学問と女性。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 愛読しているドングリパパさんのブログで、興味深いことが書かれていました。

 

 

 いろいろ考えさせられました。

 私はその中で、女性と理系ということについて、日本はよくないのかなと思いました。

 というのは、日本の女性は理系を選ぶ割合が低すぎるのです。

 

 

 たとえば、私が卒業した北京大学医学部の教授は、男性よりも女性が多いです。

 医学部生も男女半々くらいです。

 しかも、私が聞いた話はもっと衝撃的でした。真偽はわかりませんが、ありえそうな話です。

 中国では、日本の共通テスト(旧センター試験)に当たる試験を省(日本でいえば県)ごとに実施します。

 そこで成績上位者から、希望の大学に入学できます。

 中国では、北京大学と清華大学がトップ大学なので、各省の最上位の成績を取った学生は、だいたいがこのどちらかの大学に入学します。

 ですが毎年のように、女性が最上位を占めます。

 このままでは北京大学と清華大学は女性ばかりになってしまいます。

 それでもいいのかもしれませんが、それはまずいと判断した国は、男女比が半々になるようにしたとのことです。

 繰り返しますが、真偽はわかりません。

 ですが実際、北京大学の中国人同級生は、女子学生の方が男子学生より試験の点数は総じて高かったように思います。

 

 対して日本はどうでしょうか。

 ちょっと古いですが、2022年の東大合格者出身高校ランキングです。

 

https://igakubu-note.jp/21885#html

 

 1位の開成、2位の筑駒、3位の灘、4位の聖光学園まで、なんとすべて男子校です。

 こうやって見ると、私からすると、日本は体制としておかしいのではないかと思いました。

 中国での経験からして、おそらく勉強すれば女性の方ができます。

 ですが、日本では東大を狙うような女子校自体が少ないのです。

 つまり、世界レベルで活躍できる女性を育てるという意識が少ないのではないかなと思います。

 

 なぜかなと考えると、日本ではまだまだ昔ながらの男女感覚が残っているような気がします。

 中国でそれを私は実感しました。

 というのは、中国人は本当に男女差別的なものがないのです。

 農村部に行けばあるのかもしれませんが、北京ではまったく感じませんでした。

 女性も男性も同じように主張します。

 対して日本では、未だに「女性は感情的でよくない」的なことを言う人がいます。

 ですがそれはステレオタイプだと思います。中国人女性を見ていて、私はそう思いました。

 男性で感情的な人もいますし、人それぞれだと思います。

 

 勉強させれば、おそらく男性より女性の方ができるのに、その女性の勉学の機会を作っていないのが、日本凋落の一因だと私は思っています。

 未だに日本を「世界で最も科学技術が進んだ国」と思っている人がいますが、もうそれは幻想でしょう。

 たとえば「トップ1%論文」「トップ10%論文」という指標があります。

 簡単に書けば、世界最先端の論文の数です。

 それは現在、↓のようになっています。

 

国・地域別の注目度高い論文数順位(2019~21年、左はトップ10%論文、右はトップ1%論文)(科学技術・学術政策研究所提供)

 

 私はこういう指標を見ると、未だにアメリカ信仰をしている日本は、将来危ない気がしています。

 いろいろなニュースを読むと、実はもうアメリカ自身も中国に勝てないと思っているのがわかります。

 実際、世界最先端技術は中国が独占しつつあります。

 北京や上海に旅行にでも行けばわかるかと思いますが、もはや東京の比ではないくらい、発展しています。

 

 話を戻します。

 おそらく、日本は「男性ばかり」で戦っているから、ここまで凋落したのだと思います。

 ですが、日本社会が変わらないかぎり、なかなかこういった傾向は変わらない気がします。

 私は、その原因の一因を「日本的なサラリーマン社会」だと思っています。

 社会の主要な位置にいる中年、もしくは高齢男性ですが、ほとんどが文系なのです。

 なので、仕事ができるできないの話になると「結局は根回し」「大人として話せるかどうか」とか、私からすると意味不明なことのみが、評価基準になったりします。

 確かに営業成績は人間関係が大事でしょう。

 ですが、そもそもその会社の主力商品は、基本的には「理系」が作り出しています。

 純粋な科学技術的なアイデアから作られた商品がなければ「人間力」とか「営業力」とか、言っている場合ではないのです。

 そして、そもそもの理系的な力が落ち続けているので、総体的には営業力云々とかいっても、もうどうしようもないのです。

 誰だって、どんなに営業の人がいい人でも、商品自体がよくなかったら、違った商品に乗り換えるでしょう。

 私は日本で起こっていることはそういうことだと思います。

 どんどん技術が落ちてきて、日本は世界的にもいい商品を作れなくなっているのだと思います。

 

 具体的にサッカーコーチでいえば、たとえばたびたび私のブログを紹介してくれている「サッカー大好き母\(^o^)/」さんは、私も含めて大抵のコーチよりも素晴らしいコーチをできると思います。毎日その人の文章を読んでいれば、その文章から伝わってくるものは、誰でも感じ取れると思います。

 サッカー大好き母\(^o^)/さんの知識は半端ではないです。しかも洞察力もすばらしいです。そして限りない愛情を注ぐという最強の武器があります。

 もし、中国やアメリカ、ヨーロッパでしたら、誰も何の疑問も持たないまま、サッカー大好き母\(^o^)/さんは、コーチの現場にいる気がします。

 ですが、ここは日本です。

 こうやって、コーチをやったら日本の少年少女に素晴らしい貢献をできる人が1人、コーチをやらないことによって日本のコーチ業が弱くなったのだと私は思います。それは私からすると、日本社会という構造的な問題です。

 誰も悪くないのです。

 ですが、潜在的に「女がいいコーチをできるはずがない」と、どこかでみんなが思い込んでいるのです。

 

 大げさかもしれません。

 ですが実際、ヨーロッパでのサッカーを見ると、女性審判が本当に増えてきました。

 どんどん世界は先にいっています。

 ただ、私が思うに、今の30代前半くらいから下の世代は、私たち40代以上の世代とは、いい意味で違ってきた気がしています。

 彼らは、本質的に男女平等ということをわかっている人が多い気がしています。

 つまりいつの時代も同じなのでしょう。

 40歳を過ぎたら、どうやって人生から退場していくかを考えるべきなのだと思いました。

 ユングは「40歳までは昇る太陽を生きる。だが40歳からは沈む太陽を生きる」と言いました。

 次世代に伝えることがある、などと言いますが、私はそれは怪しく思っています。

 「次世代に伝える」よりは「次世代に迷惑がかからないように」が本当の気がしています。