ブログラジオ ♯28 Wuthering Heights | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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たぶん彼女の歌声は、たとえそれとは知らなくとも
予想より相当多くの人が、おそらくは一度ならず
耳にしているのではないかと思う。
今回取り上げた邦題を『嵐が丘』というこの曲、
実はあの明石家さんまさんの『夜のから騒ぎ』の
オープニング・テーマとして、ほんの一節だけだが、
ずいぶんと長いこと使われていたのである。
ああ、あのちょっと変った独特の声の人か、と
思っていただけた向きも少なくないのではないかと思う。

僕がこのケイト・ブッシュなる歌姫の存在を知ったのは、
ちょうど彼女の初めてのベスト盤、
The Whole Storyがリリースされた頃だった。
なるほどすごい人がいるなと思った。
ピアノや弦を中心とした使用楽器の編成も
まさに自分のストライクという感じだったし、
旋律も歌詞の世界も極めてユニークだと感じた。
でもそれらの収録曲を手がかりに、
それまでに発表されていた過去の作品群を
バックカタログを追いかけてきちんと確認しようとまでは
何故だか思わなかったし、結局しなかった。

たぶんちょっとだけ、本能的に怖かったんだろうと思う。
ややぎりぎりの表現になってしまうのだけれど、
彼女の歌い方、声の出し方、言葉の選び方、そして
メロディー・ラインの作り方といったすべての要素に
否定しがたい異質さを無意識に感じ取っていたのだと思う。
この人はひょっとしてすでに、
常人が安易に越えてはいけない種類の一線を
無自覚に飛び越えてしまっているのではないだろうか。
明確に意識こそしなかったが、たぶんそんな
どこか脅えに似た感情を、僕自身がその音楽の中に
ひそかに見つけていたのではないかという気が
そこはかとなくしてしまうのである。

確かに、なんというか自我のタガみたいなものを
ほんの一瞬でいいからどこかで緩めてやらないと
引き受けられない言葉というのはたぶんある。
ここまで今の仕事を続けてくるうち、いつしか僕自身
そんな認識を是とし始めていることは正直否定できない。

だからそれは、音楽も同じではないかと思うのである。
むしろ旋律というもう一つの重要な
しかも決して欠くことのできない要素があるだけに
そのハードルは一層高いものなのかもしれないとも感じる。
だからその境界線を越えなければ、
あのソングライティングはもちろん
彼女のすべてのパフォーマンスは
生み出されてはこなかったのではないかと思うのである。

ケイト・ブッシュは、あのピンク・フロイドの
D.ギルモアに見出されてデビューを果たしている。
さらには元ジェネシスのピーター・ゲイブリエルにも
非常に高く評価され、彼のSOという大ヒットアルバムに
ゲスト・ヴォーカルとして迎えられてもいる。
念のためだが、どちらもいわばプログレ界の重鎮である。
追ってきちんと紹介するけれど、このゲイブリエルもまた、
どこか常人離れした異質な空気をまとった人だったから
傍目からはさもありなんという組み合わせに見えた。
ちなみにこの時の二人のデュエットは
Don’t Give Upというトラックで聴くことができる。
PVでは競演を果たしてもいる。

ところで、この彼女とP.ゲイブリエルとの関係は、
海を越えたアメリカでちょうど同じような時期に起きていた、
パティ・スマイスなる女性シンガーと、
ヴォイス・オブ・カリフォルニアこと
イーグルスのドン・ヘンリーとのそれと、
なんだかどことなく似ているようにも思われる。
もっともこちらのパティ・スマイスの方は、
残念ながら本邦ではそこまでの評価は
獲得していない様子ではあるのだが、
個人的にはひどく好みの声の持ち主で、
いずれ十分に字数を割いて
この場所で紹介するつもりでいる。もっとも、
かなり先になってしまう予定ではあるのだけれど。

Wuthering Heightsは、タイトルの示す通り
小説『嵐が丘』をベースにしたトラック。
サビのパートで名前の出てくるヒースクリフもキャシーも、
当然ながらその作中人物のことである。
で、そのキャシーの正式な名前はキャサリン・リントン、
一方でケイト・ブッシュの本名は、
お察しの通りキャサリン・ブッシュなのである。
ね、ちょっとだけだけれど、なんとなく引くでしょ?

さて、本邦でこのケイト・ブッシュと似ている空気を持つ
アーティストをどうにかして探し出すとしたら
おそらくは戸川純になるのではないかと思う。
いや、むしろこの人は、このケイト・ブッシュの境地すら
最初からすでに軽々と凌駕してしまっていたのかも
しれないという気もどこかしないでもないけれど。

昔『玉姫様』ってアルバムがありましてですね。
あれはなんというかもう、到底言葉にしがたいほど
色々な意味ですごかった。タイトルトラックはもちろん
『隣の印度人』とか今でも忘れられないし、
何よりも『蛹化(むし)の女』のあのインパクト。
パッヘルベルのカノンに日本語詞を載っけているのだけれど
これがもう信じられないほど異世界。
なのに有り得ないほどはまっているから不思議。

だからたぶん、この戸川純が切り拓いた路線というのは、
あれほどの強烈な域にまでは当然程遠いとしても
やがて川本真琴やポケット・ビスケッツ辺りを経て、
現在は上坂すみれに継承されつつある。
――のだろうと思う。
実はいつも彼女の新譜のCMは、面白いからもっとやれ、
などと思いながら見ていたりする。
もっとも恐縮ながらアルバムは未聴。いつかそのうち。


さて、今回のトリビアもある種の脱線。
小説の方の『嵐ヶ丘』は、いうまでもなく
彼の有名なブロンテ姉妹の次女、エミリーの作品である。
姉シャーロット・ブロンテが『ジェイン・エア』の作者。
僕の頃はたぶんここまでが常識だった。
ところが実はこの下にもう一人、
アンという三番目の妹がいて、
しかも彼女も小説を書いており、
なんと姉エミリーを上回る
二作の長編を発表してもいるのである。
昔はたぶんこの末の妹の作品に関しては、あの頃はまだ
どこからも翻訳など刊行されてはいなかったはずだと
思うのだけれど、現在はブロンテ姉妹全集という形で
どうやら読むことができるようになっている様子である。

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