前回コメントにて、小学生の練習時間について質問をいただきました。
もちろん私が答えを知っているわけではないのですが、非常に私自身興味を持っている題材ですので、以前に書いたことがあるのですが、改めて考えてみたいと思います。
たとえば「練習しすぎると身長が伸びない」と言われます。
ですが私はこれは違うと思っています。
身長は遺伝的要素が大きいでしょう。
練習しすぎて身長が伸びないのであれば、練習したあとに、十分な栄養を摂らないことが原因ではないかと思います。
子どもは活動レベルを維持するだけではなくて、成長のために余分にエネルギーを必要としています。
その上、激しい練習をするのですから、体重当たりにすれば、かなりのエネルギー摂取が必要となります。
それなのにエネルギーを十分に摂らなければ、栄養不足の状態ということになってしまいます。それでは身長も伸びないでしょう。
現代は、こういった栄養学のアドバイスはしかるべき機関でもらえると思います。
コーチをやっていて思いますし、よくコーチ仲間からも聞くのは「小学生までで技術を徹底的につけることがスタートラインで、中学以降は正直その子のフィジカルレベルがどこまで行くかどうか」ということです。
こればかりはわかりません。
ですが、栄養的な対策をしっかりしておけば、その子の持っているポテンシャルの最大値に近いところまでは、持って行ってあげることができるかもしれません。
そう思うと、ある程度しっかり技術をつけられるチームであれば大同小異であって、最も大事なのは各ご家庭での栄養摂取かもしれないと思うことがあります。
ちなみに私は、現在一般的に言われている栄養学とは違った考え方を持っています。
簡単にいえば「タンパク質とビタミン重視」です。
簡単に書けば、炭水化物と脂肪は燃料(炭水化物はすぐ使う燃料、脂肪は貯蔵された燃料)、たんぱく質は身体の部品、ビタミンはそれぞれがうまく働くための潤滑油のようなイメージです。
子どもは身体を大きくする必要があります。
ということは、しっかりと身体の部品であるたんぱく質を摂取する必要があります。
それと、いくらたんぱく質を摂取しても、ビタミンをしっかり摂らないと、うまく働きません。
こういった栄養学は、故三石巌博士が提唱しています。
興味ある方は一読されてはどうでしょうか。お勧めは↓です。
それでは、栄養は前提として、いろいろ小学生の練習量について考えてみたいと思います。
ヨーロッパは、練習時間も活動も短いのが特徴です。
たとえばイタリアです。
休息こそ最高の練習である――
これはイタリアの育成年代を取材する際によく聞かれる言葉である。「休日返上」や「朝練」が推奨されがちな日本のスポーツ指導とは真逆の考え方を採るイタリアでは、1回90分の平日練習が2日、週末にホーム&アウェイの方式のリーグ戦が1日、つまり“蹴球3日”が一般的な街クラブの活動の基本だ。“蹴球6日”で“朝練”も“居残り特訓”もいとわない多くの日本の部活チームと比較すれば、イタリアの育成の活動ペースは異なる時間軸を持つ別世界の現象に見えるかもしれない。
そして、休みの多さは一般の街クラブに限ったことではない。アントニオ・ディ・ナターレ(元イタリア代表)やビンチェンツォ・モンテッラ(元イタリア代表)、ダニエレ・ルガーニ(現ユベントス/イタリア代表)、ロレンツォ・トネッリ(現ナポリ)、リッカルド・サポナーラ(現フィオレンティーナ)らを輩出した育成の名門エンポリでは、例えばU-17チームの活動ペースは“蹴球4日”。今年5月に行われたU-17欧州選手権決勝・オランダ戦で同点ゴールを挙げたサムエレ・リッチ(現U-18イタリア代表)もここエンポリのU-17チームに所属し、今季プリマベーラ(U-19)への昇格が決まった選手だ。
イタリアでは、ジュニアは週3回の活動、ユースでも週4回の活動が一般的とのことです。
逆にアルゼンチンは、かなり練習をしているようです。
19分25秒あたりからです。
この話を総合すると、アルゼンチンのサッカー少年は、普通のサッカークラブとバビーフットボール(フットサルみたいなもの)のクラブ、両方に所属していて、平日それぞれ2回づつ練習があるとのことです。
夕方4時~6時はサッカークラブ、夜7時からはバビーフットボールのクラブ、ということらしいです。
しかも週末はサッカークラブもバビーフットボールも両方公式戦があるとのことです。
ということは、週に6回、チームとして活動していることになります。
実はアルゼンチンのサッカー少年は、日本のサッカー少年と近い環境だと思います。
サッカーに熱意がある日本のサッカー少年は、サッカークラブとサッカースクールを掛け持ちしてやっている子がほとんどだと思います。そういった日本の熱心なサッカー少年も、週6回くらいチームやスクールとして活動しているのではないでしょうか。
そして日本からもアルゼンチンからも、素晴らしい選手が続々輩出されていますので、結果的にはこれだけたくさんやっても、練習のやりすぎではないでしょう。
ただ、私は結局「コーチがどういう雰囲気を作れるか」だと思うのです。
それが↓の記事でした。
一番「ショー」を楽しんでいるのは、もしかしたら彼ら自身なのかもしれない。
3人の細かい役割分担は(恐らく)決められておらず、それぞれが自由に動き回り、時に練習を止めてアドバイスをし、時に子どもたちと戯れ合い、時に自らプレーをする。
そうかと思えば、一人のコーチが観客席にいる保護者の靴を奪い、「こっちは仕事してるんだ!しっかり見てよ!」と冗談を言う。観客席は一瞬で笑いに包まれる。
その間に横に座っていたおじいちゃんから「マテ茶」をもらい、満足げに飲み干した。「笑い」と「マテ茶」は、アルゼンチン人にはなくてはならないものなのだ。
そうこうしている間に、コートでは練習が続けられ、ゴールとともに子どもたちの歓声と、コーチの賞賛の声が響いている。また別のコーチは、奥にある売店の中からモップを取り出して、コートの一部を熱心に磨いていた。
その数分後、彼が売店からお菓子を持ってきて保護者に配り始めた時、僕は笑いを抑えることが出来なかった。保護者の表情を見ると、いつも通りの出来事なのかもしれない。そうだ、「マテ茶」と「甘いお菓子」はセットだった。
赤いゼッケンのチームが試合に勝っていると、「インデペンディエンテ」(ラシンのライバル)のファンのコーチが、「赤いチームはいつも青いチームに勝つな!」と、お父さんを茶化しに来る。
もちろん「ラシン」のチームカラーは水色で、「インデペンディエンテ」は赤色だ。ちょうどその頃、「ラシン」がカップ戦を戦っていて、売店のテレビでは絶賛放送中だった。
例のお父さんは、テレビを見るか、息子を見るか…究極の選択を迫られた結果、最終的には息子と2人でテレビを見つめていた。アルゼンチン人の息子は、父の愛するチームを愛するのだ。
傍から見れば、全く秩序のない練習のように思えたかもしれない。しかし、決して縛られず、自由にプレーする子どもたちは、その中でしっかりと秩序を保っている。
プレーをする選手達は、あの狭い、ツルツル滑るコートでボールを回し、ワンタッチプレーで相手を外し、豪快なシュートでゴールを決める。驚くほど質が高かった。
練習の途中、コーチが子どもたちを一箇所に集める。日本の子どもたちの様にすぐには静かにならない。
けど、コーチは決して注意するようなことはせず、自然といつの間にか視線がコーチに向き、静かに話を聞いている。理想の姿だなと、僕は思った。子どもは正直で、面白くない人の話を聞くことは出来ないから。
日本人が圧倒的にアルゼンチン人に劣っていることがある。アルゼンチン人は、本当に人前で話すのがうまいのだ。僕はこれまで、幾度となくアルゼンチン人の話す姿に感動を覚えた。
幸福をもたらす練習
幸せかどうか。育成年代のサッカーに関して、僕はそれに尽きると思っている。最近日本では、親が練習を見に行くべきか試合を見に行くべきか、そんな議論がされているという。
親が口うるさく言うために、あえて試合会場に観客席を作らない、そういう対処をする施設もあると聞いた。
でも、あの「ショー」を見た今、それは間違いであると断言できる。誰よりも楽しむコーチがいて、その元で楽しそうに、かつ真剣にサッカーをする子どもたちがいて、それを見る幸せそうな家族がいる。これ以外の正解はないのではないだろうか。どう見ても、あの空間に居た誰もが幸せを感じでいた。
もちろん、僕もそのうちの一人である。これは個人的な意見なのかもしれない。でも、あれほどまでに感情を動かされた練習は見たことがなかった。
少なくともあの場にいた全ての人たちは、日本で起きているような議論は絶対に起きない。「視線が動く」こと、そして「感情が動く」こと。僕もいつか「ショーのような」トレーニングができる指導者になりたいと、心からそう思う。
↑のようなものを読むと、アルゼンチン人がめちゃくちゃ練習しているのに、飢えた野生動物のようにプレーするのは、コーチがうまく子どもたちを乗せているのだと思います。
ただ私が思うのは、アルゼンチン人は勝ち負けに熱狂するのでしょうが、日本人は意外にそうではないと思います。
なにか「道」みたいなものに熱中する本質的な傾向があると思います。
私はコーチをやっていて一時期、ヨーロッパ流の「サッカーをプレーすることでしかサッカーがうまくならない」という理論でやったことがあります。
ですが(私のやり方がまずいのかもしれないですが)全然子どもたちがうまくならないし、楽しそうではないのです。
それで、コーンドリブルとかのドリル系をやると子どもたちは熱中するのです。
私はそれを見て、西洋人と日本人は根本的に違うのだと思ったのです。
つまり、やる気のある日本人の子どもは、けっこう「型稽古」的なことをやりたがる傾向にあると私は思っています。
淡々とある動作を突き詰めるようなことが好きな感じです。
学者的な感じの選手が、日本人ではトップになっている気がしています。
三笘薫、久保建英、富安健洋、守田英正、遠藤航などは「求道者」的な感じを受けます。
つまり、それなりにたくさん練習しても、私はいいと思っています。
ただ、最も大事なのは、その子の奥底から発せられるような「ああ、本当にサッカーって楽しいな」という何かを引き出すことだと思います。
そういう何かを引き出せれば、週6回でも練習した方がいいと思います。
ただ、私は「毎日やる」ということは、避けた方がいいかなと思っています。
根拠はユダヤ教聖典『タルムード』の安息日の考え方です。
第4戒 安息日を守り、これを聖別せよ
週の7日目を安息日として、これを忠実に守り、すべての労働を避けなければなりません。
働かなくてもよい(休んでよい)のではなく、働いてはいけない(休まなければならない)のです。
ユダヤ人は、人口では1000万人くらいなのにも関わらず、自然科学系のノーベル賞受賞者は、割合としては人種の20%を超えます。
これは驚異的です。
そしてユダヤ人は、とにかく週のうち1日は休むということです。
私自身、医学部時代にこの教えを実践していました。試験前でどんなにきつくても、必ず週に1日は1分も勉強しない時間を作っていました。
すると成績が一ランクあがりました。
私はこの教えは、本質的だと思っています。
もしおもしろいなと思った方は、ぜひ週のうち1日は「サッカー完全休み」を作ってみてはどうでしょうか。
その日は意図的にサッカー関係は除外します。
きっとお子さんに、めちゃくちゃいい変化が出てくると思います。