前書

殺風景な日常の中で、思い出だけは沢山に抱え込んで

暮らして居ります。

ブログ更新が中々出来ないので、最後の苦肉?の

策として自分史を綴って行く事に決めました。


ブログならでの拙文を偽りなく、ご披露させて頂きますので

どうぞ、宜しくお願いします。


二つの誕生日

昭和12年12月25日 東京・江東区に有る病院で

生まれました。

その事実を知ったのは「へその緒」が入った小さな桐箱を

見つけた時に、その裏に生まれた日付・病院名が記されて

居りました。


戸籍上では昭和13年1月7日生と記載されて居ります

当時は満年齢ではなくて数え年で云うのが普通だったのです

直ぐに二歳になるのが不憫だったそうで、父と同じ誕生日に

したのだそうです。

今のように母子手帳もなかった頃のお話です。


朝子の部屋
髪の毛が薄くて眉毛ばかりが濃いのは、七十代の

今も同じです、ご笑覧下さいませ。




原田イサム・秋満義孝クインテッドwith阿川泰子


伝説の”シュガーボイス”阿川泰子さん

その美しさは以前から知って居りましたが、初めて

拝聴しました


しなやかに踊りながら歌う、セクシーなこと・・・

ヒラヒラと妖しげに白魚の様な指を動かしながら

そのしぐさの見事さにウットリとしてしまう程でした


演奏

ドラム       原田イサム

ピアノ       秋満義孝

トロンボーン   西山健治

テナーサックス 右近 茂

ウッドベース   谷口雅彦


曲目

ブルームーン

その名は富士山

A列車で行こう

いそしぎ

ムーンライトセレナ-デ

時の過ぎ行くままに

星に願いを

虹の彼方に

他 数曲


今年も、Sさんよりコンサートへのお誘いを頂きました

横浜高島屋の前で東京稲城市にお住まいのT子さんと

待ち合わせて二人で行って参りました


T子さんは昭和22年、この地にて一緒に通学した一番

仲良しのお友達で 当時、二人は小学校三年生でした


大先輩のSさんとの交流が深まり、昨年の文化祭に

お誘いを受けた時に、T子さんもご一緒することに

なりまして、恩師であるSさんとは何十年ぶりの再会を

しておられました。


こちらでは「先生」とお呼びするのは、ご本人のご希望で

禁句なのですが、Sさんとはどうしても云えない二人でした


帰りのシャトルバスで「やっぱり、いつまでも私たちの

尊敬する先生ですものね」と、顔を見合わせて、気持ちだけは

あの頃に戻って居た二人でした


T子さんとの懐かしい思い出話、当時の小学生時代も

綴ってみたいのですが・・・何しろ60年以上前のことですので・・・


頭の体操を兼ねて愉しく頑張りたいと思っております。

その節には、どうぞ宜しくお願いします。



朝子の部屋

朝子の部屋


先日、お友達のY子さんのお伴をして油絵の作品展へ

行って来ました。


品川駅で待ち合わせをして、新橋のギャラリーにて

Y子さんの通っている絵画教室の先生とお仲間によって

開かれた作品展を拝見して、久しぶりに銀座を歩いて来ました。


それから、六本木「国立新美術館」へ・・・

ゆっくり拝見して、三時半過ぎにお蕎麦屋さんで

遅い食事をして帰路につきました。


今、「六本木}と、地名は変わって居りますが、この地は

亡き父のすぐ上の姉である伯母が住んでいて、父に連れられて

何度も来た場所でした。


戦前、まだ5・6才だった頃、良く覚えていることは

父と伯母の家に行くと「ちょっと○○ちゃんを借りるよ」と

伯母は私を連れて近所の下駄屋さんへ連れて行き、下駄の

ハナオを選ばせて、足に合わせて履きやすいように

すげて貰ってから買って下さいました。


後に聞かされた話では、その頃伯母には三人の息子さんが

居りましたが、幼児の時に亡くなった娘さんを小さい私に

重ねて偲んでいたのだそうです。


その後、戦災・復興の時期があってそれぞれの境遇も

変わって一時は疎遠になってしまいましたが・・・


後に東京タワーが出来て伯母は観客として公開放送に

出席しては帰りにはお菓子や日用品のお土産を頂いて

とても楽しく過ごしていたと話して下さいました。


それから、伯母を訪ねる時はいつも田町駅よりタクシーで

行っていた父でしたが、ある時いつもの様に「麻布市兵衛町

(あざぶいちべいちょう)まで」と、運転手さんに云いましたら

「今、六本木と地名が変わって、市兵衛町と云っても解る

運転手は少なくなりました」と、云われたそうです。


時代の移り変わりを感じたであろう父の気持ちが手に取る様に

理解できる齢に私もなりました。


父は昭和56年に79才で亡くなり、二歳上の伯母は平成5年に

92才で永眠なさいました。



朝子の部屋

朝子の部屋


この写真は昨年の「根津神社つつじ園」です






よく晴れた日 空を見上げる

青い空に満開のさくらの花

風が吹く 頬に 肩に

はらはらと散る 花びら

人は その美しい季節に

それぞれが 何をか思わん


美しい季節 また迎えられたのですね


今年のさくらの季節に 我が家の孫も

高校生になりました。


先日、近所に住む息子夫婦の長女みーちゃんが

新調の制服姿を見せに来宅しました


制服もスカートだけではないと聞いて居りましたが

日常でもスカートを穿かないボーイッシュな

みーちゃんの晴れ姿に男子高校生が重なってしまう

自分が居りました

でも、一方では少しだけ安心感があったのは

祖母心の取り越し苦労でしょうか・・・

時代は変わったのですね。


今日の入学式から、みーちゃんの電車通学が始まります

幼稚園、小中学校も自宅から5分もかからない場所に

あったのですから・・・

運動部の部活を三年間休まず続けられた みーちゃんなので

朝早くの通学もきっと大丈夫でしょう。


「15年間の早かった事 人見知りが強くて、おばあちゃんの胸に

しがみついて居た 小さくて可愛かったあのみーちやんが高校生に

なったのね」と、感無量で言った私の言葉に

「えっ、私にはとっても長かったよ」って、

みーちゃんは少し驚いたふうに言いました。


この15年間は、孫にとっては大変な時期だったのでしょうね。


そして、もう一人 娘夫婦の次女リカちゃんも高校生に

なりました。


平成八年 我が家には、七月にリカちゃんが 十一月に

みーちゃんが生まれたのでした

生まれた時から小さいみ-ちゃんと、大きく生まれたリカちゃんは

仲良く元気に育ちました。


今では二人の身長の差は20センチもあります

リカちゃんは何と170センチを超えるのではないかと思われます

でも、二人とも元気に高校生になりました。


県立高校の合格発表の日、祖母心の取り越し苦労には

辛いものがありましたが、無事に二人とも希望校に

決まって、何倍もの喜びを頂きました。


そして、それぞれ多忙になってからは中々揃えなくなった

お祝いの家族集会が何年振りかで再開されて

我が家を賑わしてくれました。



朝子の部屋










先日、お誘いを受けて行ってまいりました。


天満敦子さんの「アフタヌーン・コンサート」

演奏曲目

G線上のアリア

鳥の歌

ダイスの瞑想曲

祈り

アヴェ・マリア  グノー

アヴェ・マリア  シューベルト

ホーム・スィート・ホーム

ねむの木の子守歌

夏の思い出

トロイメライ

望郷のバラード

ジュピター


ショートトークを交えた夢のようなひと時を頂きました


素晴らしい演奏の中でも「望郷のバラード」が

演奏された時、その音色の美しさと激しさの中に、

限りない哀愁を感じて涙ぐんで居りました

そして、その哀しげな音色に触れて、よりいっそうの

ヴァイオリンの魅力が伝わって心洗われる思いを

させて頂きました。


世界的ヴァイオリニストでいらっしゃる天満敦子さん

そして、名器ストラディヴァリウスによる演奏会でした。


平凡な人生の中で貴重な体験をさせて頂いた一日でした。


朝子の部屋
現実にはまだ咲いておりませんですが

早く暖かな春が来ます様に・・・




エピソード 1

S子さんは、ご実家であるお寺のすぐ近くの新築の九階建ての

内の一戸(当時はマンションとは言われませんでした)を、

購入して親子4人の生活をして居りました。


二人の男の子も大きくなり、手狭になってきた頃のことでした。


同じ建物内で広い間取りの一戸が売りに出されました。

S子さんはご主人にお願いして差額のお金を工面して頂いただけで

一人で諸問題を解決して、いよいよお引越しをする事になりました。


S子さんのご主人様は見事なワンマンぶりの方で、仕事以外は全て

奥様まかせでしたので、お引っ越しもS子さんが一人でなさいました。


毛布一枚を使って、階下の引っ越し先まで、大物の家具も電化製品も

エレベーターで運んだそうです。


何日か掛けてのお引越しの最後の日、何も無いお部屋でS子さんは

ご主人様のお帰りを待っていました。

朝、出勤の時「一緒に新しいお家へ移りたいから、今日だけは早く

帰って下さい、帰るまでここで待って居ますから・・・」と、

毎日、午前様のご主人にお願いをしました。


そして、S子さんは掃除道具を、ご主人様はゴミ入れだけを持って

○○家の引っ越しは終了となりました。


「日中は誰も居ないのでエレベーターも自由に使えたし、人と顔を

合わせる時だけが恥かしかったけれど、自分の思う様に出来たので

少しも大変ではなかった・・・」と

後に、ニコニコとお話して下さいました。


エピソード 2

ご夫婦で親戚の集まりにお出かけになる時、たばこ・ライター・ハンカチ

ちり紙・その他の物が、その都度、S子さんのバックから「あ・うん」の

呼吸でご主人様へ手渡されるのです。

「S子さんのバックは魔法の入れ物みたいね」と、言われたそうです。


エピソード 3

S子さん曰く「主人のお酒を買いに、近所の酒屋さんだけでは買うのが

恥かしいくらい飲むから、時には遠くの酒屋さんまで買いに行くのよ」

S子さんの心配を余所に、ご主人にとってのお酒は、車のガソリンと

同じだったのでしょうね、好きなだけ飲んで逝かれてしまわれました。


エピソード 4

結婚前からダンスが大好きだったS子さんでした。

子どもに手が掛からなくなった頃、S子さんはご主人を説得しましたが

勿論、ご主人様は絶対反対でした。

ただ「俺に分からない様に出来るのなら」と、知らんふり・・・

そこは「あ・うん」の呼吸で見て見ぬふりをして下さったのだと

思われます。


お教室はご主人様の留守の時間帯でしたが、日曜日の大会には、

前日に駅のロッカーへ、衣装を入れて置いて「実家に行ってきます」と、

出かけるのでした。


ご主人は大好きなお酒を飲みながら、のんびりとお留守番でした。


平成七年のお正月、息子さん夫婦がお孫さんを連れて遊びに来た

その日、ご主人様はS子さんの膝の上で永眠なさいました。


この拙文は、今度お会いした時に見て頂く事に決めて居ります。

きっと「まぁ、良く覚えて居てくれました」と、とてもびっくりなさると

思って居ります。



朝子の部屋




”○○ダンススクールへ通い始め、今年はお教室の三周年を

迎えます、まだ27才のバリバリの先生とのレッスンはとっても

楽しくていつまで踊れるか頑張ります”

と、今年の年賀状の添書きに記されていました。


もともと、彼女はダンスの指導者として70才頃までは

二つのお教室を受け持って、それぞれ隔年ごとの発表会を

開催していた、元気印の頑張り屋さんでした。


一学年下の彼女とお会いしたのは「○○学園」の和裁科へ

入った時でした。


中学部から有る学園でしたが、今で言う「専門学校」

女史学園長のお考えで古風な中にも、新しいものが

取り入れられた学園でした。


和服ひと通りの他には、当時流行した新しい着物、一般教養と

して、茶道・華道・テーブルマナーなど学ばせて頂きました。


年齢も中学卒業生から上は家庭をもっている方も何人か居られる

大変に目新しい場所でもありました。


国鉄の駅(JR)を利用する人たちの中で、S子さんと私は少し離れた

私鉄の駅を利用していたので、帰路はいつもご一緒でした。


駅に着いたら「またね・・・」 と、S子さんは上りホーム、私は

下りホームへと分かれるのですが・・・

日中のホームには人影も少なくて、線路を挟んで向かい合って

座る二人は、目が合ってはお互いに笑いが込み上げて来て

困るのでした。


紙袋の中に顔を突っ込んで物を探すふりをして笑いを堪える

のですが、肩の震えが見えるので、お互いがますます可笑しく

なってしまうのでした。


S子さんは都内にあるお寺のお嬢さんで、もの静かでいつも

ニコニコと笑い顔を絶やさないかたでした。

後には、時々お互いの家を行ったり来たりのお付き合いに

なるのですが・・・

勤め人で親子三人の家で育った私にとって、初めてお訪ねした

時の驚きは今でも忘れては居りません。


正門を入ると、その脇に門のおじさんの家が有って、

本堂まで真っ直ぐな敷石道が通り、広いお庭はいつも綺麗に

掃き清められて居ました。


お庭には鐘楼が有って大晦日の夜には鐘を衝く人たちが並ぶことや

大広間の沢山な畳の数、お台所の広さなど・・・


S子さんには大学生の二人のお兄さんと妹さんがいらっしゃいました。

ご住職の奥様であるお母様はとても立派な風格をお持ちになった方で

全くの環境の違いで育った私へもとても温かく優しく接して下さいました。


そして、一足先に結婚をした私、その二年ほど後に結婚をしたS子さん

お互いに二児の母親になってからもお付き合いは続きました。


そう、一度だけ三浦海岸へ二人の子ども達を連れて海水浴に行った

ことがありました。


たびたびお会い出来なくなってからも共通の話題はつきなくて

長電話となって続いて居りました。


そして、平成七年一月、S子さんのご主人様が57歳の若さで

急逝されたのでした。

「あ・うん」の呼吸でお暮らしのご夫妻でしたので、エピソードが

沢山にありますが、次回に書かせて頂きたいと思います。

どうぞ、宜しくお願いします。


朝子の部屋


毎年、年賀はがきを50枚ほど作成しています。

差出人の所にEメールアドレスを入れてありますが、

メールを開通して以来、全く音沙汰なし・・・


携帯メールのメル友は、年々増えて居りますが、

PCのメル友は一向に増える見込みなしの状態でした。


先日、誕生祝いのPCメールが一通、入りました。

”お誕生日、おめでとうございます”・・・

思いがけなかったので、とても嬉しかったのですが、

誰からのメールなのか、さぁ、分かりません・・・

でも、文面からは確かに友人からだと思えるのですが。


取りあえず、返信をしました

”有難うございます、大変嬉しいのですが、どなた様でしょうか”


数分後、電話が鳴りました「ご免なさい、わたし・・・」

そして、30分程もお話をすることとなりました。


若い頃、一緒に活動をしたり、旅行へ行ったり、愉しく過ごした

お仲間も七十代を過ぎると、年に一度も会う機会がなくなってしまい、

年賀状には必ず ”今年こそ、お会いしましょう” の、ひと言が添えられて

実現するのは、二年に一度会えればいいほうなのです。


元気印で行動派だった方々も、歳には勝てず、足腰の故障に

悩んでいるこの頃です。

「後期高齢者」の言葉に抵抗があった人の半数が認めざるおえなく

なっている有様です。


PCメールから美しいお花の写真や、懐かしい思い出の写真を

送信して、お互いに「頭の体操」の役に立てればと思って居ります。

後に、お会いした時や、長電話での会話はつきないものです。


さぁ、今年も始まりましたね、

何人の方々との再会を果たせますかしら、とっても楽しみです。



朝子の部屋

朝子の部屋




謹んで新春のお慶びを

      申し上げます


佳きお年をお迎えになられたことと存じます

昨年中はお世話になりました

本年もどうぞ宜しくお願いします


平成二十四年 元旦



朝子の部屋



母(私)74才、娘(U子)50才、孫娘(Mチャン)26才

三人ともウシ年生まれです。


今年になってから、我が家に2・3か月ごとに集まって

主人と4人で、楽しくおしゃべりをして昼食をします。


他には、長男一家が近くに住んで居ります。

この頃は孫娘二人も大きくなって、一家4人で仲良く

暮らして居ります。


義理の娘(お嫁チャン)は、パートのかたわら、町内や

PTAとしてのお手伝いなど、とても忙しくなりました。


きっと、ストレスも溜まって居る事と思います。

時々は近県に住む姉妹(6人)で集まって気楽に過ごして

いる様で、お話を聞く度に安心して居ります。


娘のU子ちゃんは、おっとり、のんびりした子どもでしたが、

高校生になる頃には、しっかりして逞しくなりました。


結婚して母親になった頃「同じU子ちゃん?・・・」と

ビックリするほど、働き者でジッとして居ない人になって居ました


家庭と仕事の両立で頑張っていたU子ちゃんも頸椎を痛めて

整形外科へ通院するようになり、お仕事も減らしてからは

スピードも少しだけ落ちて余裕が出て来たみたいです。


今までは、歩いて20分程の所に住んで居りますが、自転車で

飛んで来て、飛んで帰って行きました。


48才で孫が出来た時、公園にMチャンを連れて行くと

「おバアちゃん?お母さん?」と聞かれた私でした。


それよりも若く、U子ちゃんは45才で孫が出来ました。

そして、私は70才前にひ孫を抱くことが出来たのでした。


午後2時前、Mチャンが幼稚園へA君(5才)を迎えに行き、

着替えをさせてから連れて来ます。

今、Mチャン家族は歩いて2・3分の所に住んでいます。


A君は、赤ちゃんの頃から男同士が良くて、ひーじいちゃん(主人)と

仲良しです。

もちろん、お父さんが大好きで言う事を聞かなくてお手上げの頃も

お父さんにだけは服従するのでした。


幼稚園に入って集団行動にも慣れて、今秋の初めての運動会では

大活躍でU子おばあちゃんは感激して涙が止まらなかったそうです。


やはり、5人の孫の運動会では、いつも嬉しくて泣けてしまう私でした

から、その気持ちはとっても良く解りました。


初めて内輪の話をさせて頂きましたが・・・

ご笑覧頂けましたら、大変にありがたく存じます。


只今、「源氏物語」を、ゆっくりと楽しんで居りますが

若い頃は、自分を女人の一人に置き換えて・・・

今、光の君の心境で読んでいる自分自身に気が付いて・・・

人は年齢を重ねると「性」を超越してしまうものなのでしょうか



朝子の部屋

朝子の部屋

朝子の部屋