民芸の地からモダンを
栃木県の益子(ましこ)は陶工の町だ。窯元は250軒以上。通りには陶器店がずらりと軒を並べる。
はじまりは江戸時代と伝わる。関東平野の縁にあたる丘陵地には条件がそろっていた。粘土層があり、芦沼石のような釉薬(ゆうやく)の材料も豊富で、薪も調達しやすい。鍋、土瓶、鉢、壺…日用品を数多く産出した。
昭和以降は「民芸」の拠点として名声を得た。日々の暮らしに根付いた無名の職人による手仕事に「用の美」を見いだしたのが民芸運動だが、柳宗悦(むねよし)らとともに運動の中心的人物だった陶芸家、浜田庄司は昭和53年に亡くなるまで益子に住んでいた。浜田の存在は、地元の職工たちに大きな影響を与えた。
でも、そんな町に暮らす陶芸家の鈴木稔さん(51)は、ニッコリ笑ってこんなことを言う。
「益子焼は好きじゃなかったんですよ」
って、どういうことですか!? 聞けば鈴木さん、大学時代にサークル活動で作陶に熱中し、「これを職業にしたら一生退屈しないはず」と、益子に移住してプロになる道を選んだ。埼玉のベッドタウンに生まれた団地世代。とすればいわゆる「民芸調」に距離感を覚えてもおかしくないのかも。