ているような気分だった。


何度かここで紹介させてもらっている別冊カドカワさんで、
佐野さんについての原稿を書ける機会を戴いたのである。
まあもぎ取ったとでもいった方が、
実は正確なのかもしれないのだけれど、それはまたいずれ。

そしてしかもそれがまたさらに、僕に思いがけない、
それどころかとんでもないといっていいくらいの僥倖を
もたらしてくれることになるのだけれど、
その話はやっぱりまた改めてとさせていただき、
今回はこのアルバムに話を絞ることにする。


さて、前回のSOMEDAYの後に佐野さんは
NO DAMAGEというタイトルで
最初のコンピレーションを発表されている。


これがまた、通常のアーティストのベスト盤とは
まったくアプローチが違っていて、
やっぱり相当驚かされたものだった。

もちろん繰り返し聴きまくった。
She’s So DelicateやSo Youngなどの、
他者への提供楽曲のセルフカヴァーも、
すぐにはそうとは思えないほど、
やっぱり佐野さんのトラックだった。


ちなみにShe’s so Delicateは沢田研二さん、
So Youngは山下久美子さんのために
それぞれ書き下ろされていたものだったはず。


そして満を持し、完全な新作として届いてきたのが、
このVISITORSだったのである。

だが当時の自分が少なからぬ当惑を覚えたことは、
率直にここに告白されて然るべきだろう。


SOMEDAY、NO DAMAGE、それからさらに遡った
HEARTBEAT、BACK TO THE STREETといった
カタログに収録されていたトラックたちの手触りとは、
明らかにずいぶんと異なっていた。


だから最初のシングルだったTonightが、
おそらくはSOMEDAY収録の作品群との橋渡しを
僕の中でしてくれていたのではないかとも思う。

いずれにせよ何もかも、今になってからだから
ようやくいえることばかりになってしまう。
だから僕は、この時佐野さんのやろうとしていることが、
新し過ぎてまだ理解できなかったのだと思う。


ただそこに何かがあることだけは直感的にわかった。
だからこそ、自分の中の何かが相当戸惑いもしたけれど、
否定することも決してしなかったのだと思う。


VISITORSの制作期間中、佐野さんは
単身で渡米され、ニューヨークで過ごされている。

ビッグ・アップルと呼ばれるあの世界一巨大な街で
現地のミュージシャンたちや
あるいはクラブ・シーンに直に触れ、
そのエッセンスを吸収し、自分のスタイルと融合させ、
僕らに届けようとしてくれていたのだと、
今はそう解釈している。


断言するのはやや乱暴だが、オープニングトラック、
Compilation Shakedownが採用している
アプローチは、明らかに
ラップ/ヒップホップのものであろう。


でも繰り返すがこの作品、84年の発表なのである。

RUN D.M.C.のWalk This Wayが86年、
前に取り上げたペット・ショップ・ボーイズの
West End Girlsが同じ年の初頭である。
とりわけエアロスミスのカヴァーである前者によって、
ラップというスタイルはシーンに認知されていく。


だから本場アメリカのマーケットと比べてでさえ
実に二年近くも早かったことになるのである。


さらには、ヒップホップなんて言葉がジャンルとして
成立してくるのはさらに先、90年代になってからである。
本邦でもDRAGON ASHの登場は
97年まで待たねばならない。

VISITORSという作品は、これほどまでに、
それこそ徹底的に時代に先行していたのである。
今となればその持っていた意味は、
ただ測り知れないとしかいいようがない。


だからそのサウンドには、本当に手探りのような
状態で接しながらも、一方で歌詞には、あの頃の僕も、
一貫して変わらないものを感じていた。


例えばShame で繰り出される、音楽とはある種
まったく異質な名詞たちの連打。こんなことできるのは
やっぱり佐野さんだけだ、と思った。

Sunday Morning Blueの冒頭の景色もらしかった。
Come Shiningの不思議な陽気さに
少しだけ安堵に似たような気持ちも覚えた。


そしてクロージングのこのNew Ageには、
やっぱり相当興奮していた。


なんといってもこの曲、とにかくカッコいいのである。
SomedayやRock & Roll Nightの持っていた
ある種のドラマチックさとは明らかに異なっている。
ヴァースの全体の字数も比較的どころか相当少ない。
繰り返しも多用されている。

だが、だからこそかえって
メロディーと言葉とが緊密に一体になっている。
そこに切り取られているものの輪郭が
より一層鮮明に立ち上がってくる。


こういう完成されたリリクスに、
解説なり解釈なりを加えることはやはり
野暮というものだろう。だから控える。


痛みのキス、冬のボードウォーク、
あるいは、うつろなマーマレイド。

そういった強烈で独特なイメージたちの数々に
今になってもまだ、ただ圧倒されるだけである。