占星術というと「ただの占いで怪しい」という風潮ですが、実は古代、最も優秀な人は占星術を研究したと言われています。
古代でなくても、たとえば万有引力を発見したアイザック・ニュートンは、実はオカルト的な研究を最も重視していたのです。
たとえばウィキペディアにはこうあります。
科学者という用語や概念が登場してからは、「ニュートンは科学者」とも評されるようになり、自然科学者らによってニュートンの自然科学関連の業績ばかりが恣意的に抽出され、他の活動は無視・隠蔽する形でニュートン像が伝えられてきた。だが実際には、ニュートンは現在ではオカルト研究に分類される分野の著作も多く著しており、年代学・錬金術・聖書解釈(特に黙示録)についても熱心に研究していたのである。
ニュートン自身は、現代人が言うところの"科学的"研究の成果よりも、むしろ古代の神秘的な英知の再発見のほうが重要だと考えていた。これをふまえると、世界を機械論的に考察することを「ニュートン的世界観」と表現することには語弊がある、と指摘する人もいる。たとえば、1942年にニュートンの錬金術研究書を購入し、検討した経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代 (age of reason) の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言した。
量子力学の最先端は仏教と言っていることが驚くほど似ていたりしていて、実は学問の最先端は、科学と宗教の境目がなくなりつつあります。
古代の叡智は、現代最先端に驚くほど一致する例が多いのです。
そういう意味で、占星術は古代の叡智の一つだと思います。
興味ある方は↓を読まれてはどうでしょうか。
読めば「たかが占い」とは言えなくなるでしょう。
それでは本題に入りたいと思います。
西洋占星術には「年齢域」というものがあります。
基本的には生まれた瞬間のホロスコープの全体図の影響が最も強いのですが、その年齢年齢で、それなりに強く影響する星が違ってきます。
その年齢域を少年サッカーと関連させると、この頃に影響が強いのは水星です。
水星が表す象意として、非常におもしろい表現をしている方がいました。
水星があらわすのは心や家の外の世界にある、
感情を伴わないバリエーション。
たくさんいる同級生とか、
好き嫌い関係なくやらされる5教科とかです。
つまりは技術習得です。
好き嫌いは関係なしに、とにかく技術をつけるのです。
私はこういった点から、少年期にはひたすら技術をつけることを大事にしています。
「この技術は試合では使わない」とかそういう観点は、もっと上の年齢域で必要になる能力です。
こういう「取捨選択」的な、いらないものをそぎ落とす能力を発展させるのは火星です。
そして火星の年齢域は35歳~45歳です。
私としては興味深いことがあります。
というのは、昔は20歳前後で子どもがいるのが普通でした。
ということは、親が35歳~45歳の火星の年齢域のとき、子どもは15歳~25歳くらいです。
15歳~45歳の年齢域は金星です。
そして占いを好きな方はご存じのように、金星と火星は恋愛のメスとオスの星です。つまり、親と子の興味が一致しているのです。
ですが現代は、人類史上最も晩婚化が進んだ時代です。
30歳くらいで初めての子どもがいるのが普通になりました。
ということは親の年齢域が火星のときに、子どもの年齢域は水星なのです。
そして火星と水星は、特に親和性がある星ではありません。
食い違いがでる可能性がけっこうあります。
火星域にある親としては、無駄をそぎ落としてやってほしいのです。
ですが水星期は、とにかく技術をつけるときなのです。
九九や通分、約分的なことを、とにかく覚えています。
そういう時期なのに「とにかく約分が大事、ほかは大して大事ではない」とか、火星的な価値判断を入れる傾向が出てきてしまう気がするのです。
火星的な判断だと「サッカーはチームスポーツなんだから、もっと周りを考えてプレーしろ!」とかを過度に主張することになったりします。
ですが、占星術的にいえば、小学年代は「九九的な技術」を覚えるときなのです。
占星術的には、小学生年代は淡々と、多彩な技術の反復練習をすればいいということになります。
私はそういった意味で、↓のような動画を何度も挙げさせていただいています。
占星術を判断の基準にしていると書くと、一気に信用がなくなりそうです(笑)。
ですが私は占星術的判断を、むしろ世間で言われていることよりも大事にしています。
そういった判断基準でいうと、やはり小学生では「いろいろな経験」なのです。
ドリブルを徹底的にやったらパスも徹底的にやって、とにかくすべてをやります。
私はサッカーにおいて「判断」が最も大事だと思っています。
ですが、それは完成されたサッカー選手の話です。
私からすると小学生年代では、判断の大切さは、技術習得の下になります。
なので、ある子どもがやたらドリブルをしたがっていたら、我慢して何も言わないようにします。
別にゴール前でドリブルして取られて失点しても、私にとってはそこまで大事なことではないのです。
特に子どもを叱ることもしません。
そもそも「勝ち負け」という基準は、小学生には最も大事なものではないのです。
だって子どもって、負けて悔しくても、5分後にはケロっとしているでしょう。
「いや、そんなことはない」というのは、私からすると、大人が「負けて悔しがれ」ということを子どもに投影しているだけだと思います。
素のままにさせれば、子どもは負けたってどうってことないのです。
ですが大人は違います。特に火星域の35歳~45歳の大人はそうです。
その年齢域では勝ち負けに感情的になるということは、それがその年齢域での学びだからです。
それは自身が体験すればいいことであり、子どもにはやはり、技術をつけさせることでいいと私は思っています。