前回のブログを、愛読している「サッカー大好き母さん\(^o^)/」さんが紹介してくれました。
そのなかで、引用していただいた部分があります。
逆を言えば、小6くらいまでは、ほとんど自分の頭で考えてプレーするというのはできないと私は思っています。
ではそれまで、何をやればいいのでしょうか。
私は「判断を入れないような、機械的にできる技術の種類をとにかく増やす」ことだと思っています。
私はとにかく小学生段階では技術を徹底するのが大事だと考えています。
機械的にできる運動をとにかく増やすことだと思います。
誰しも子どもに接していればわかることですが、第二次性徴が始まるまでの子どもは素直でかわいいものです。
ですが第二次性徴が始まると、もう子どもというよりは一人の人間になってきます。
つまり小6の後半くらいからは、親とは違った独自の人生を歩みだすように私は思います。
そしてそのときに、子どもが「自分の人生」に目覚めたとき、私はそれまでに「武器」を子どもにつけさせなくてはいけないと思うのです。
私は人生にとって子ども時代に身につけるべき武器は2つあると思っています。
1つは「人間力」です。
漠然としていますが、これが最も大事だと思います。
私が思う人間力の例を思い付くままにあげます。
・あいさつをすること。
・集合5分前に来ること。
・人のせいにしないこと。
・仲間を蔑まないこと。仲間を大事にすること。
・大人を尊敬すること。
・「なぜ」という疑問を持つこと。
・差別をしないこと。
・嫌なことを自分から率先してやること。
そしてこういったことは、普段の練習でけっこう植え付けることができると思います。
さらに私は「技術」をつけることだと思います。
たとえば1人もかわせない選手の判断と、1人は必ず抜ける選手の判断では、まったく判断の質が変わってきます。
特にジュニアユース以降の指導者は「いい判断をしよう!」と言います。私もそれは当然だと思います。
ですが、小学時代にその判断を高めるための技術を磨いていない可能性ももしかしたらあるのかなと私は思っています。
もちろん小学時代は基本として「サッカーを楽しむ」ということが大前提だと思います。
ですが技術があがってくれば楽しくなってくるというのも、また然りなのです。
私は「楽しむ」という概念をもっと突き詰めて考えたいと思うのです。
自由にプレーすれば楽しいのでしょうか。
たとえば南米のストリートサッカーは、本当に自由なのでしょうか。
私の情報では、南米のストリートサッカーといっても、大人も普通に加わるし、その大人から技術を教えてもらうということです。けっこうお互いに教えあっていると私は思っています。
私は結局ストリートサッカーといっても「学び」があるのだと思います。
つまり私は「楽しい=学び」だと思っているのです。
たとえば↓では、東大生が中学受験入試問題に取り組んでいます。
めちゃくちゃ楽しそうです。
ではその楽しみは、どういうものなのでしょうか。
「学び」とか「理解」の喜びなのです。
自分よりレベルが高いことに触れたときに、人は感動します。
私は意外に、中学受験をする子どもたちは苦しみばかりではないと思います。だって、勉強はおもしろいのです。
サッカーでも同じだと私は思います。
サッカーが下手なままでは、やっぱりサッカーは楽しめないのです。
その代わりに、足技をやってリフティングをやって、あとは止める蹴るをやればいいのだと私は思います。
最後に話を戻します。
そうやって技術を磨いた後の中学生以降は、その子次第だと思います。
技術の先にある世界は、その選手が自分でつかんでいくことです。
「旅立ち」の段階で、旅立つ勇者に対して、武器を身につけさせてあげたいと私は思います。