本紙記事の見出しに「レガシー」とあり、複数の読者から「何のことだか分からない」と指摘された。「遺産」という意味だが、カタカナ語の多用は戒めなくてはならない。
2020年に東京で開催される夏季五輪は選手村から半径8キロ圏内に85%の競技施設が集中し、新国立競技場を中心とする「ヘリテッジゾーン」と、臨海地区の「東京べイゾーン」に分けられる。ここでもカタカナだが、「ヘリテッジゾーン」も「遺産地区」といった意味だ。
新国立競技場は、そのデザインや総工費に異論もあるが、19年春には現国立競技場を解体した跡地に完成する予定だ。1964年東京五輪では感動的な開閉会式の会場となり、遡(さかのぼ)れば43年秋、出陣学徒壮行会が行われた場所でもある。
出陣式で行進し、五輪当時はサンケイスポーツの運動部長だった北川貞二郎さんは、開会式の原稿を同紙1面に「この日を迎えるまで、われわれ日本人は、どれだけの風雪を越えてきたことか」と書いた。
いまも競技場の一角には、「出陣学徒壮行の地」の石碑がある。競技場側によると、来年7月から始まる解体工事の間は撤去され、「その後の扱いは有識者らの意見を聞いて検討する」のだという。
なぜ主体的に「石碑は敷地内に残します」といえないのだろう。
石碑だけではない。64年に聖火がともされた鋳物の聖火台はバックスタンドの最上段にあり、毎年、製作者やハンマー投げの室伏広治選手らの手で磨かれ続けてきた。
トラックの第4コーナー近くには白い「織田ポール」が立っている。高さは15メートル21センチ。28年アムステルダム五輪の三段跳びで、織田幹雄さんが日本人初の金メダルを獲得した優勝記録と同じ長さだ。
石碑も聖火台もポールも、語り継がれることに意味はある。語られるにふさわしい場所もある。「遺産地区」を名乗るなら、まさか冷たい仕打ちはできまいが。