初めて、友人と三人で横浜の高齢者ホームへ、

師をお訪ねしたのが、今年の二月の末でした。


その後、友人二人は隣県在住のため、近くに住む

私一人が「ジャズ・コンサート」へ、お招きされて、

懐かしいロミ山田さんの歌に、齢を忘れて興奮したのが

五月の末でした。


九月の中頃には「小椋 桂ライブ&トーク」へも・・・

久しぶりに素晴らしい肉声での「シクラメンのかほり」

「愛燦燦」他の熱唱に元気を頂いて・・・

そして共演者の琵琶の音色にも心癒されて・・・


そして、先日は文化祭の作品展を観に、親友をお誘いして

二人でお訪ねしました。


師も大変に喜んで「○○さん、○○さん」と、旧姓をよんでは

「あっ、Oさんでしたね」と、訂正なされて・・・

七十四才の二人も「○○チャン」と、名前を呼び合うのでした。


それから、師のお気持ちをお引受けしてから送られて来た

大切な品々も増えて・・・


師のお部屋にあった「古典文学全集」は、今は、私の部屋に

お嫁に来て居ります。

「お寂しくはないですか?」の、私の問いに

師は「館内の図書室には読み切れないほどの本があります」と

お笑いになっていらっしゃいました。


そして、私も図書館に通わずに、家でゆっくりと読書できることに

深く深く感謝している毎日です。


昨日も、読書好きな友人が遊びに来て、帰る時には

「お陰様で家の中でゆっくり読めていいね」と、重い本を

持って帰りました。


きっと、師も喜んで下さると思って居ります・・・

さぁ、私も以前から念願だった「源氏物語」与謝野晶子訳

から、ノート・鉛筆を側に置いて、愉しく頑張ります。



朝子の部屋



昨年の11月、町の洋品店の二代目ご主人があの世へ旅立たれました。

長い間、町内会の会計役をなさり、その後は老人会の世話役さんを

お元気でニコニコとなさっていらっしゃいました。


昭和22年頃、焼け跡で畑ばかりだった場所に、洋品店が出来ました。

学校の体操着や紅白のハチマキ・帽子や下着類などが取り揃えられて

遠くまで行かずに購入出来るようになりました。


その時は、初代のご夫妻が店主で、二代目は会社へお勤めだったと

思われますが、その後、二代目の奥さんであるS子さんがお店に

出られるようになり、親しくお話をする様になりました。


昭和63年6月、S子さんとお友達、主人と私の4人で夜行バスに乗って

尾瀬ヶ原へご一緒する事になりました。

そして、お天気に恵まれて、最高の尾瀬ヶ原の美しさに出会われたのでした。


当時S子さんは、まだ60才でお子さん達も独立され、ご主人様と交代で

お店をしながら、海外旅行へ出かけられたりしていましたが、

その半面で、自然がお好きで、お友達と近くの野山に行って居りましたので

大変に健脚でした。


そして、20数年を経ても、お会いする度に尾瀬へ行った時の事を懐かしんで

お話をするのでした。

そしてあの時、何度も尾瀬行きを経験していた主人と一緒だった事にも・・・

必ず「ご主人に宜しくね」と、言って下さるのでした。


先日、急にS子さんが82才でお亡くなりになりました、昨年お亡くなりに

なったご主人様の一周忌もまだでしたのに・・・

猛暑、猛暑でお互いに家の中で夏ごもり、やっと涼しくなってまいりました

矢先の事でした。


お通夜に伺った時、息子さんから「どうぞ、会って上げて下さい」と、

言って下さいまして、綺麗にお化粧をされて眠っているS子さんに

「いろいろお世話になりました、ありがとうございました」と、

お別れをさせて頂きました。


曼珠沙華 身ひとつ咲くや すっきりと

      見習うべきや 老いの行方も



朝子の部屋


朝子の部屋


平成10年8月25日 箱根駒ケ岳・神山・大涌谷へ(2)


再度、神山へ女神様へ会いに行く事になりました


この日は、お天気に恵まれず、駒ケ岳の山頂には霧雨が

降っていて肌寒いほどで、辺りはガスがひどくて、風が吹く度に

スッと引いて、足元が見えるだけなのでしたが・・・


その足元には、ハコネギク他の花々が一面に咲いて居りました

このシーンはとても非現実的で、神秘的な世界に迷い込んだ

様でした


先日来た時には、こちら側のお願いばかりで何も出来なくて、

大変に心残りでしたので、その日はお供えするお水を用意して

いたのですが、今日はお山へ登るのは無理かもしれないと

思っている内に、だんだんとガスが消えて行きました


小さな社でお守りを受けてから、ゆっくりと登り始めました


さすがに誰一人会わずに山頂に着いて、先ず、用意して来た

ボトルを開けて女神様にお供えをしました


それから、おにぎりを食べて休んでいると、大涌谷方面から

ひと組のご夫婦が登って来られました、4人でお話を交わして

写真を撮り合ってお別れをしました


お二人は駒ケ岳方面へ下り、私たちは大涌谷方面へ下山して

前回と同じ様に温泉に入って、心身ともに元気になって帰路に

つきました


後日、住所をお聞きして居りましたので、写真を送らせて頂きました

確か、東京渋谷にお住まいでお二人ともまだバリバリの現役で

大変に素敵なご夫妻でした


我が家のその頃は、足が不自由で寝たきりの母の介護を

定年退職した主人と二人で世話をして居りましたが

すぐ近くに住んでいる子育て中の娘と義理の娘(息子の連合い)が

母の介護を代わってくれましたので、二人で、時には友人たちと

日帰り山歩きを楽しんでいた頃の事でした。



朝子の部屋
  ハコネギク


朝子の部屋
  神 山


ひらひらと 珍蝶の舞う 登り道

    みちびかれつつ 山頂へ


山頂に 在します女神に 水供え

       女人満願 誓う我なり






平成10年7月7日 箱根駒ケ岳・神山・大涌谷へ


小田原駅前よりバスで「駒ケ岳ケーブル乗場」下車

(現在、此処のケーブルは廃止になっているそうです)

ケーブルにて駒ケ岳山頂へ着きますと、この場所は

お天気に恵まれると、とても素晴らしい眺めなのです


そこから、箱根霊山「神山」の山頂までゆっくり登りはじめて

しばらくすると、今まで街では見かけなかった美しい蝶が

現れました、ヒラヒラと舞う姿に誘導されながら山頂へ

着きました


神山の山頂は、木々に覆われて薄暗く、全く展望はなくて

如何にも古山なのでした。

その見事な日陰の場所で、おにぎりを食べてひと休みを

していた時、何もないと思っていた場所に、小さな雨ざらしの

石が建っているのに気が付きました


天照大神を祀ったもので、何故か隣に

”元祖 女性は太陽であった”と刻まれた

碑がありました


何組かの方々が登って来られましたが、何も景色が

見えないお山に、少しがっかりした様子で通り過ぎて

行ってしまいました


当時、私は61才でしたが、57才で体調を崩してしまい、

それでも続く母の介護で心身ともに疲れ果てて居りました

何も解らないまま「どうぞ、力を・・・」と

すがる思いで、お祈りをしました


それから、大涌谷方面への下山の途についたのでしたが

その途中で不思議な形の樹に出会ったのでした

後になって思えば、古山なのですから、珍しい形の樹が

あっても、ちっとも不思議ではないのですけれど・・・


そして、だんだんと硫黄の匂いが強くなってきて

大涌谷の地獄谷へ到着しました

温泉卵を食べて、お山を眺めて、見物をしてから

ロープウェイで強羅駅へ・・・

駅裏のお宿で温泉に入り、汗を流して帰路に付きました


次回(2)へ続きます



朝子の部屋
早朝なので、混んでは居りませんでした


朝子の部屋
拡大したのでボケましたが・・・


朝子の部屋
不思議な形の樹


朝子の部屋
大涌谷より

平成20年11月、ある晴れた日に隣町の少し高台にある

「○○動物公園」へ、リハビリを兼ねて出かけました。


その年の3月に大腸がんの開腹手術をしました。

消化器系の手術は、術後の断食期間が長いので、

どうしても体力消耗が激しくて、リハビリが必要と

なるのでした。


退院後、直ぐに普通の生活に戻ることが出来ましたが、

スーパーへの往復20分程度の運動では筋力回復には

程遠く、ずっと、軽いウォーキングはして居りました。


「○○動物公園」は、バスを降りて道路際をだいぶ歩いて

から、元気な時でも息切れする急勾配の坂道を登りきった

所に正面入口があるので、体力増進のためには、大変に

好都合な良いコースなのでした。


公園内は木々が多くて綺麗に秋色に染まって居ました。

春には急勾配の坂道は桜並木が続いて居て、お花見の

人たちで賑わう場所でもあります。


親子連れが何組かは居りましたが、平日だったせいもあって

静かで大変に落ち着けました。

見晴らしの良いベンチに腰を下ろしてお水を飲んでから、

おにぎりを食べました。


少しして50代くらいの自転車の女性が隣のベンチに座りました。

「自転車であの坂道を・・・」と、思って驚いていると、

笑顔を向けて下さって「直ぐ下に仕事で来たので登って

来ましたが、自転車は置いてくれば良かったぁ・・・」と、


その方は、最近引っ越して来たばかりなので、この辺の事は

まだよく分からないのでと、いろいろと質問をなさいました。

娘の頃に、この辺りに友人を訪ねて何度も来ていたので、

お答えしながら30分ほどお話をしてからお別れをしました。


   ベンチにて 景色眺めて ひと休み

   「お一人ですか?」と 声かけられる


   高齢の われに優しい 笑顔向く

       一期一会の 感謝のなごみ



朝子の部屋






平成13年10月20日の朝、NHK朝ドラを見ながら、一人で

朝食後、ゆったりのんびりしていた時でした。

フッと思いが込み上げてきて「これから、仙台へ行こう!」と、

立ち上がりました。

ちょうど、主人は昨日から友人と旅行中で留守だったのでした。


ここ数年、個人的自由時間を持てなかったため、以前から

従妹の住んでいる仙台へ行く事を願っていたのでした。

取りあえず、食器を片づけて、洗濯物を家の中に入れて、

身支度をして、家を飛び出しました。


途中で手土産を買ってから、最寄りの駅で東京発09時40分の

新幹線の切符を買い求めて、電車に飛び乗りました。

そして、東京駅に下車してからも、新幹線のホームまで

走ったのでした。


新幹線のホームには、直ぐに乗車する人たちの列が出来て

いました。

急いで列に並んでから、携帯電話で近所に住んでいる息子宅へ

掛けましたら、お嫁さんがとても驚いて居りました。


2時間20分程の乗車時間でしたが「一人旅」の幕は上がったのでした。


仙台駅には、12時頃着きました。駅の案内所で住所書きを見せて

駅前のバス停を教えて貰って、だいぶ時間があるので、ホテルの

予約を済ませてから、バスを待つことになりました。


そして、空気が澄んでいて大変に心地良いことに気が付きました。

「思い切って行動してよかった・・・」と、あらためて思いました。


いよいよバスの時間が迫って来た時、一人の女性が現われました。

「どちらからですか?」と、声をかけて下さいました。

「横浜から今着いたばかりです、○○という所まで行くのですが・・・」

「私もそこまで乗って行きますので・・・」と、云われました。


目的のバス停で降りて、彼の人から従妹の家へ行く道順を教えて

頂いてから、感謝を述べてお別れをしました。

お陰様で迷わずに訪ねる家に着く事が出来ました。


急に出かけて来た故に、従妹は友人たちとお出かけをして留守でしたが

ご主人と娘さんが迎えて下さいました。

30分ほどしてから、娘さんはお仕事に行き、私は仙台の街を散策する

ために、一旦お別れをする事にしました。


無口のご主人がバス停まで送って下さいましたが、何か悪いので

帰って頂きました。

そして、一人でバスを待って居りました。

誰も通りかからず静かな時間でした。


その内に、一人のご老人が向うから歩いて来て、時刻表を見てから

「中々来ないね」と・・・

「仙台駅まで行きたいのですけれど・・・」と、思い切って言葉に出しましたら、

「じゃあ、地下鉄の駅まで歩きますか?」「お願いします」

とても、気さくな方でお話をしながら地下鉄の駅まで案内をして頂く事に

なりました。


ご老人はお齢は78歳(その時、私は63歳・・・まだ、若いつもりで居りました)

戦争前に東京の大井町に居た事があると云われ、話題は弾みました。

そして、地下鉄の駅に着きまして、ご老人は仙台駅方面とは反対側の

ホームとのことで、お礼を云ってお別れをして歩き出しましたら「送りますよ」

と、わざわざホームまで来て下さいました。

直ぐに電車が入って来ました、

ご老人は、ニコニコ笑って手を振って見送って下さいました。


あれから、10年の月日が経ちました。

もう、お顔は定かではありませんが、私の中では、今もご老人が笑って手を

振って下さって居るのです。


仙台駅前より市内観光バス「るーぷる仙台」に、乗って、「瑞鳳殿」

「青葉城跡」をゆっくり見物してから、ホテル「仙台プラザ」に着きました。

そして、従妹宅へ電話をして明日は会える事になるのでした。


   うす暗き 堂に居並ぶ 五百羅漢

         面影見つけ 懐かしむわれ


   御面に 見覚えあるような 錯覚に

        陥るわれに 笑み給うなり



朝子の部屋









人に出会う、本に出会う、風景に出会う・・・


先日、病院へ大腸内視鏡検査を受けるために行きました。

朝9時から午後1時まで大量の液体を飲んで、トイレ通いをする

作業を終えて、点滴を受けながら検査を終了しました。


病院に寄っては、自宅でこの作業を済ませてから、病院で検査を

受ける場合もあります。

私の場合は自宅にて一人で、大量の液体を飲み干すのは

何回か試みましたが、無理な事でした。


ところが、同室にて検査前の何時間かを共有するお仲間と一緒に

いろいろとお話をしながら、苦もなくこの作業を終える事が出来たの

でした。

そして、検査後に順番に点滴も済んでお互いに「お気をつけて・・・」

「お元気で・・・」の、言葉を掛け合ってお別れをしました。


平成20年、検便検査の結果、精密検査をうけることになりました。

初めての内視鏡検査の経験でしたので、大量の液体を前にして

飲める自信がなくて、とても不安でしたが、同室になった5人の

方々とご一緒に、無事にこの作業を終える事が出来ました。


平成21年、手術後一年目、4人の方々と・・・無事終了


平成22年、三回目の検査、4人の方々と・・・無事終了


そして、今年、四回目の検査も4人の方々とご一緒に無事終了

する事が出来ました。


その日まで、見ず知らずの方々でしたのに、何時間かの共有時間の

中でお話をしながら、大量の液体を飲んで、笑いながらのトイレ通いが

出来て、本当に良かったと、感謝して居ります。


中には、心配で暗い気持ちで同席している人も居りましたが、経験者の

話に少しは気が楽になって、後に例え悪い結果が出たとしても

頑張って処置に応じる力になったのでは・・・と、思われます。


検査の日 一期一会の 集いあり

      又ねと云えず ただ笑顔



朝子の部屋



昭和22年頃、NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が

思い出されてまいりました。


主題歌「とんがり帽子」 菊田一夫 作詞 古関裕而 作曲

この歌と共に・・・


緑の丘の 赤い屋根

とんがり帽子の 時計台

鐘が鳴ります キンコンカン

メエメエ小やぎも 啼いてます

風がそよそよ 丘の上

黄色いお窓は おいらの家よ


とてもカラフルでメルヘンチックな素敵な詩ですが・・・


「父さん 母さん 居ないけど 丘のあの窓 おいらの家よ


「昨日にまさる 今日よりも 明日はもっとしあわせに」


悲しいけれど、希望に満ちた言葉が綴られています。


心ならずも「浮浪児」と呼ばれていた大勢の戦争孤児が

健気に生きて行くお話・・・


当時 9才だった少女が涙しながらラジオの前で

聞き入ったものでした。


そして今、 その方々も、涙して聞いていた側も

もうすぐ 八十代を迎えようとしているのです。


朝子の部屋


皆々様には、猛暑にも負けずお元気で

ご活躍なさっているご様子で、何よりと

存じます。


皆様のブログを拝見して、若くて元気だった頃の

事を、懐かしく思い返して居ります


もう一度行きたかった場所、思い出の木々や花々の姿に

目を閉じて、時空を超えて、偲んでます。


そして、現実はと申しますと、日中は家の中で過ごして

夕飯後(午後6時頃)歩いて10分程のスーパーへ

買物に行くのを日課にして居ります。


夏ごもりの時間は、読書にしばしの暑さを忘れたり、

漢字パズルを楽しんだりして過ごしています。


この夏に、読んだ本の題名ををあげさせて頂きますと、

テレビドラマで見た、角田 光代作「八日目の蝉」の原作を

読んで改めて深い感動を・・・


桐野 夏生作「玉 蘭」


野沢 尚作「破線のマリス」を、丁寧に再読

野沢 尚作「深 紅」


東野 圭吾作「分 身」

東野 圭吾作「白夜行」只今、再読中


そして、今一番楽しみにしている小説「巫(かんなぎ)」です

ご迷惑になるかも知れないので、詳しい事はお知らせ出来ませんが、

ブログでお知り合いになった方の作品です。

美しい日本、優しい人々の思いやりの中でのお話です。


それから、亡き母の姉上になる東京の伯母様がこの六月で

満100歳になりました。

今も押し車を押して、お元気に一人で歩いていらっしゃいます。

電話の向こうの声音も力強くてハキハキと・・・聞こえて来ます。

少しでもあやかりたいと願う今日この頃です。


皆様も、どうぞ、お気を付けてお過ごし下さいませ。


涼しくなるまでの間の辛抱位しないといけませんね。


朝子の部屋
夏つばきの花弁のフリル、癒されて居ります



朝子の部屋
我が家の物干し場に咲きました、孔雀サボテンです、

今夏は、見事に10花以上も・・・







現在86才の大先輩とお話をしている内に、私にも

お手伝いが出来るのではと思われましたので

お引受けすることになりました。


80才までお一人で東京に住まわれて居たSさんは

安心・安全を考えられて、故郷の横浜を見渡せる位置に

建てられたホームへ移られました。


在職中には、年賀状だけのお付き合いでしたが、退職なされてからは

時々、東京のお住いへお訪ねをする様なご縁になっておりました。


ある年の「母の日」には、真っ赤なカーネーションの鉢植えを

お持ちした事もありました。

「一度も貰えなかった・・・」と、笑いながら言っていらしたSさんへ

長い間の教師としての全うなさった事に感謝を込めて・・・生徒代表?


そして、2・3年前にお姉さまが亡くなった時に、お姉さまにはお子さんが

居なかったので、80才を過ぎたSさんがお姉さま宅のお片付けをなさった

との事でした。


そして、頼りにして居らした実家の弟さんも昨年お亡くなりになりました。


弟さんのお子さんは娘さんだけでした。

それぞれが嫁いでいるので、ご縁も遠くなり、当世、核家族時代ですから

個人が自立して幸せに生きて行くのが一番の道ですものね・・・と。


ここに居れば、何でもホームの方々がしてくれるので、後々の心配は

ないのですが、自分で出来る間に、整理・整頓を・・・願っていらっしゃるのでした。


一人っ子の私は両親との二世帯生活でしたが、父が逝った後、

母の生活用品を整理した経験がありました。


そして、世帯が古いほど、使わないのに捨てられない物が沢山にある事も

解っておりました。

もうすぐ後期高齢者のお仲間入りの私には他人事ではないのでした。


我が家には20代の孫夫婦や40代半ばの息子夫婦がそれぞれ別世帯です。

その上に7人姉妹の真ん中が我が家のお嫁さんなのでした。


その後、Sさんから第一便目の宅急便が届きました。

中には、真新しい物からSさんの生活用品だったお道具類が入って居りました。

「真に申し訳ないです、失礼をお許し下さいね」と、お手紙が添えられて・・・


我が家の部屋の片隅にスタジオ?らしき場所を拵えて、主人が品々を

大きなカメラで撮影をしてくれて、私がPCで2Lの写真を15枚作成しました。


早速、近くに住んでいる孫が洋皿を頂戴して喜んでいた事など、お知らせの

手紙を添えて、ミニアルバムに入れた写真をSさんへ送りました。


Sさんには大変に喜んで頂けました・・・今回はこの辺で終わります。


家にもしまってある和風の食器や花瓶・絵皿・大皿もカタログを作成して

義理の娘さん達とのお見合いを計画中です。

勿論、仲人役は我が家のお嫁さんです。


朝子の部屋

まだ封がしてあります、解くのが惜しいですが

又楽しみでもあります。芭蕉・去来・蕪村・一茶

観賞させて頂きます。


朝子の部屋

子どもの頃が・・・懐かしいですね。