イタリア復活の予感。 | 徒然に。

徒然に。

思ったことを気ままに。

 2大会続けてワールドカップ出場を逃したイタリア代表ですが、ユース年代では近年着実に成果が出ているようです。

 U17ユーロでは、今日行われるイタリア対ポルトガルの決勝も合わせれば、ここ5大会で3回決勝に進出しています。

 U19ユーロは、まだ2024年は行われていませんが、2023年は優勝で、2022年は4位です。

 5年後くらいから、イタリアの黄金時代が来そうな気がします。

 そのことは、U17ユーロ準決勝のハイライトを見て、強く感じました。

 

 

 普段サッカー動画を見るときは「コーチに活かせるネタが落ちてないかな」という意識です。純粋におもしろいなと思うことはほとんどないです。

 ですが↑は純粋にサッカーが楽しんで見てしまいました。

 というのは、イタリアU17には、多彩な攻め方があるのです。

 具体的には、サイドからはクロスがありそこでも純粋に楽しめますし、オーバーラップ(もしくはインナーラップ)をしっかりやるシーンがあり、そういったコンビネーションも楽しめます。さらにドリブルでの仕掛けもあります。

 中央からは、縦へのスルーパスを狙い、そこでいい形でボールを持てれば、どんどんドリブルで仕掛けてシュートまでいきます。相手がこなければドリブルで運びますし、ロングシュートを狙います。

 なにか、戦術的に多彩なパターンをやっているんだろうなということが、わかる気がするのです。

 イタリアのサッカーは戦術的と言われます。

 私は今のイタリアの育成年代は、昔のように守備ではなくて攻撃戦術を徹底的にやっているのではないかと思いました。

 そうしましたら、案の定といいますか、↓を発見しました。

 マウリツィオ・ビシディ(イタリア代表育成年代統括コーディネーター)インタビューです。

 

 

 以前は戦術トレーニングも、プレッシングとかラインコントロールとか、守備の局面ばかりだった。しかし幸運なことにグアルディオラをはじめとする先駆的な指導者たちのおかげで、近年は後方からのビルドアップやラスト30mでの崩しといった攻撃にフォーカスしたトレーニングに注目が集まり、育成年代でも積極的に行われるようになってきた。攻撃に関わる戦術トレーニング(技術を高めるシチュエーショントレーニングという側面も持っている)が増えたことで、テクニック、そして攻撃的なメンタリティという観点から見た向上の機会は、従来と比べて明らかに増えてきた。攻撃的なポジションはもちろんDFやGKにとっても同じことが当てはまる。それが代表レベルでのパフォーマンスにも反映されていることは確かだね。私の下で各年代の代表を率いている監督たちも、トレーニングでは基本的に攻撃のエクササイズしかやらない。

 ただ、イタリアU17で私が一番びっくりしたのは、戦術的なところではなくて、実は「技術」の部分です。

 ロベルトバッジョやシニョーリ、ゾラやデルピエロ、トッティなど、2005年くらいまでは世界的にうまい選手はイタリアにたくさんいました。

 ですがその後、イタリア人の技術レベルは、明らかに世界一線級とは言えなくなったと思います。

 ですがイタリアU17の選手たちは、総じてボール扱いがめちゃくちゃうまいのです。

 私は上記インタヴューの言葉の中に一つのヒントがあるのではないかなと思いました。

もう1つは、トレーニングメソッド上の問題だ。近年、サッカーの技術は試合の中で実際に直面するシチュエーションを再現するトレーニングによってしか向上できない、という考え方が広く支持されるようになってきている。これは、ドリル形式の技術トレーニングはまったく有効ではないという考えに繋がってくる。テクニックをピッチ上の状況から抜き出してそれだけを鍛えることには意味がない、したがって相手のいない技術トレーニングは無用だ、というわけだ。しかし私はそれに全面的には同意することはできない。ドリル形式の技術トレーニングにも特定の有効性はあると考えているからだ。イタリアの場合、もともとチームとしての戦術トレーニングが多かったところに、ドリル形式の技術トレーニングは無用だという考え方が重なったことで、技術を高める機会はさらに少なくなっていった。もちろんシチュエーショントレーニングの中でも技術は鍛えられるが、特定の技術を高める方向には働かない。

 イタリア育成年代の総括者がこう語っているので、イタリア育成年代では近年ドリル形式の練習をやっているのだと思います。

 イタリアらしいなと思ったのは、↓です。

 

 

 中央をコーンドリブルしてシュートをまずやります。

 ここにドリル形式の練習があります。

 連続してサイドからもコーンドリブルをして、クロスを上げてシュートするのも組み合わせています。

 そして興味深いのが、アルゼンチンもこういう「2つの異なった動きを組み合わせる練習」を重視することです。たとえば↓3分19秒からです。

 

 

 アルゼンチン人の60%はイタリア系です。

 ラテン系は総じて球技が強いですが、彼らは本質的にこういう練習を好むようです。

 結果が出ている以上、本質的に何か効果があるのだと思います。

 

 話を戻します。

 イタリアからは、今回チャンピオンズリーグ優勝レアルマドリー監督のアンチェロッティをはじめ、コンテやデゼルビ、サッリなど名監督がいくらでもいます。

 ちなみにアルゼンチンにも名監督は多いです。

 ラテン系というと、何も考えていない情熱的な人みたいなイメージですが、全然そんなことはないのでしょう。

 そのイタリアの指導者の言うことは深いなと思いました。

 上記したイタリア代表育成年代統括コーディネーターとインテル育成責任者の言葉のなかで、私が感銘を受けた部分を拾っていきたいと思います。(※  )で私の考えも書きたいと思います。

・社会環境ということで言えば、イタリアも他のヨーロッパ諸国と同じように、この20~30年で子供が日常的に身体活動を行う機会は明らかに減少している。私たちが子供の頃には、学校から帰って来た後は日が暮れるまで毎日外でボールを蹴っていたものだが、今やそういう場所は減ってきているし、また子供をそういうふうに外で遊ばせておくことができない社会になってしまった。スポーツにとって最も重要なのは、幼少期にできるだけ多くの時間、身体活動をすることだ。これはサッカー界、スポーツ界だけでなく学校を含めた社会全体の問題でもある。身体活動が発達している社会はスポーツにおいてもより多くのタレントを生み出す。それを特定のスポーツのプレーヤーとしてどう育てていくかはまた次元が違う問題だが、ピラミッドの底辺としてのスポーツ環境、身体活動の量という点では、ヨーロッパの他の国々と同じようにイタリアも減少傾向にある。(中略)

 問題は、サッカーボールに触れている時間ということではなく、もっと一般的に身体活動そのものの時間が減っていることにある。基礎的な運動能力やコーディネーションのレベルで、イタリアの子供たちの平均レベルは明らかに下がっている。おそらく日本もそうだろうけれどね。特定のスポーツの技術を発達させるためには、まずベースとなる運動能力やコーディネーションが高いレベルになければならない。そのベースのところの話だ。今やストリートや公園で日常的に遊びとして身体活動を行うことが社会的に不可能になっているのだとしたら、他の形で子供たちがそういう活動を日常的に行える環境を提供する必要がある。それは学校だったりクラブだったり地域社会だったりするわけで、そうなるとサッカー界の問題というよりはスポーツ界、さらには国の問題ということになってくる。(※まったくの同感です。私としては、サッカーがない日はグラウンドの遊具で遊んだり鬼ごっこを友達とやったりするのも、非常に有意義だと思います。ただ、そういう文化自体が世界中で失われているということかもしれません。ならば、もう「遊具で遊ぼうスクール」みたいなのをやるしかないかもしれません。)

 

・メッシやロナウドのような世界的なスーパータレントがいつどこで生まれるかは、偶然によって決まるものだと思う。それはバッジョ、トッティ、デル・ピエーロといったイタリア産のタレントについても同じことだ。彼らのような真のタレントは、育成によって作り出すものではない。育成という観点から見た時に違いを作り出すのはむしろ、プレーヤーの平均レベルだ。イタリアサッカーの問題もそのプレーヤーの平均レベル、つまり多くの好選手を輩出できるかどうかにある。(※私はちょっと違う意見があります。スーパースターが生まれるのこそむしろその国の土壌な気がします。メッシとマラドーナが同じ国から出たというのは私は偶然ではないと思っています。)

 

・プロクラブの育成への取り組みには個々のクラブによって差があるが、問題はそこではない。重要なのはむしろアマチュアレベル、グラスルーツレベルでどれだけベースを広げられるかにある。土台が広いほどピラミッドの頂点も高くなるというたとえは、ほとんどの場合正しい。頂点を高くすることを考えるならば、まず底辺を広げることを考えるべきだ。(※私はこれが最も大事だと思います。だからこそ私は弱小クラブの指導者で満足している部分がありますし、今後うちから世界のトップを輩出できてもおかしくないと思っています。少年サッカーのコーチや親御さんで、まさかこの子があのレベルまでいくとは思わなかった、という経験をされた方は多いと思います。私もその一人です。トップはいきなり急にレベルがあがります。私の感覚ではピラミッド状には上がりません。ということは、少年サッカーレベルで「弱小チームのエース君」がいきなりトップにまで行くのは私は不思議ではないと思っているのです。そのために裾野を広げる必要があると思うのです。)

 

・イタリアでドイツやオランダのようなトップダウン式のやり方を取ることは不可能だ。文化的にまったく異なっているから。さっきも触れたようにイタリアはもともと都市国家の集まりであり、地方によって、いや州によって文化もメンタリティも少なからず異なっている。イタリアサッカーの価値の一つは多様性だ。イタリアの監督がどうして世界のトップレベルにあるか。その秘密の一つは、置かれた状況、与えられたチームや選手に合わせて異なるタイプのプレーモデルを作り上げチームに浸透させることができることだ。その意味では具体的な戦術や振る舞いに直結しているプレーモデルではなく、より上位の基本理念であるプレーコンセプトにフォーカスするべきだと思う。ベルギーやオランダ、イングランドでは、すべてのチームが[4-3-3]なり[4-2-3-1]なり、一つのシステムとプレーモデルで戦うこともできるが、イタリアがそれをやったら、我われの最大の強みである多様性、柔軟性をスポイルしてしまうことになる。(※私はイタリア以上に日本の多様性は豊穣だと思っています。ドリブルチームあり、パスチームあり。団子サッカー容認あり否認ありといった感じで、指導者が言うことがまったく違うのは日本は世界屈指だと思います。そして私はそれはいいことだと思います。私はサッカーブログの初期に書きましたが、サッカーの多様性を担保したい意味もあって、ブログをせっせと書いている面もあります。だいたいネットで発信するコーチは「サッカーはドリブルが手段なんだから、それはよくない」的なことを言います。それも一つの事実だと思いますが、私はそれよりも意見の多様性を重視したいのです。なのでことさら「ドリブル重視」と書いている面もあります)

 

──個人レベルの話ですが、イタリアはカンナバーロ、ネスタの世代まで常に偉大なCBを輩出してきましたが、その後はぱったり止まっています。ボヌッチも守備に関してはワールドクラスとは言えない。その理由はどこにあるのでしょう?

 「理由の一つは、とにかく守備を固めることを第一に考える、そして組織としてではなくまず個として1対1を重視するという伝統的なカルチャーから、ゾーンディフェンスの戦術に対応し組織の一員として機能できるDFを育てるという傾向、そしてさらに守るだけでなくビルドアップの起点としてパスを展開する能力も重視するという方向に、DFを育てるコンセプトが変わってきたことがある。急激な変化には付き物の話だが、一つの極から反対の極へと一杯に振れてしまう傾向がある。かつては1対1でしっかり守れるCBを育て、また選んでいたものが、一時期は逆に攻撃を組み立てられるCBを育て、また選ぶようになっていた。しかしそうして振れた振り子も結局は中央に戻ってくるものだ。実際最近はまた組織の中で機能できるだけでなく、1対1に強くしっかりマークができるという側面があらためて重視され始めている」(※やはり「1対1」なのだと思います。やたら「1対1」を難しく考える意見がありますが、とにかく「1対1」をこなせば、予測の身のこなしなどが飛躍的に伸びるのが実感できると私は思います。そしてサッカーは「11対11」ではなくて「1対1が11人集まったもの」が私はベースに来ると思っています。)

 

・我われは何よりもまず個のクオリティを高めることに優先順位を置いていることは、さっき話した通りだ。その一環として、ポジション別の個人技術、個人戦術のトレーニングに力を入れている。ストライカーは毎日たくさんのシュートを打たなければならないし、DFはたくさんの1対1をこなさなければならない、といったことだ。そうしたポジションごとの技術習得にできるだけ多くの時間を割くようにしている。(※ここでもドリルトレーニングの重要性を言っていると私は思います。)

 いつも長い私のブログですが、今日はとりわけ長くなりました。

 ですがそれは、私が長々と書いたというよりは、イタリア人指導者の言葉が深くて、たくさん引用したから長くなったという感じです。