少年サッカーのコーチをやっていると、試合をやるときに審判もやることになります。
審判について、思うことを書いてみたいと思います。
特に何かを主張する話ではなく、エッセイみたいなものなので、そんな感じで楽しんでいただけたらと思います。
私が20年以上前にコーチを始めたとき、少年サッカーは11人制でしたし、審判も主審と副審合計3人でやっていました。
この頃の審判は本当に楽でした。
副審をやるときは、スローインやゴールキック、コーナーキックの判定でどちらのチームがボールを出したのか、あとはオフサイドだけを見ていれば良かったのでした。
主審をやるときも、基本的にはファールの有無だけを見ていれば良かったのです。
オフサイドなどは副審にお任せです。
ですが少年サッカーが8人制になり、1人審判でやるようになって、私は正直に書けば、審判があるから試合に行きたくないとすら思うようになりました(笑)。
オフサイドやスローイン、ゴールキックなどの判定、ファールの判定まですべて1人でやらなくてはならないのです。
絶対に無理です。
ベンチで試合を見ていても、大抵の審判の方の、特にオフサイドの判定は、けっこう間違えているケースが多いと思います。
ですがもちろん判定に不満を言うこともないし、審判のジャッジが間違っていても不服にも思わないです。
私も確実に、間違った判定を数多くしているからです。自分ができないことを、他者ができないからといって文句を言うほど私は野暮ではないつもりです。
私はあるときから、対策を編み出しました(笑)。
それは試合前、選手が整列しているときに、そのチームの選手たちに向かって言うのです。
「1人審判なので、完璧に見ることはできない。ミスジャッジもあると思う。そのことを理解した上で、途中でセルフジャッジすることなく、プレーしてほしい」
これは本音です。
実際にそうなのだからしょうがないのです。
そして選手も、1人審判だから間違えることが多いということを織り込み済みでプレーするのは、私は知性だと思います。
最近、審判に対する風当たりというか、そういったものに変化が出てきたような気がします。
20年前は、審判に対してコーチや保護者が暴言を吐くのは当たり前の時代でした。
私も何度言われたかわかりません。
私はそのたびに相手のベンチを睨みつけていました。「ほんとこいつうぜえな」と本心からの怒りでした(笑)。
睨みつけると「審判態度わりいな!なんだよ!」とか言われます。ほんとその言葉でレッドカードを出したくなる気分でした。
ただ、喧嘩みたいのが今ほど隠ぺいされていなかったので、それなりに素直に感情表現できたという意味ではよかったのかもしれません。
そして2020年くらいまでは、どんどん審判に対しての暴言みたいなのはなくなって、平和な時代だったと思います。
それが2020年くらいから、再び審判に対して暴言が増えてきたように感じます。
コロナ騒ぎを境にしている気が私はしていますが、実際のところはどうなのでしょうか。
その暴言的なものも、昔的な「相手ありき」ではなくて、なにか人間じゃなくてモノに対して一方的にキレる感じの暴言が増えたように感じます。話し合いの余地がないような感じです。
私が直接食らったわけではないのですが、そういう場面をけっこう最近目撃するようになりました。
もし自分自身がそういうのを食らったら、くたびれた中年になった今、言い返したり睨みつけたりはしない気がします。
ただ、私も含めて日本の審判は、あまりに選手に気を使いすぎている気もします。
↓動画を見ると、審判はめちゃくちゃ選手に言っています。
そんななか、私のなかでは愛すべき審判をする人たちもたくさんいました。
たとえば今では引退した、市内最強チーム元監督さん。
市内大会で公式戦にも関わらず、笛も時計も一式忘れてきました(笑)。
焦りながらも、対戦相手の監督さん(同じ市内なのでみんな仲がいいのです)に「おーい、○○よ、20分になったら俺に教えてくれや!」と言いました!そして、試合開始に、口で「ピー!」と叫びました!
なんだそりゃ(笑)。
今の基準で言えば、めちゃくちゃ糾弾されそうです。
ですが、私はそんな感じが素敵だと思っているのです。
さらに私が尊敬するM監督の審判もおもしろいです。
M監督が主審で私が当事者のチームで試合をしていたときのことです。
ベンチの私の目の前で、オフサイドが微妙なときがありました。
するとM監督、なんと私に向かって「おーい○○!今のオフサイド?」と聞くのでした!
なんだそりゃ(笑)。
それを判断するのがあなたの役割でしょうに(笑)。
M監督の審判は名人芸だと思います。
練習試合中に、ある選手がシュートを打ちそうなとき「さあ、助走をつけて、、、シュート!ゴーーーール!!!」とか実況しています。しかも入れられたのは、自分のチームなのでした(笑)。
懐古趣味かもしれません。
ただ、今の育成年代は、私は何かを失った気がしていてしょうがないのです。
そんなことを審判の側面から書いてみました。