岡城 | 城館のフィールドワーク

城館のフィールドワーク

全国にゴマンとあるという城館を、徒然なるままに紹介する探訪記。ときどき浮気して古墳も紹介。居住地の福島県が中心です。

この土日に、武蔵東部の城館と古墳をいくつか訪問。25日の土曜にまず訪ねたのは、埼玉県朝霞市の岡城。地元では岡の城山とも。太田道灌やその子孫との関係が説かれているが、確かなことはわからないようだ。

 

近接する朝霞市博物館に展示の周辺地形の模型。赤ランプの地点が中世の遺跡。模型の中央やや上、黒目川が大きく屈曲する場所の左上あたり。西から東へと迫り出した舌状台地の先端に、岡城が取り立てられている。ちなみに、同博物館には岡城に関する展示は見当たらず、どうしたことか中世の展示もないようだ。

 

岡城の跡地は城山公園となっている。写真はその案内板。

 

二の郭と三の郭を画する堀。かなり埋没しているようだ。左手が二の郭で、右手が三の郭。奥には二の郭西辺の張り出し部の北壁が見える。このクランク部分に南北方向の木橋が架かっていたと思う。

 

二の郭西辺の張り出し部を曲輪内から見たところ。この張り出し部の北辺、写真だと右手に、先ほど説明した木橋が架かっていたと思う。つまりこの張り出し部は、外枡形のような形状だったのだろう。

 

二の郭の東辺にも張り出し部があり、その北辺から一の郭西辺の張り出し部を見たところ。つまり両曲輪は、クランク状に屈曲した横堀で画されているということ。この部分に南北方向の木橋が架かっていたのだろう。先ほど説明した三の郭と二の郭の関係とは、ちょうど反転する構造である。

 

二の郭と一の郭を画する堀。左手が二の郭で、右手が一の郭。この部分の一の郭は南へ張り出した櫓台となっており、先ほど説明した木橋に横矢が掛かる構造。奥には一の郭西辺の張り出し部の南壁が見え、この付近に、櫓台から横矢が掛かった木橋が架かっていたと思う。

 

その木橋が架かっていたであろう一の郭の虎口部分。低い土塁上に設置された擬木の柵が、写真の中央奥で少し下がっている。この部分で土塁が途切れていたのだろう。となれば虎口である。一の郭の西辺には土塁の痕跡が認められるが、いずれも写真に見られるように低く、引き崩されていると予想できる。

 

南東から見た岡城。黒目川が大きく屈曲するところから望む。

 

横矢掛かりと連動した虎口や櫓台が見られ、とても洗練された縄張と評価できる。現状では、曲輪を画する堀が浅く、曲輪縁辺の土塁も低い。廃城に伴い破却されているのではないかと愚考する。