最近読んだ本67 | 城館のフィールドワーク

城館のフィールドワーク

全国にゴマンとあるという城館を、徒然なるままに紹介する探訪記。ときどき浮気して古墳も紹介。居住地の福島県が中心です。

最近読んだのはこの3冊。

大山誠一『聖徳太子と日本人 天皇制とともに生まれた〈聖徳太子〉像』(角川ソフィア文庫 2005年)は、聖徳太子虚構説の主唱者である著者が、なぜそれが必要とされたかを論じた上で、天皇制の特質や成立にまで言及した意欲作。古代国家の成立期に、理想の皇帝像として聖徳太子が造形され、後にそれが肥大化していったと説く。大筋では確かにその通りだとは思うのだが、何かモヤモヤとした読後感が残る。理想の皇帝像を過去の人物に仮託するのであれば、実際に天皇(大王)として即位した人物こそが相応しいのではないか。まだまだ解明されていない点があるのかも。

金子拓『長篠合戦 鉄砲戦の虚像と実像』(中公新書 2023年)は、本書のあとがきによれば、著者による「長篠合戦研究の総決算」とのこと。同合戦が、どのように語られ、認識されてきたのかを、多くの史料を取り上げて検証する。合戦に参加した武将、そしてその子孫たちが合戦を回顧するとき、それぞれの立場の違いが、語られる合戦像の相違となって現れる。それらを見極めることによって得られた長篠合戦の実像は、一般的な戦国合戦と大差のない戦いとの印象を受けた。武田方の敗因は、有海原に軍勢を前進させた勝頼の判断ミスにあったということだろうか。

東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』(講談社選書メチエ 2010年)は、全3冊からなる選書日本中世史の1冊ではあるのだが、日本中世史というよりは、思想や哲学の本といった印象。歴史学の可能性を感じさせてくれる一方で、非才の身では理解の及ばないところも少なくない。公共の概念を応用することで、公(官)と私(民)の関係、自由の意味、自立や排除の問題などにも、多様な捉え方ができそうだ。古代から近代までの歴史を一ヵ所で切るとして、それが南北朝から戦国期までの幅があるとしても、秀吉による天下統一が画期的だったのではないかと愚考する。